スプラッシュゾーン06

『スプラッシュゾーン 落下の時空』

○第六章

「海だ海だーー!!」
「ミヅキさん、何を叫んでるんですか?」
「海を見たら叫ばなきゃ」

 五の都へは、船で海路を行かねばならない。三の都を後にした二人は、街道を三日ほど歩き、船着き場のある町に着いた。定期便の出発は二日後だということで、ドルワは宿を取ると、ミヅキを連れて海岸に来ていた。

「バカヤローー!」
「だから何で叫ぶんですか?」
「ドルワ君こそさぁ、叫びたくならない?この広い海を見て」
「いえ……思わないんですが」
「ふん、もういいよ」

 拗ねた顔をすると、ミヅキは一人浜辺を歩き出した。
(ミヅキさんって、本当に訳のわからない事を時々言うなぁ)
 気を取り直したドルワは、腰をおろすとあらためて海を眺める。
(ホント、広いや……)
 空は青く、水平線の上には大きな入道雲が幾つも湧き立つように浮かんでいた。優しい風が彼の顔を撫でる。
(変な匂いだな。でも、嫌じゃあない)
 海も潮風も彼にとっては初めてだった。
(砂も白い……川の砂と違って粉みたいだ)
 ドルワは砂をひとつかみした。サラサラと砂が風で流されて飛んでいく。
「うわぁ、細かい!」
 思わずドルワは感嘆を声にしていた。
 そのままドルワはしばしの間、打ち寄せては引く波を見つめていた。陽の光に照らされた波頭が光り、しぶきがきらめく。
(いいなあ、海って……)
 そんな時——

「少年、海は初めてか?」

 不意に声が掛かった。
 振り返ると、一人の男が立っていた。

「は、はい」
「どうだい、海は?」
 男は人なつこい笑顔でそう尋ねた。
「ひ、広いです」
「そうだろなあ。広いから海っていうんだ」
「はぁ……」
「あれはお前さんの連れかい?」
「え?」
 男の指さす方を見ると、靴を脱いだミヅキが波打ち際でたたずんでいた。ドルワがしみじみしている間に水遊びをしていたらしい。
「ええ、そうですが。でもどうして……?」
「俺が少年に近づいてから、ずっとこの方こちらを睨んでいるからな。あの顔は、どう考えても俺を怪しんでいる」
 ミヅキは訝しげにドルワ達の様子を見つめていた。
「あなたは怪しい人ですか?」
「ははは、面白い少年だ。俺かい?俺はホレ、釣りにやってきた」
 男は背中を向けると、背負った釣り具の袋をドルワに見せた。
「折角だからな、君に海の魚を見せてやろう。ごちそうしてやる」
 男は袋を下ろすと、分割していた竿を取り出すとてきぱきと組み立て始める。その間に、靴を手にしたミヅキがやって来た。
「誰?」
 ミヅキはドルワに耳打ちした。
「さあ……」
「見ての通り、ただの釣り人だ」
 男はニッコリ笑った。組み立てが終わった竿は男の背丈の倍以上はある。
「安心しろ。これは魚を釣るための道具だ」
 軽く身構えているミヅキをよそに、男は竿の柄部分に糸巻き式の道具を取り付ける。巻かれた糸は半透明で、天然の物ではないようであった。
「こういう竿を見るのは初めてかい?」
 男はドルワに尋ねた。
「はい。こんな釣り竿もあるんですね」
 不意にミヅキが口を開く。
「投げ釣り用ね。何が釣れるの?」
「見てればわかるさ」
 男は竿を持ってドルワ達から離れると、海と相対した。釣り糸の先には小さな分銅のようなオモリがついていて、更にそこから針の付いた糸が結びつけられている。
「今日は大漁かもしれないな」
 男は竿を正眼気味に身構える。その目は前方の海面に向けられていた。
「フゥ……」
 男が息を整える。深く息を吐くと一気に吸う。その時ミヅキは、ドルワの両肩を背後からグッと掴んだ。
「ムッ」
 男は振りかぶると、その長い竿を海に向かって一気に振り抜いた。
「フン!」
 気合い一閃、分銅が遅れて海に向かって飛んでいく。
「うわぁ…」
 ドルワには一瞬、釣り糸が空に向かって飛んでいったかのように見えた。ギュルギュルギュルと唸りをあげながら、釣り糸はどんどん伸びていく。やがて曲線を描いて分銅は海に落ちた。あまりに遠いので着水の音は聞こえない。しばし見とれていたドルワだが、両腕の痛みで我に返る。
「ミヅキさん、痛いですよ。痛い」
「ああ、ごめん」
 あわててミヅキは掴んでいた手を放した。
「ほんとにもう、何するんですか?」
「だってェ……」
「君の姉さんは、もしも俺が君を襲った時には、そのまま抱えて横っ飛びで避けようとしたんだよ」
 竿の糸巻きを回しながら男は笑った。
「ま、釣り針は海に飛んでいって、めでたしめでたしだ」
「全くもう、失礼ですよ」
「だってさ……」
「まぁまぁ、姉弟ゲンカはするもんじゃないぜ。ホラホラ、そんなこと言ってるうちに——」
 竿をクンと引く手応えがあった。
「やっぱりな。今日は大漁の日だ」
 男はつぶやくと、糸巻きに付いている取っ手をグルグルと引き絞った。あっという間に、海面から銀色に輝く魚が飛び出す。
「ほら、どうだい?」
 ピチピチと尾びれを動かす魚を掲げ、男は笑った。

   ×   ×   ×

 男はその後も順調に成果を上げると、流木を集めて火を起こし、魚を焼いた。焚き火を挟んで、男の真向かいにドルワとミヅキが並んで座る。ミヅキは相変わらず怪訝そうに男の一挙一動を見つめていた。
「さあ、食べな。かなり美味いぜ」
「ありがとうございます」
 ドルワは串に刺した魚を手に取る。荒塩をまぶして焼き上げたそれは、見るからに美味そうだった。
「いただきまーーす」
 躊躇無くドルワはむしゃぶりついた。
「どうだい少年、海の魚は?」
「はい、おいしいです」
 満足げに食べているドルワを、複雑な表情でミヅキは見つめていた。
「大丈夫だ、毒なんて入れてないよ」
 男はミヅキに声を掛けた。
「そんなに怪しいかい、俺がさ?」
 ニッコリと男が笑うと、ミヅキはバツが悪そうに顔を背ける。
「ははは、嫌われたな」
「ミヅキさん、大人げないですよ」
「ふん」
 拗ねた顔のミヅキに、男は魚を差し出した。
「せっかく釣った魚だ。食べてやってくれないか?」
「……」
 少しのためらいの後、ミヅキは魚を手に取った。疑い深げに顔を近づけると、鼻をクンクンと鳴らし、じっと見つめる。
「大丈夫ですよ」
「ははは。面白いな、少年の姉さんは!」
「ミヅキです」
 仏頂面でミヅキは言った。
「それに私は、この子の姉ではありません」
「ほぉ、姉弟じゃないんだ」
「あ、自己紹介をしてませんでしたね」
 あわててドルワは、男に向き直る。
「僕は、ドルワといいます。こちらは一緒に旅をしているミヅキさんです」
「ドルワ君にミヅキさんか。そうそう、俺の名前は——」
 男は空を見上げ、陽の光に目を細めた。
 遠くで海鳥の鳴き声が聞こえる。
「俺の名前は、青天飄々」
「せいてん……ひょうひょう?」
「おうさ。空は青空、風の吹くままってな」
 男は世界各地を旅しているという。
「水際なら必ず魚がいるからな。こいつがあれば大抵困らない」
 そう言って男は釣り具を叩いた。
「お前さん達、五の都に行くのかい?」
「はい、そうで——」
「ちょっ、ドルワ君!」
 小声でミヅキがドルワを制する。
「な、なんですか?」
「疑ってるんだよ」
 男は淡々と言った。
「無遠慮で君に近づいて、親しげに魚なんかを食べさせた上に、自分達の事情まで話させる。口の巧い奴には気をつけろ——」
「そんな、青天さんに失礼ですよ!」
「ふん」
 再びミヅキは顔を背ける。
「はははは。ミヅキさんは余程ドルワ君が可愛いんだな」
 男は立ち上がると釣り具を背負った。
「残りの魚も食べてやってくれ。じゃあ」
「ありがとうございます。さようなら!」
「また会おう、少年!」
 去って行く男に、ドルワは何度もお辞儀をした。それに構わずミヅキは、顔を背けたまま魚をかじる。
「ああいう人も……いるんですね」
 男が立ち去った方を見つめてドルワはつぶやいた。
「……いけ好かない奴」
 ミヅキはポツリとつぶやく。
「だけど、魚には罪はない!」
 そう宣言すると、ミヅキは魚にかぶりついた。肉汁があふれ、香ばしい匂いが立ちこめる。
「うん、良い火加減。美味しい!」
 むしゃむしゃとほお張りながら、ようやくミヅキに微笑みが戻った。
「さっきはどうしたんですか?いつものミヅキさんなら、他の人にもっと愛想がいい筈なのに」
「愛想って、失礼ねェ」
 早くも次の魚に手を伸ばしながら、ミヅキは口をとがらせた。
「嫌いなのよ。ああいう……何か失礼な爽やかな奴って」
「失礼って、それこそ失礼ですよ」
「何よ。さっきから聞いてれば、アイツの肩ばかり持ってさ」
「え?」
「知らない!」
 ミヅキは立ち上がると、くるりと向きを変えて歩き出した。
「あ……ミヅキさん?」
「宿に帰ってる」
 後に残されたドルワは困惑した。
「何なんだ、一体?」
 焚き火の流木がパチリと音を立てて弾けた。

   ×   ×   ×

 宿に戻ってから、ドルワはミヅキの機嫌を取るのに懸命になった。自分でもさすがに大人げないと思ったのか、一晩経ったらミヅキはいつものお気楽な彼女に戻っていた。しかし、ドルワにはあの時のミヅキの不機嫌さの理由がわからない。
(でも、聞いても教えちゃくれないんだろうな)
 朝食を終え、部屋でごろりとなりながらドルワは思った。
(下手したらまた怒り出すかもしれないしなあ……)
「ドルワ君、何やってるの?早く行くよ」
「あ、はいはい」
 翌日の出航に先駆けて、二人は渡航許可を得るために港の役所に向かった。手続きに手間が掛かるのか、旅人が並ぶ行列はなかなかその長さが変わらない。ようやくドルワ達の番がやって来ると、カウンターにはいかにも頑固そうな初老の役人が手ぐすね引くように待っていた。
「三の王、直下のドルワと同行者一名。五の都への渡航を許可願います」
 そう言ってドルワは金属の表紙の手帳を差し出す。一瞬目を見張った役人は、表紙の印を確認し、続いて中を数枚めくった後、丁寧に大きな印を捺した。
「年少の直下は初めてですよ」
 役人は微笑んだ。
「道中、お気をつけて」
「ありがとうございます」
 ペコリとドルワは頭を下げた。

「スゴイね、ドルワ君。あらためて感心」
「何がです?」
「手帳出したら、役人さんの態度が変わったじゃない。細かいこと無しでポンとハンコ一発!スゴイなあ〜〜」
「僕、っていうより手帳のおかげですよ」
 ドルワは苦笑いした。
「以前言ったじゃないですか。番人は王様の直下の部下なので、証しさえあればどこでも自由に往来できるんです」
 手帳をあらためてミヅキに見せ、ドルワは言った。
「とは言っても、例え番人でもこれが無ければ只の人です」
「相変わらずクールだなあ」
「クール?」
「可愛げが無いってこと」
「はいはい」
「でも、そこが良いところ」
 役所を出て、二人は港のそばにある料理店に入った。海に面してデッキが張り出し、船の行き来を眺めながら食事が出来るようになっていた。
「ほら、ドルワ君!ここここ!」
 すかさずミヅキは、一番見晴らしの良さそうな席を陣取る。
「ミヅキさん、そんな焦らなくてもいいんじゃ……」
 役所で時間を取られ、食事時をやや過ぎた頃にやって来た分、店は空いていた。中のカウンターに二名いるのみで、外のデッキに沢山並んだテーブルに座っている客は誰もいない。
「焦ってないよ。早く座って景色を眺めたいだけ!」
(それが焦っているんじゃ……)
 言葉を飲み込み、ドルワはミヅキの待つテーブルに向かった。
(せっかく機嫌が直ってるんだしな)

 料理を食べ、デザートを食べると、二人はしばし、茶を飲みながら海を眺めていた。
「僕、大きな船に乗るのは初めてなんです」
 港には、明日出港する定期船が停泊していた。準備のためか、船員達が荷物を搬入している。
「ふうん、それは楽しみだね」
「ええ。でも……船酔いが心配です」
 ドルワは憂鬱そうな表情をすると大きくため息をついた。そんな様子を見てミヅキはいたずらっぽく微笑む。
「ドルワ君、初めてだね」
「何がです?」
「弱音らしい弱音、今まで全然聞いたこと無かったじゃない。初めてだよ、弱音」
「そうですか?」
「頼もしいな〜と思ってたけどね、お姉さん的にはさァ、可愛くないな〜と」
「今は……可愛い?」
「あ、自分で言うんだ。アハハハハッ!」
 さも嬉しそうにミヅキは笑った。
「可愛い可愛い、ドルワ君は可愛い」
「そんなに言われると……怒りますよ」
「アハハハ、ごめんごめん。でもね、気にしなくていいよ、船酔いなんて」
「はあ……」
「取りあえず船酔い予防の第一歩!」
 ミヅキは右の人差し指を立てると、ニコリと笑ってこう言った。
「今日はしっかり晩ご飯を食べて、しっかりと眠る!穏やかな心を常に持つべし!」

   ×   ×   ×

 一日が経ち、定期船の出航を迎えた。空は晴れ渡り、桟橋からは人がどんどん船に乗り込んでいく。
(うわあ、ほんとに乗っちゃったよ)
 乗らなければ五の都へは行けない。わかってはいるが、ドルワは何だか不思議な気分だった。甲板の柵を掴んで身を乗り出し、あらためて海を眺める。はるか先には、五の都へ連なる半島の影がぼんやりと見えた。
「どうしたの?」
 後ろからミヅキが声を掛けた。
「何というか……後には引けないな、って」
「ふうん」
「今更言うなって感じですけど……今までは地続きだったから、あんまり実感無かったんですよ。でも海を渡るんだなあと思ったら……」
「不安?」
「ええ、まあ……」
 ミヅキは腰のカバンを開けると透明な容器を取り出した。中には様々な錠剤が入っている。
「まずはこれを飲みなさい」
 黄色い錠剤を指先でつまむと、ミヅキはドルワの口に押し込んだ。
「?!」
「苦くないでしょ?ゆっくり舐めて溶かすのよ。噛んじゃダメ」
「これは?」
「乗り物酔いの薬。気分が落ち着くわ」
「ありがとう……ございます」
 唇に残るミヅキの指の感触に、ドルワはどぎまぎしていた。そんな彼の動揺を知ってか知らずか、ミヅキはいたずらっぽい笑顔を浮かべる。
「前にも言ったよね。君に期待」
「はい」
 薬よりもミヅキの心遣いが嬉しい。ドルワは船酔いも旅への不安も吹っ飛んだような気がした。

「よう、少年!」
 
 不意にどこかで聞いた声がした。

「俺だよ、青天飄々だ」
「ああ、あの時の釣りの人!」
 男は出会った時と同じように笑い、ドルワも思わず笑い返した。
(あ……)
 ふと隣を見ると、先ほどの笑顔はどこへやら、ミヅキの顔はひどくこわばっていた。
(やば……)
「まあまあ、姉さん、仲良くやりましょう。旅は道連れというじゃないですか」
「お姉さんじゃない。ミヅキよ!」
 ミヅキはそう言い放つと、肩を怒らせ大またで歩き去った。
「ははは、面白い姉さんだ」
 全く意に介していない青天飄々に対し、ドルワは心に再び暗雲が立ちこめた気分になった。
(大丈夫かなあ……)

 汽笛が鳴り、銅鑼が打ち鳴らされる。
 船は、出航した。

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)