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命が終わる「カッ・カッ」という母の最期の呼吸見届ける~自宅リビングでの看取り

2023年4月6日早朝、自宅リビングにて
約1年の闘病の末、母は永眠しました。

今、私の心に救いと安堵をもたらしているのは
母の好きだった自宅リビングで
手を握りながら母を看取れたこと・・・。

母の最期の呼吸を見届けることが
できたこと。

初めてのことだったので、
これが最期なのかどうかその時は
わからなかったけれど、

今まで聞いたこと、見たことがない
呼吸の仕方・・・
口を開けながら、
「カッ、カッ、カッ」と
繰り返すのです。

これはもうだめなのか!
死ぬのか!と動転しながらも
母の手を握りしめ、
私は
「お母さん!お母さん!」と
ただ叫び続けた。

ほどなくして、その呼吸はとまり
母は静かになった。
腕の脈を触ってみたり
心臓の上に手を置いて
確認してみたり・・・

でも、慌てているのもあるし、
母の体がまだとてもあたたかいので
まだこれは仮死状態なのか・・
など心の底で思ってみたりも
少しあった・・・。

お世話になっている訪問ドクターが
30分しないくらいで到着。

聴診器を心臓にあて
「心臓が止まっています」

という言葉を聞いた時、
私の心にガクッとした衝撃が
少しあったので・・

どこかでまだ生きているのでは
と思っていたのかもしれない。

私は3人きょうだいですが
この3人が揃った状態で
3人に見守られながら
母は逝った。

交代で母をみていたので
夜間帯に3人が揃うのは
ほぼないこと。
母の願いと子供たちの母への想いが
叶った形での母の最期でした。

母を亡くした直後、
気持ちの興奮もあるのか
シクシク泣くことはなかったが

姉と弟が一時自分たちの家へ
帰宅し、私一人残され
部屋の片づけをしている時、

冷蔵庫の中、台所やダイニング、
母のものばかりで・・・

冷蔵庫に貼られたヘルパーさんの
シフト表を見て、ふと
「もうヘルパーさん来ないんだ」
もう、誰も来ないんだ・・
こんなに母の為に買った
とろみ専用の食事も
もういらないんだ・・・。
必要だと思って
あんなに買ったのに・・・

いると思ったものが
一転、
無用の長物となるのかと。

涙がポロポロ ポロポロ
溢れた。

もう、誰も来ないんだ。

最終的に介護度5だった母。
朝・昼・夕とヘルパーさんに
来てもらい、
それ以外にも看護師チーム、
リハビリの先生、
訪問入浴、訪問ドクターの往診。
いつも親身になって相談に
のってくれたケアマネージャーさん。

母の自宅リビングは病室の
ような状態で、日々様々なスタッフの
方に来ていただき
自宅で看取りたいという一念を
達成することができたのだと思います。

そう・・・
母の手をにぎりながら
母の最期を見届けたいというのは
願いというより、執念だった。

週が明け昨日、
点滴スタンドなどの回収もあり
看護師さんが来られた。

もう必要なくなった買ったばかりの
とろみ食や水ゼリー、オムツ類など
全て引き取ってくださるというので
差し上げた。
有効活用でき、
誰かの助けになると思うと嬉しかった。

看護師さんに、ひとしきり最期の瞬間の
お話をして・・
私は泣いた。
看護師さんやドクターは母のことを
見てくれていましたが

それと同時に私のことも心配して
ずっと見てくれていた方々だった。

お恥ずかしい話ですが
看護師さんに
「よく頑張ったねと言って
もらいたい」
と言い私は泣いた。

看護師さんは「そうだね・・
よく頑張られました」と
優しく慰めて下さいました。

私は仕事中はヨガウェアのままで、
それ以外は普段着、
早朝や夜間はパジャマのままで
もうかっこつけてる余裕もなく
最後は徹夜続き、ズタボロ状態で
母の看病をしていたので・・

苦楽を共にしたとでもいうのか
一緒に闘ってきたかのように感じる
方々に私は
褒めてもらいたかったのかもしれません。

この記事はここまでにして・・・

また次回の記事で
自宅リビング内葬儀のことなど
書きたいと思います。

まだどうも私の心は不安定。

自分で書いた前記事を読んで
泣いている始末なので 笑

母の闘病、介護日記を記したい
ということで始めたこのnote。
もうしばらく書かせて
いただこうかと思っています。

長文、最後までお読みくださり
ありがとうございました。


亡くなる8日前に
たまたま思い立ち
訪問美容師さんにカットしてもらっていました。
お蔭様で整った髪形で最期を迎えられました。








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