スプラッシュゾーン07

『スプラッシュゾーン 落下の時空』

○第七章

 船旅は思ったほど辛くはなかった。
 乗船の際にミヅキからもらった薬が効いたのか、ドルワは気分が悪くなることもなく、三日目の夜を迎えた。天候にも恵まれ、海賊の襲撃に遭うこともなく、船は着々と旅程をこなしている。

「はあ……」

 しかし、ドルワは憂鬱であった。

(ミヅキさんも大人なんだから……もう少し何とかならないのかな)

 ドルワの心配の種は、ミヅキが青天飄々という男に対しての過剰なまでの反応だった。
(敵っていうのは違うな。何だろう、苦手意識?)
 彼の姿が視線に入るだけで、ミヅキは不機嫌になる。それにも構わず青天飄々はにこやかに声を掛けてきた。むしろ、そんなミヅキの反応を楽しむかのようだった。

「やあ、お二人さん」

 そう言って、事あるごとに青天は二人に近づいた。最初は適当な相づちを打っていたミヅキも、しまいには露骨に無視をするようになっていた。顔をそむける、仏頂面をする。しかし、青天がドルワと話を始めると我慢が出来なくなってつい口を挟む。思わず「しまった!」という顔をするミヅキをニヤニヤと笑う青天。ミヅキは顔を真っ赤にしてプイとその場を離れる……わずか三日のうちに何度同じ光景を見ただろうか。ドルワは指折り数えてみた。
(六回?いや七回か)
 そう考えるとさして多くはないのだが、頃合いが絶妙だなとドルワは思った。
(いい感じに、ミヅキさんの機嫌が直ったところにやってくるんだからなぁ……)
 最初は出航前の甲板の上。ミヅキが酔い止めの薬をドルワに飲ませた時だった。

「よう、少年!」

「まあまあ、姉さん、仲良くやりましょう。旅は道連れというじゃないですか」
「お姉さんじゃない。ミヅキよ!」

 肩を怒らせ、その場を離れたミヅキであったが、船が港を離れ、波を蹴立てて進み出すと機嫌が直った。
「わぁ、いいなぁ船は」
「そうですね。僕も気持ち悪くないし、ありがとうございます」
 再び甲板に立ち、潮風を受けてニコニコしているミヅキに、ドルワは内心ホッとしていた。
(やれやれ、これでお昼ご飯を食べれば大丈夫かな)
 その時、再び爽やかな声がした。

「お二人さん、そろそろ昼だね。一緒にメシ食うかい?」

 青天飄々が竹皮の包みを掲げて近づいてくる。ドルワは、ミヅキのイライラが再び燃え上がるの感じた。
(ああ、もう……)

 それ以来、ミヅキの機嫌が悪くなるのをドルワが何とかする、ミヅキが機嫌を直す、青天飄々がちょっかいを出す、再びミヅキの機嫌が悪くなる……そんな繰り返しが三日にわたって続いた。
(一体、あの人は何が目的なんだ?)
 あの人とは青天飄々。ミヅキ曰く『失礼な爽やかな奴』。ドルワには何が失礼でどうしてミヅキが嫌うのがわからなかった。
(確かに無遠慮なところがあるけど。もしかしたら……)
 ふと、ある一つの結論がドルワの頭に浮かんだ。と、その時——
「おっと珍しい。一人かい?」
 快活な声と共に青天飄々がやって来た。
(本当に間のいい人だな)
 苦笑しながらドルワは応えた。
「ミヅキさんは拗ねて寝てます。青天さんのせいですよ」
「俺のせい?何でまた?」
 青天は悪びれずに肩をすくめる。
「浜辺でお会いして以来、ミヅキさんは青天さんの事が苦手です」
「ほぉ」
「はっきり言うと、大嫌いですね」
「ははは、そうだろうな」
 愉快そうに青天飄々は笑った。
「ひょっとして青天さん、楽しんでませんか?ミヅキさんの事」
「うむ、そうだな」
「やっぱり……」
 思わずドルワは天を仰いだ。
「さすがは少年、頭が切れる。楽しいな、あの人は。少年もいい刺激になったろう?」
「刺激も何も……カリカリしてるミヅキさんをなだめるのは大変なんですよ。勘弁して下さい」
「ははは、悪かったな。しかし少年、おかげで船酔いするヒマも無かったんじゃないか?」
「え?ああ、そうですね……そういやそうだ」
「しばらくしたら夜が明ける。港も近い。お楽しみはおしまいだ。お前さん達は自分のするべき事をすればいいさ」
 ニヤリと青天飄々と名乗る男は笑った。
「俺は風の向くまま気の向くまま。また会う事もあるやもしれん」
「会えるんですか?」
「おおう、言うねえ」
 彼は更に満面の笑みを浮かべて言った。
「それは、あの姉さんの気分次第だ」
「ミヅキさんの、気分?」
「じゃあな!」
 にこやかに笑って青天飄々は去っていった。後に残されたドルワは、ため息をつきながらも夜空を見上げた。海を行く船から見る空は暗く明るく……漆黒の闇に煌めく宝石が散在する様は、息を飲むほどに美しい。
(この空は広いな。星がどこまでもある)
 ドルワはあらためて思った。
(山の空もきれいだけど囲まれてる。海の空をさえぎるものは何も無い)
 大河のような星の連なりが水平線に向かって流れ込んでいる。それは星々が海から立ち上っているようにも見えるし、美しい。
 しかしドルワはこうも思う。
(海の空をさえぎるものは……海だ。水平線の下にも空はあるんだ)
 潮風が心地よい。冷えた空気のせいかドルワは思いを更にめぐらせる。
(海を越えた向こうも見る事が出来るならば、星空はどのように見えるのだろう?)

「きれいね……」

「うわっ!!」
 気がつくと今度はミヅキが立っていた。
「何よ、失礼ね」
「びっくりさせないで下さい」
「星を見てボーッとしてる方が悪いのよ」
「はいはい」
 いくら星を見ていたとはいえ、ドルワにはミヅキの気配が全くわからなかった。
(ミヅキさんといい青天さんといい、さりげなく近寄ってくるよなぁ)
「あいつ、居たんでしょ?」
「青天さんですか?ええ」
「ふん。モテモテでいいよね、ドルワ君は」
「今更ですけどミヅキさん、何であの人がそんなに嫌いなんですか?」
「あいつ、あたしの間合いにズカズカ入ってくるからよ」
 口をとがらせてミヅキは言った。
「間合い?」
「あいつ……私と同類ね、きっと」
 ミヅキはつぶやくと、ため息をついた。
「ごめんね、ドルワ君に気を遣わせちゃって」
「もういいですよ」
 ドルワは苦笑した。
「おかげで船酔いもしませんでしたし。青天さんとミヅキさんに感謝します」
「それ、皮肉?」
「いや、青天さんがそう言ってたんで。あの人、その辺も考えてミヅキさんで遊んでたみたいですよ」
「ちっ」
 舌打ちをしたものの、ミヅキはドルワを見つめてつぶやいた。
「君みたいな子に……見せてあげたいな」
「え?何をですか?」
「ううん。ま、いいや」
 軽く被りを振ると、ミヅキはあらためてドルワに言った。
「さぁ、そろそろ夜が明けるよ。少し寝た方がいい。船室に戻ろう!」
 水平線の辺りが明るくなり、どんどん夜空を白く染めていく。他方にはぼんやりと陸地らしき影が見える。それは目的地・五の都のある島であった。

   ×   ×   ×

 港で入国手続きを済ませると、ドルワ達は近くに宿を取った。ゴザの敷かれた板の間は、広くはないが海がよく見える。
「いい景色ねー」
 窓際の籐椅子に腰掛け、茶を飲みながらミヅキがくつろぐ。部屋の真ん中に座り込んだドルワは、手帳を開くと折り込みの地図を広げた。五の都は島の中央、山に囲まれた皿状の平地に位置していた。ドルワ達がいる港町からは多少歩くが、さほどの距離ではない。
「まず僕らが行くべきところは、『らいぶらりー』と呼ばれる役所です」
「役所?ライブラリーって図書館よねえ。そんな厳めしいものなの?」
「トショ、カン?何ですかそれ?」
「あ、知らなきゃいいの。続けてー♪」
「……えーと、らいぶらりーっていうのは、五の都に限らず、九つの王都に関する様々な記録が集められているところです。当然機密事項もありますから、誰もが見られません」
「機密事項ねえ。どんな機密があるのか君、知ってる?」
「知ってるわけないでしょう」
 地図をしまい手帳を閉じると、ドルワは立ち上がった。
「さあ、行きましょう。場所も何となくわかったし、手続きもありますから」
「ほーい」
 残りの茶を飲み干すと、ミヅキも続いた。

 島は日差しが強く、湿度のせいか空気も重い。しかし時折吹く潮風は涼やかで、日陰に入ればさほど辛くはない。ドルワは藁で編んだ帽子を二つ買うと、一つをミヅキに手渡した。
「ふうーん、懐かしいなァ」
 帽子のつばを両手で掴むと、ミヅキはくるくると回して頭に載せた。
「ふふふ」
 足取りも軽くミヅキは歩く。
 いつしか街を抜け、山道になった。すれ違う人々は笑顔で声を掛ける。
「こんにちは」
「こんにちわー」
 ドルワはさりげに辺りを見回す。
(隠れるところもない、狙い撃つ場所も無さそうだ)
 一緒の船の客の中には怪しい人物はいなかった。青天飄々には夜明けに船で会って以来、会っていない。
(そのうち会うだろうな、こんな狭い島だもん)
 ドルワならばおそらく一日かければ島の周辺を歩けてしまう、それくらいに狭い島ではあるが、五の都は九つの王都の中でも情報の中枢として重要なところということだった。かつて亡父・マッセは、五の都についてこう語る。

「五の都は中央に位置する。各王都の所在地とほぼ等距離。そして海の上、遮るところ無し。これが肝心」

(何が肝心なんだろなあ。ま、見ればわかるのかな?)
「ドルワ君、ドルワ君!」
「何ですか?」
「見て見て、ホラッ♪」
 道端に咲いていた赤い花を摘むと、ミヅキはそれを帽子に差していた。不意にドルワは、胸が高鳴るのを憶えた。
「……」
「あ、赤くなってるよドルワ君。今さらようやく私に惚れたな?」
「ち、違いますよ」
「じゃあどうして顔をそむけるの?意識イシキ?意識した?」
「さ、さあ冗談言ってないで行きますよ!もうじき城が見えてくるはずです!」
 ずんずん大股でドルワは進む。その後ろをクスクス笑いながらミヅキが続く。
(全くもう、何言ってんだか……)
 山の中腹は木々の繁みで前が見えない。やがて道は曲がりくねり、坂の傾斜が緩やかになる。
「あ……」
 視界が開け、眼下に平地が見えた。そこには巨大な碗状の建造物が建っていた。その周辺にドルワが見た事の無いような形の建物が居並ぶ。
「何だあれ?」
 のどかな港の風景から一転、違う世界にやって来たかのような違和感。ドルワの頭からは、先ほどの赤い花の事はすっかり消えていた。
「あれは……城なんですか?」
 呆然とするドルワをよそに、ミヅキは感心したようにつぶやく。
「重力波通信に電波望遠鏡か……そりゃ、こういうところに建てるのがベストよね」
「ミヅキさん、一体?」
 尋ねるドルワにミヅキは言った。
「そうね……いい機会だからあなたが調べればいいんじゃない?」
「僕が?」
「そそ。君には資格があると思うよ」
 ミヅキはただ、微笑むだけだった。

   ×   ×   ×

 五の都にも三の都同様に大門があった。
そこをくぐると案内板が立っていたので、その指示に従って二人は『らいぶらりー』へ向かった。
「何か変だなあ……」
 キョロキョロ見回しながらドルワはしきりに首をひねっていた。
「どうしたの?何が変だって?」
「いや、何かですね……建物がみんな四角いじゃないですか。屋根とか軒先とか全然無いし。それに木とか石じゃないですよね、これ?」
 ドルワは立ち止まり、建物の壁を叩いた。
「石を積むなら継ぎ目があります。でも、ここの建物はそんなもの全く無いし……おかしいじゃないですか」
「そうだね、おかしいね」
 やがて二人は『らいぶらりー』と書かれた看板の建物に行き着いた。鉄の扉の前に立つと、不意に声がした。
「どなたですか?」
 声の主は見えない。扉の上にガラス玉をはめ込んだような機械がついている。どうやら声はそこから聞こえているらしかった。
「身分証明になるものを提示して下さい」
「は、はい。私は三の王・ハルが認めし番人のドルワといいます。この人は私の連れで、しずくびとのミヅキさんです」
 そう言いながら、ドルワは手帳を取り出した。そして機械に向かって金属製の表紙を掲げて見せた。
「確認しました」
 すると扉が音もなく開いた。
「どうぞ、お入り下さい」
「失礼します!」
 ペコリとお辞儀をしてドルワは入る。しかし中には、扉を開けてくれたはずの人の姿は無かった。
「あれ?」
 怪訝なドルワをよそに、スタスタとミヅキが歩いていく。
「さ、ドルワ君。行こ行こ」
「え、あ、はい」
 床には方向を示す矢印が書かれている。それを頼りに先へ向かうと、二人は再び扉にたどり着いた。
「お入り下さい」
 再び声が聞こえると扉が開いた。中は広々とした円形の部屋だった。
「ようこそ、三の国の番人さん」
 部屋の中央には少女が一人、椅子に座っていた。

   ×   ×   ×

「私がライブラリーを統括する、司書のアルジです」
「よ、よろしくお願いします」
 ペコリとお辞儀をしたのち、ドルワはまじまじとアルジを見た。

(白い……)

 アルジの肌は陶磁器のように白かった。髪の色は銀色で、瞳は青い宝石のようだった。彼女の着ている服も真っ白で、銀糸を縫い込んでいるのかキラキラ輝いている。

(こんな人が……いるんだ……)

「ドルワ君、見とれてないで話、話」
「え?あ?は、はい!」
 ミヅキの声に促され、ドルワはここに来た目的を話した。じっと聞き入っていたアルジはコクンと頷く。
「あなたの事は三の王・ハルから伺っております」
「え、いつ聞かれたんですか?」
「あなたが船に乗る少し前、遠耳の力を使い、王と話を——」
「はあ……」
 ドルワにはわけがわからなかった。
(船に乗るほど遠いのにどうやって話をしたんだ?とおみみのちから?何なんだ?)
 キョトンとしているドルワを見て、ミヅキはクスクス笑った。
「何ですか、ミヅキさん!」
 ドルワは小声で抗議する。
「ううん、可愛いなあって。悩める少年は可愛い。ドルワ君は可愛い」
「もう、茶化さないで下さい!」
 思わず声が大きくなったところで、おずおずとアルジが口を開く。
「あの、よろしいですか?」
「あ……すみません」
 ドルワは赤面した。
「それでは、ここ二〇年のしずくびとについての記録を探りましょう」
 アルジは小さく深呼吸をすると目をつぶる。白い服が更にキラキラと輝く。小さく可憐な唇が開き、澄んだ声を発した。
「りんく、すたーと」
 床や壁、天井に紋様のような継ぎ目が出現した。それらがきらきら輝くと光の奔流になる。ドルワには、光がアルジにどんどん注ぎ込まれているように見えた。
(あの光は何だ?何が起きてるんだ?)
 あ然としているドルワに、ミヅキは優しくささやく。
「彼女は今、この星の記録と繋がっているのよ」
「星の、記録?」
「そう、この星にあなたの祖先が降り立った時からの記録と記憶——」
 ふと見たミヅキの横顔は優しかった。愛おしさと懐かしさが入り交じったような、そんな目で彼女はアルジを見つめる。
(ミヅキさんは……アルジさんを知っているのか?)
 ドルワは、光に包まれていく少女をただただ見守るしかなかった。
「せつぞく」
 アルジの顔に、光の紋章が浮かんだ。

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)