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小説『空生講徒然雲24』

鉄塔の下のおじ様の嗚咽は終わったようだ。
「カタカナカタ、カタカナカタ」
歯鳴りがはじまった。「カタカナカタ、カタカナカタ」と。上下の歯鳴りが、鉄塔の上の私たちのもとまで聴こえた。
「底のない砂時計がひっくり返ったんだよ」、おじ様のまわりは陽炎でゆれていた。発熱しているのだろう。頭のてっぺんから噴火した溶岩の肉と白髪がゆっくり煙を吐き出しながら、流れ出していった。

そこには、もう、おじ様はいなかった。「カタカナカタ、カタカナカタ」と歯鳴りを響かせた剥き身の骸骨があった。
「これで、係の者が来るはずだ」
「アタシもあんなふうになるの?」、バラクラマの下のシマさんの顔は血の気がひいているに違いないだろう。
「そうは、ならない」、自死した、ない者の理なのだ。『鬱々不安頭』で自死した、ない者は、『鬱々不安骸骨』にならなければならない。
「そう。迎えがくるまでは、タナカさんはあのままなの?」
「残念だけど。でも、タナカさんじゃない、ナカタさんだ」
「カタカナカタ、カタカナカタ」と、ナカタさんの歯鳴りがした。「なあ」と、青猫タルトに私は視線をむけた。
「みやおう、みやおう、みやおう」との賛同を私は得た。

「私たちは、その鬱々不安骸骨になったナカタさんを置いていくのかしら」
ナカタさんの歯鳴りが大きくなった。御師と行者と青猫と、それに加えて鬱々不安骸骨のナカタさんとの空生講徒然雲くそこうツーリングなんてしたことがない。ナカタさんは『ムンクの叫び』の形のまま頭蓋骨を抱えている。ずっとあの格好から動けないのだろうか。

「ナカタさんが、オートバイに乗ったことがあるなら連れていけるかも知れない」、私がそう言うと、バラクラマの中の瞳が輝いた。
「ねえ、ナカタさん。聴こえたかしら」
「カッタカナカタ、カッタカナカタ、カッタカナカタ」とナカタさんの歯鳴りは勝ち誇るように大きくなった。「乗れる」と言っているようだ。私のカワサキW650のシートは荷物でいっぱいだ。つまり、鬱々不安骸骨のナカタさんはシマさんとタンデムして、ヤマハSR400に跨がるのことになるのだ。

「アタシはそれでいいです」、ヤマハSR400は冷えきったままのすまし顔だ。ぐずっているのか。反応がない。「おねがい、レッドスター」、ああ、シマさんは若い頃の私を見るようで恥ずかしい。和式で言うと『アカイオホシサマ』だななんて。なんといったか、共感性羞恥心だったか。私はシマさんを見ていられない。
「レッドスター」
「みやみや」
「カッタカナカタ、カッタカナカタ、カッタカナカタ」
ヤマハSR400は、「バフ、バフ、バフ」とぐずったあと「タンッタタン、タンッタタン」と鳴いた。
シマさんはみんなの合意をとりつけた。

私はヘッドバンキングの予習と復習を繰り返したあと、鬱々不安骸骨のナカタさんを釣り上げた。ナカタさんは、ヤマハSR400の後部に跨がり頭蓋骨を抱えている。表情からしてうれしいのかどうかはわからないが。
「カッタカナカタ、カッタカナカタ、カッタカナカタ」と歯鳴りしているところを見ると、うれしいのだろう。でも、ナカタさんは、ナカタさんではないだろう。もちろんタナカさんでもないだろう。私はカマをかけてみた。
「タナカタさん、短い付き合いになるでしょうが、一緒に逝きましょう」
「タナカタッタ、タナカタッタ、タナカタッタ」益々、元気だ。名前なんてどうでもいいのだ。タナカタさんの頭蓋骨では数十年ぶりの幸せホルモンが鬱々不安頭で自死した、ない者の鬱々不安骸骨の脳に満たされているのだろう。脳があるとしてだが。ややこしい。ややこしくした私のネーミングセンスが憎い。単発ならいいのだが、続けて思考すると私の脳がつらい。
「タナカタさん、レッドスターから落とされないようにね」、シマさんに悪気はない。タナカさんでもナカタさんでもタナカタさんでも、助けることに夢中なだけなのだろう。
鬱々不安骸骨のタナカタさんは、シマさんの腰をしっかり膝蓋骨でグリップしている。オートバイ乗りに間違いない。行者の資格はあるだろう。

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