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【コラム】“日本人”であること

#入管法改悪反対 の動き

ここ数ヶ月、入管法改悪反対の動きが活発になっている。しかし人権を保障するよう声を上げ続ける何千人もの人の悲痛な叫びが無視され、法案が大変残念なことに審議会を通過し、衆議院で可決されてしまったことを考えると、それだけ悪法を通そうとする力が強く働いてしまっているという点で、この運動が盛り上がりを見せていることは決して喜ばしいことではない。

仮面を被った日本

よく、サムライジャパン、クールジャパンと、ワールドカップやオリンピックでは海外に向けて必死にクールでクリーンなアピールをしている日本だが、人権国際基準に関しては、違反し、国連に何度指摘をされても、気にしない。無視する。
これは詐欺と呼べるのではないだろうか。
『この商品はこういう効果がありますよ、お得なので買った方が良いですよ』
そう謳って本当は全て嘘だった、そんなことはこの資本主義社会では日常茶飯事だ。
そしてそういう商品と、日本は同じである。
『日本はこんなに綺麗で美しいですよ、日本に来ればこんなことができますよ、日本人は親切で"お・も・て・な・し"精神を大切にするから差別なんてないですよ』
そんなのは全て嘘だ。真っ赤な嘘だ。

“日本人”の意味

この国では「日本人」という言葉は非常に狭く定義され、その定義に当てはまらなければ参政権はない、社会保障も受けられない、十分な給料が得られる仕事にも就けない、むしろ低賃金で長時間、体調を崩し、最悪の場合死ぬまで働かされ、簡単に使い捨てられる、そして都合が悪くなると「国に帰れ」、「嫌なら日本から出ていけ」などという言葉の数々を、平気な顔で吐き捨てられる。

この「日本人」というのは何も国籍に限った話ではない。あらゆる場所で「日本人らしい」装いや「日本人らしい」振る舞い、「日本人らしい」考え方が求められ、そこから外れると「日本人ではない」とされる。あの人たちの言う「日本人」とは、権力の犬という意味なんだろうか?
うん、たぶんそういうことなんだろう。
⁡本来誇れるはずの"お・も・て・な・し"と呼ばれるサービスも、実はそれに見合わない賃金で労働力を酷使されている労働者を下敷きにして成り立っている。そしてその労働者の中には「日本人」ではない人たちも当然いる。
"お・も・て・な・し"の煽て上げは、労働者に妥当な対価を還元することを拒否し、その事実を覆い隠すために仕掛けられた罠だ。

そうやって都合の悪いものは排除し、隠蔽し、ある意味で"純粋"な排外主義集団が形成される。あの人たちは"純粋"が大好きだから、この事実をさぞ誇らしく思うだろう。

この国には、こういう国ぐるみの差別を支持する人や"中立"を装い黙って目をつむる人がいる。
すなわち日本は実際には、「日本人」ではない者たちを人間として扱わないようなとてつもなく汚くて、卑劣な国だ。

私は日本で生まれ育ったけれど、この24年間、日本という国を誇らしく思ったことが全くと言っていいほどない(お寿司やみそ汁を食した時くらい)。
権力や権力にシッポを振り迎合する者たちの言いなりにならなければ爪弾きにされるような社会を、好きになれない。

でもそれはある意味当たり前で、自然で、妥当な感情だと思っている。悲しいけど。

これを、悲しいで終わらせてはいけない。私たちはこの悲しさや怒りを、精一杯の大きな声で、表現する選択肢を、これからも選び続けなければいけない。

#入管法改悪反対
#openthegateforall
#nooneisillegal
#freerefugees




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