針は戻る

 チクタク…チクタク…

 廃屋の中に立派な柱時計が一つ

 ザー…ザー…

 外は本降りの雨

 ガタガタ…ピチョン…

 風が家を揺らし、屋根からは雨漏りがする

 ガチャリ…

 扉の開く音…

「失礼しまーす…誰かいますかー…」

 男の声がする。家主の声ではない。そもそも家主はこの家にはいない。

「誰もいないだろうけど、つい言っちゃうよな…」

 男は働き口もなく、住むところもない。空き家を渡り歩いて、雨風を凌いでいる。家主が長期の旅行に行っている家、借り主のいない家、使い古された小さな倉庫…ヤドカリのように家をとっかえひっかえしてきた。どこの家も長く滞在するには至らなかった。少しでも長く、少しでも安心して、少しでも快適に過ごせる、そんな仮住まいを探し歩いてきた。

「見た目も中身もオンボロ…雨漏りもしてるし、柱も床も腐ってる…。けど、なかなか広いし、何よりここ最近、人が入った形跡がない。少しは落ち着いて過ごせそうだな…」

 男の収入源は言わずもがな泥棒。しかし、安定した収入を得られるはずもなく、カプセルホテルやネカフェなどに金銭を支払うことに抵抗を感じている。そのお金を少しでも節約し、食費やその他の雑費に当てようとしている。
 男はこの廃屋でも、寝床にするには勿論のこと、何か金目の物がないのかも視野に入れていた。しかし、男の中では可能性は低く見ていた。金目の物があるわけがない、そう踏んでいた。それでも、他の部屋を覗いたりして物色はするわけである。

「…やっぱり何もねぇか…」

 しかし、期待外れ。いや、期待はしていなかったので予想通りだ。男の目に付いたのは最初に入った部屋にあった柱時計くらいであった。

 己の身の丈くらいはありそうな大きな時計。木造で、埃が積もっている。長年、掃除がされていないのだろう。そんなことはこの家屋を見れば一目瞭然のことなのだが…。文字盤もローマ数字で記されていて、文字盤を保護するようなガラスが無いので、直接針に触れることが出来る。元々、そういう作りだったのか、後々から取り外したのかは定かではない。そして、先程から鼓膜を震わせて来る音…チクタクチクタクと、振り子が左右に行き来している。…チクタクと?動いている?
 ということは、まだこの家から人が去ってそんなに間がないのか?いや、柱時計がどのくらい時を経て止まるのかを知らない。ゼンマイ式?電池式?さすがに知識の範囲外だ。

 …ちょっと待て、この時計、何か変だ。動いていることが変なのではない。動いているのに動いていない。なぞなぞではない。「使うとき使わなくて、使わないとき使うものこれなーんだ」「お風呂の蓋」そんなことを言っている場合ではない。振り子が動いているのなら、連動して動いていなくちゃならないはずの、針が動いていない。短針も長針もさきほどから12時の位置を指している。

「…って、ただ壊れてるだけか。」

 よく考えたら、こんな廃屋に放置されているのだから壊れていて当たり前だ。雨漏りもするのだから、湿気だって大変なことになるだろう。振り子が動いているのは奇妙だが、針が動いていないのは中の歯車が錆び付いているのだろう。どちらにしても、こんな大きな物は運び出せないし、価値があるとは思えない。

 何の気なしに針をクルクルと逆回転で回してみた。本当に意味はなかった。子供の時に、時計の針をクルクル回すのがほんの一瞬楽しかった時期があった。そんな感じだ。童心に戻ったのかも知れない。
 何周かしたところで、早々に飽きが来た。なにやってんだ…こんなことをしている場合ではない。外はもう太陽が沈み、暗闇が空を覆い隠している。

 時計の針は戻せても、流れゆく時は戻らない。

 何度、男は思っただろう。タイムマシンが欲しいと。

 …そんなことを思いながら、男は床につく…

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