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『ミスター•ミス•ニッポン7完』

大腸内視鏡検査受診月間最優作品(嘘)

便潜血+放置しない月間作品(本当)

東雲のわずかなひかりがカーテンの隙間から漏れ、不眠と腹痛でくらくらの私に朝を知らせてくれた。同室のビンテージ者の3穴から吐き出される鼾獣痰吐音(そんな言葉はない)も、同様に私におせっかいな現実を見せつけてくれた。心安らかな刻なんて私にはなかった。どこからともなく私に降り注ぐ、なんとも複雑な朝の便りに、露でくもる窓外の鳥が鳴いている。
「あいしあってるかい」そんなふうに鳴くカラスがいた。『キヨカラス』だ。それに応えるのは一羽のコトリ、『ヤノコトリ』だ。

藪から棒ですが、話をすこし脱線させてください。また、戻りますから。
私は「フラれやすい男なのです」、それは恋ばりではない。雨、雪、紙吹雪、灰、塵屑、星屑(え?)にもたびたびフラれることがありました。一番困るのは黒い雨ですが、そのような世界にならないように祈ることしか出来ません。
次いで困るのが鳥の糞にフラれることです。何の因果かわかりません。幼少期から「鳥の糞にフラれる恥の多い人生を送ってきました」
学生時代の全校集会。バイクツーリング中。革ジャンにもヘルメットにもフラれるのです。余りにもフラれるので、怒りを少しでも鎮めようとすきなアーティストから、名前をいただくことにしたのです。それが『キヨカラス』と『ヤノコトリ』なのです。もしフラれたら『ひとつだけ』を歌うことにしています。夜なか中、鼾にフラれた私は『ひとつだけ』の鼻歌を奏でていました。 

さあ、話を戻しましょう。
手術から丁度半日がたった朝。私は相変わらず、10段階中の10の腹痛を柔らげるための多種多様な寝姿勢を試していました。
医療器具のよく分からない管に絡まれながらも、私の夜中の探求の結果はむなしいものだった。成果という、成果はなかった。せめて10段階中の9でもいい。なにかないものか。
ふと、ベッド脇に目をやるとリモコンがある。そのリモコンはベッドの外側に表を向けていた。いわば、看護師側だ。私はくるりと患者側に表を向けた。それは、パラマウントベッドのリモコンだった。盲点だった。なぜいままで気がつかなかったのだ。
だが、患者がこのリモコンを勝手に使用していいものなのか。新米患者の私には分からなかった。でも確か、パラマウントベッドが稼働している思われる「ジー音」とか「キー音」は、どこかのベッドから聞こえていた。

腹痛に耐えかねた私は押した。ゆるやかな『W』とでも言おうか『』とでも言おうか、横から見るとそんなかんじの角度がつけられた。『』にもできるぞ。
「なんてやさしい姿勢をくれるのだパラ様ぁ』
私の腹痛は、10段階中の8になった。私はこのときよりパラマウントベッドのことを『パラ様』と言うこと事にしている。
『パラ様』の微調整「パラ音」が私のカーテン部屋から「ジーキージーキー」し始めると。他のベッドからも大胆な「パラ音」が聞こえきた。
ここは、大部屋だ。患者それぞれが遠慮しながらストレスを抱えて過ごしている。9階のとある大部屋では、朝の6時に「パラ音」の大合奏が始まっていた。

私が入院中でいちばん辛かったのは手術後の腹痛だった。その次に辛かったのは血栓防止用の靴下のしめつけ感と、さらにその上からかかる血栓予防用の機械による圧力だった。とにかく暑かった。私がこんなに締め付けに弱い者だという事も入院して初めて分かった事のひとつだ。
その機械も含めた(点滴スタンド以外の)医療装置は昼には外された。水も飲める。こうして、『パラ様』のおかげで私の入院生活はずいぶん快適になった。

この時点で私はまだ紙オムツのLを履いていた。オムツからは管が伸びて点滴スタンドの下方の尿袋(と私は呼ぶ)に尿湖(と私は呼ぶ)を貯めていた。
便利だった。尿意があるのかないのかすら分からなかった。それなのに、いつのまにか尿袋にいっぱいの尿湖ができあがっているのだ。それを看護師が定期的に捨ててくれていた。ありがとう。
私は完全に寝たきりになっていた。栄養は点滴から腕に送られて、尿道からは管をとおり尿袋に尿湖を貯める。『パラ様』のおかげで腹にやさしい姿勢も手に入れた。だが、私は喉が渇いていた。

腹腔鏡手術後から24時間は経っていた。ミネラルウォーターのペットボトルは、あと一本だ。夜中に備えて、あと3本はほしい。だが、私は歩けるのか。点滴スタンドを支えにすればなんとかなるのか。「ミネラルウォーターがほしい」とナースコールを押すのは私のプライドが許さない。
『パラ様』のおかげで、寝てさえいれば私の腹痛は10段階中の8だ。でも、歩くとなると10段階中の10になる可能性があった。販売機まで往復20メートルはあった。いけるのか私は。

結果。私は行った。点滴スタンドの力を借りて、私は行った。点滴スタンドがなければ無理だったと思う。
h』だった。窓ガラスに写しだされた私のシルエットだ。左の縦棒は点滴スタンド。それにもたれかかる私の全身は腰から折れ曲がり90度から上がらなかった。
「痛ぇ」し「h」だし「10の10」だし。私はなんともいえない顔をしていた事だろう。私の手術後の24時間はこうして(無事?)終わった。

さて、『ミスター•ミス•ニッポン』を、ここらで閉めようと思う。
あとは、だんだん腹痛が穏やかになっていくだけだ。点滴スタンドをもって歩く私の『』の腰の曲がりも、また穏やかになっていった。
紙オムツを脱がされ、体も拭かれた。点滴スタンドの尿袋もいっぱいだ。「たくさんオシッコでてますよ(オムツの中ではないぞ、尿袋にだ)」と、看護師にも褒めてもらった。
やがて、点滴も不要になり、シャワーを浴びる許可もでた。私は私の脚力でどこにでも行けるようになった。食事も流動食のようなものから、お粥、白米と通常の食事(薄味)に戻っていった。
私の体調が回復するにつれて、担当看護師もベテランから新人に変わった。よく出来たシステムだ。

尿袋(私と一体のものではない)は、点滴と同時に外された。それでも一回毎の尿の測定は退院間近まであった。一回の尿量を500㎖の計量カップで量り、紙に尿量を書いていくのだ。それを看護師が計算する。私は、たびたび「たくさんオシッコでてますよ」と看護師に褒めてもらった。たくさんオシッコがでると褒められる(良い)システムだ。こちらもやる気がでるというものだ。
腹痛は10段階中の3くらいにはなっていた。もう、なにもおこらない。平和な時間だけがながれていた。そして私は退院した。誰も褒めてくれない日常に回帰するのだ。
結果的に、私の盲腸癌はステージ2の転移なしだった。5年生存率は80%。5年以内に癌の再発、転移がなければ『完治』となる。『ミスター・ミス・ニッポン』を返上するのは、5年後だ。

その後の私の抗がん剤治療のすったもんだは、別のエッセイに譲りたい。

あ、ひとつ訂正しよう。「誰も褒めてくれない日常」ではなかった。私のnoteは、私が思う以上に褒めてくれる者がいた。「たくさんスキされています」とnoteが教えてくれる。励みになっています。
それと、みなさん一年に一度は便検査を受けて下さい。そして、便潜血+になったら、大腸内視鏡検査をしてもらいましょう。



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