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DREAMS COME TRUE『伝えたいメッセージを見事に切り取る歌姫』(前編)人生を変えるJ-POP[第25回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

連載第25回目は、日本を代表するグループ「DREAMS COME TRUE」を扱います。吉田美和の類まれな才能によって作り出される世界は中村正人のアレンジによって具現化し、多くのアーティストに影響を与えてきました。ドリカムの表現する世界と吉田美和のクリエイターとしての才能、さらに歌声の魅力について紐解いていきたいと思います。

結成から国民的アーティストになるまで

DREAMS COME TRUEは、1988年に結成。結成当初はグループ名を「CHA-CHA & AUDREY's Project」としていましたが、その後、“夢は叶う”の意味である「DREAMS COME TRUE」(以降、ドリカム)に改名しました。

結成当初のメンバーは、リーダーの中村正人、ボーカルの吉田美和、キーボードの西川隆宏(2002年脱退)の3人で、1989年、『あなたに会いたくて』と1stアルバム『DREAMS COME TRUE』でメジャーデビューしました。

このアルバムを皮切りに今まで31枚のオリジナルアルバム(他のアーティストによるカバーアルバム除く)を発売。売上枚数200万枚を突破したアルバムは7作。

中でも1992年の5thアルバム『The Swinging Star』はオリコン史上初の累計売上枚数300万枚を突破した一枚になっています。

ドリカムがデビューした1989年は、日本の音楽市場ではまだカセットテープによる曲の販売もあり、CDがその市場に変わろうとしている頃でしたが、ドリカムのデビュー曲『あなたに会いたくて』はカセットテープでの販売はなく、多くのアーティストがカセットとCDの複数形態による販売をする中、CDのみの販売をしたのです。(後に需要があってカセット販売をしています)


その後、1990年代後半には、本格的にアメリカ進出を視野に活動をしたこともありましたが、思うような結果が出せずに断念しています。

1990年に紅白歌合戦に初出場。1992年には、NHK連続テレビ小説『ひらり』の主題歌『晴れたらいいね』をリリース。その後、『長男の嫁』や『愛していると言ってくれ』『救命病棟24時』『砂の器』など数々のドラマの主題歌を担当。

2018年には、53枚目のシングル『あなたとトゥラッタッタ♪』が再びNHKの連続テレビ小説『まんぷく』の主題歌に決まるなど、精力的に音楽活動を続けています。

今では歌詞付きの主題歌が当たり前の連ドラですが、その形が定着したのは『ひらり』の主題歌『晴れたらいいね』からとか。(それまでも何曲かは歌詞付きのテーマソングはありました)

この楽曲はシングルセールス68万枚を売り上げた大ヒット曲になり、ドリカムは国民的アーティストとして全世代に認知されるグループになったのです。

これ以降、朝の連ドラの主題歌に選ばれることが、アーティストの全世代的認知に繋がることは必至になり、多くのアーティストやグループが連ドラの主題歌をきっかけにポジションを確立していっています。また、新しいドラマが始まる度に、テーマソングを誰が歌っているのかも大きな話題の一つと言えるでしょう。

ドリカムは、1989年のデビュー初年度からのアルバムツアーと、1991年から始めた4年に1度の『史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND』と名付けたライブ活動を基盤に開催しています。

この『史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND』では、吉田美和が宙吊りになって空中で歌うパフォーマンスが有名です。

吉田美和は「出逢った瞬間からすごかった」

ドリカムの世界は、なんと言っても、その音楽と歌詞に乗せられた「ことば」の魅力に尽きます。

ドリカムの全ての楽曲は吉田美和の作詞によるもので、楽曲の多くも彼女が作っています。即ち、「ドリカムの世界=吉田美和の世界」と言えるほど、吉田美和というクリエイターの才能溢れた世界と言えるでしょう。

中村正人は彼女と初めて会った時のことを「出会った瞬間からすごかった」と話しています。(radiko news[2019.3.25]

彼は、1985年から1988年まで「とんねるず」のコンサートでセッションミュージシャンとしてサポートメンバーを務めていました。

彼曰く「俺はセッション・ミュージシャンで食いたくなかったんですよ。下手くそだから。それで周りの事務所を見てるとすごい儲かってるから、“これはひとり素晴らしいアーティストを見つけて儲けよう”と思って。そしたら吉田美和を見つけて、「これで食える」って(笑)。すごいんですよ。出会った瞬間からすごかったから。(radiko news[2019.3.25]

この時、地下鉄で彼女が中村の前で歌ったのが『うれしはずかし朝帰り』で、ドリカムの原点とも言われている曲です。このエピソードは、ファンなら誰もが知っていることでしょう。

吉田美和を見つけた彼が、裏方のマネージャーに徹しようとしたのを彼女がバンド結成を持ちかけて阻止したとか。

吉田美和は、北海道池田町の出身。中学生の頃には作った曲が200曲を超えていたというほどで、高校生になってバンド活動を開始し、ポプコンの北海道地区で優秀曲賞を受賞した後、プロを目指して上京しました。

下積み時代に中村と出会い、同郷の音楽仲間だった西沢に声をかけて3人でバンドを結成しました。これがドリカムの始まりです。

高校の卒業文集に「BIGなシンガーになる」「ユーミンなんかに負けるもんか」と書いた彼女は、バンド名も「夢は叶う」という意味のDREAMS COME TRUEと名づけました。(Re:minder[2019.5.6]

デビュー前からあふれていた才能

中村は吉田美和の作る楽曲を常にサポートする形でバンドに参加しています。譜面が全く読めないという彼女の曲を採譜するところから全ての楽曲のアレンジを手掛けてきました。

ただ、彼は、「この先、自分達が死に、ドリカムの楽曲が忘れられても吉田美和の歌詞が残ればいい」と話して、『吉田美和歌詩集』を今までに3冊刊行しています。

このことからも彼女の紡ぎ出すことばの数々がいかに心を打つ世界なのかを表していると言えます。

また、多くの楽曲を既に中学生の頃には作っていた彼女が、『未来予想図』『未来予想図II』は高校の授業中に作っていたというのは有名なエピソードです。

帯広柏葉高校卒業時に帯広市内で開いたコンサートのパンフレットには、オリジナル曲14曲が含まれ、既に『未来予想図』『うれしはずかし朝帰り』などの楽曲が並びます。

このようにドリカムの1stアルバムに収められた楽曲をはじめ、2ndアルバムに収録された『未来予想図II』『うれしい! たのしい! 大好き!』『うれしはずかし朝帰り』など多くの楽曲は、ほとんどデビュー前に作られていたというのも、吉田美和の才能がいかにすごかったかということを表すエピソードでしょう。

後編では、中村が監修して詩集を発売するほどの吉田美和のことばの魅力と歌い手としての歌声の魅力に迫りたいと思います。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞