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『ミスター•ミス•ニッポン2』

大腸内視鏡検査受診月間最優作品(嘘)

便潜血+を放置しない月間作品(本当)

2023年8月19日は快晴だった。
9階の病室の南側の窓からは、建物の物陰に入っているようで我が家は見えなかった。眺めはいい。とくに希望を出したわけでもない私は、大部屋(4人ベッド)で10日間過ごすことになる。私のベッドは窓際だった。

町のどこかで救急車のサイレン音がした。ひっきりなし、というわけではないにしろ救急車の出入りは多い。コロナ禍は遠い昔の出来事ではない。もし、コロナ禍に盲腸癌を患っていたとしたら、私はどうなっていたのだろうか。当時、とくに気にすることもなく、各自治体別の空きベッド数を、切迫感など感じることもなく流し見していた張本人が、今、入院しているのだ。
これはただの幸運だ。善人、悪人、分け隔てなく差し伸べられた救いの手が、偶然にも私に「shall we手術?」と来たのだ。私は「はい」と応えた。入院期間は10日の予定だ。私は、入院診療計画書をかるく頭に入れておこうと思った。

入院診療計画書にはこうあった。2023年8月21日『腹腔鏡補助下回盲部切除術』。手術日は明後日だ。なぜ手術の二日前に入院しているかというと、簡単に言えば、切除する大腸の中身をスッカラカンにするためだ。この手術前の二日間で下剤を飲んで、スッカラカンにスッカラカンを重ねるのだ。万が一手術中にもりもり大便が腹から尻から「こんにちわ」しないための大切な手術前の二日間なのだ。

ありがたいことに、病院にはWi-Fiがあった。これで10日間の入院中に暇を持て余すことはなさそうだ。4階にはコインランドリーもあり、一階にはセブンイレブンもあった。何かあればどうにでもなる環境が用意されていた。10日間の入院だ。下着は5枚でいいだろう。コインランドリーもセブンイレブンもあるのだから。

入院経験の殆どない私は、昔の記憶を手繰りよせようと試みている。
昔の病院とは、どんなものだったのだろうか。思い出そうとしているのだが、何分それは幼少期のことで、なかなか思いだせない。

私の入院歴はこれで三度目になるはずだ。一度目の入院は暗闇の水の中の牢に閉じ込められて、たぷたぷ揺られながら強制的に病室まで運ばれた。
自らの足で立つことも許されず、なにもしらず、なにもしらされず、泣かされてばかりいたように思う。
温かい牢という母親の腹から何度も脱走を試みた私は、なんども看護婦(当時は師ではなく婦)に連れもどされて水浸しの牢にぶちこまれていた。そして、1974年9月29日にこの世界に大脱走した生まれてきた。

後年、私がスティーブ・マックイーンに憧れて、映画『大脱走』に夢中になるのはこの為だろう。さらに後年、私はオートバイ乗りにもなってしまった。あの、牢獄体験のトラウマが私の人生に多大なる影響を与えたのは間違いないのだ。

もう一度の入院体験は、左目の手術だ。私の左の黒目は先天的に内側(眉間側)に寄りすぎていた。いま、それが、差別用語になっているのかどうか。書いていいものかどうかもわからないのだけれど。所謂『ロンパリ』という状態に幼少期の私の左目はあった。
49歳の今の私にもその傾向はまだある。かつての『ロンパリ』ほどではないにせよ、『ロンパリの弱』くらいの斜視があるのだ。わかりやすく言うと『ロンとヤス』『ウラジミールとシンゾー』くらいには私の左右の目の距離は改善?しているのです。

その手術の影響もあるのでしょうか。それとも先天的なものなのか私にはわかりませんが、私の左目は弱視になった。
まともに視力検査をすると0.1を下回るほどだ。ただ、何度も視力検査をする内に、経験則で見えないものが、見えるようになることもあるのです。
『ボールが止まって見えた』あの感覚です。あるいは『ゾーン』に入る感覚が視力検査のときの私に訪れます。
すいません、嘘です。ただの慣れです。幼少期には判別できなかったぼやけた記号の一部から推理するすべを身に付けただけです。ズルではありません。私は勢いあまって、右というべき所の『C』を、「シー!」と言ったこともあります。

今も、私の左目は弱視なのですが、右目のほうは健常で『1.5~2.0』ほどの視力があるので日常生活で困ることはありません。ただ、一般的な人に比べれば右目を酷使しているので眼精疲労はひどいように思います。
先頃、老眼鏡を作ってもらったのですが、ほぼ役にたたない左目にも同じ度数のレンズを入れることになりました。すこし損した気分です。

10日間の入院生活での天敵は、ストレスでしょう。これは私に限ったことではありません。コロナ禍が明けつつあった今夏でも面会制限はありました。
時間厳守。人数制限(一人のみ)の面会がゆるされていました。
私は面会そのものが、私にとってストレスになるとおもい、あらかじめ家族には病院には来ないようお願いしていました。あれやこれやと質問攻めにあうことが明白でした。それが私には億劫でした。しかし、家族にとっては面会に来れないことこそががストレスだったかもしれません。

入院生活の最大のストレスは何か。私にはわかっていました。それは、バイクに乗れないことです。145000㎞を共に過ごした『カワサキW650』に乗車できないことほど私を苦しめることはないのです。この15年間、3日とおかずに『カワサキW650』に乗車してきました。いわゆる『連れ』です。
私は、マックイーンよろしく『大脱走』するのでしょうか。医師も看護師もナチとは正反対の頼りになる人ばかりです。ここが我慢のしどころです。そもそも『カワサキW650』は自宅の駐輪場に置いて来ました。

私がマックイーンになるには、市民病院の監視をかいくぐり、脱走して家族の監視をもかいくぐり、自宅の駐輪場に身を隠し、バイクカバーを剥ぎ取り、丁寧にたたみ、玄関内にしまい、二階の部屋から鍵を持ち出し、チョークを引いてキルスイッチをオンし、しばしアイドリングをし、エンジン回転数が1000前後になってようやく病院まで走り、駐輪切符をもらい、市民病院の監視をかいくぐり、一旦夜を待って━━━と、マックイーンのように『大脱走』するには骨が折れるのでやめることにしました。

どうでしょうか、サインはうまくなっているでしょうか。


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