スプラッシュゾーン12(終)

『スプラッシュゾーン 落下の時空』

○第十二話

 何もかもが、去っていった。

 ミヅキも、ミョウジンも、アルキも。皆、あの白い戦艦と共に去っていった。後に残されたのはドルワと、青天飄々の二人だけであった。

「さあて少年、どうする?」
 青天飄々は訊ねた。
「どうもこうも……今は、何も考えられません」
「そりゃそうだろな。よし、取りあえず五の都へ来い。アルジも会いたがってたからな」
「アルジさんが?」
 つい先程までドルワは、そのアルジと瓜二つのアルキを目の前にしていた。番人小屋のそばにある泉のほとりに彼等はいた。宇宙戦艦シルバーライトからはミョウジン大尉とハリス少尉とシンドウ軍曹が、かたや宇宙戦艦ホワイトステラからはアルキ・アケルナル中佐と護衛が数人。ミヅキとドルワ、そして青天飄々は立会人として——

「軍務ではありますが、正直言って皆さんが殺し合う意味は殆ど無くなりました」
 淡々とアルキは語る。抑揚の少ない、平坦で小さな声であったが、その響きはドルワの耳に心地良く感じられた。
「殆ど無い? 殆どと言うことは、多少はあるという事?」
「はい。多少」
「アルキちゃん、勿体つけないで言ってくれよ。上は何と言ってるんだ?」
「大将派の残りは閑職に追いやられ、今は中将派が実権を完全に掌握しました」
「何ですって? じゃあ、私への命令は?」
「命令は生きてます。中将さんが大将さんを殺してくれとミョウジンさんに頼んだのも、公式の命令ではありません。端的に言えば秘密の頼み事です。あったけど無かった事。したがってミョウジンさんは殺人犯であり、その部下の皆さんも犯罪人です。ミヅキさんは命令を果たさなければなりません」
「そんな?! 我々は中将閣下のため、宇宙軍の未来のために戦ったのに!」
 ハリス少尉が声を荒げるも、アルキは構わずあくまでも淡々と言葉を続けた。
「仮にクーデターとか起こしちゃって、軍事政権にでもなれば恩赦も出るでしょうけど、そんな無茶は中将さんも出来ませんし、そんな馬鹿げた野心があるようなタマではありません。政府や企業の軍に対する突き上げも厳しいし、下手な事はしたくない……でも、ここは遠く離れた惑星です。宇宙連邦からはまだ惑星E−1と仮の名前で呼ばれているに過ぎない、ゲート開通未定のスプラッシュゾーンの中の一惑星」
「スプラッシュ……ゾーン?」
 思わずドルワは聞き返した。聞き慣れない言葉の響き、スプラッシュゾーンとは——
「しずくびとにならなければ来られない、それくらいに遠くて険しい場所」
 ミヅキが静かに微笑む。穏やで優しい、いつものミヅキの微笑みだった。
「皆さん、私も含めて片道切符です。ミヅキさん、貴女は仮にミョウジンさんを殺すなり、捕まえるなりしたら、中央に帰るつもりでしたか? 或いはミョウジンさんと一緒に逃げて逃げて逃げまくるとか」
「それ……正直迷ってる。七三で」
(どっちが七なんだ?!)
「ミョウジンさんが見つけたゲートが何処に繋がっているかはわからない。中央に向かって、或いはスターロードの広がる何処かの星系に行き当たるか、そんな事はわからない。やってみないとわからないですよね」
 アルキはドルワを見た。ドルワにはアルキの言っている内容の殆どはわからない。しかし、彼には一つの確信があった。
(この人は……おそらく悪い話はしていない)
ドルワは微笑む。それを見たアルキも微笑むと、こう言った。
「さて、今ここに、一つの命令があります——」

   ×   ×   ×

 アルキへの『命令』とは、惑星E−1での新たなる『ゲート』の発見と確保であり、地元組織への管理の委譲と発見した『ゲート』のその先の調査であった。更に、補給並びに乗組員の補充については、

「現地調達もありです」

 という事だった。更には、

「艦長が適正ありと判断した場合、どんな人でもイイそうです」

 という事で、出自や犯罪歴など、任務に阻害がないとアルキが判断したならば、誰でもホワイトステラに乗り込む事が出来るという。
「と、言うわけで皆さん、ホワイトステラに来ちゃって下さい」

「お前はどうする?」
 ミョウジンはミヅキに訊ねた。
「いずれにしても、俺もお前も中央には戻れない。行くか、更なる外宇宙へ?」
「私は、ロウキ達の敵よ。それでも来いと?」
「来い」
 ミョウジンはミヅキを抱き寄せた。そして半ば強引にミヅキと唇を合わせると、更に二人は抱きしめ合った。思いがけない光景であったが、アルキはニコニコとこれを眺め、その他の戦い人達はただただ唖然と二人の抱擁を見つめていた。
「悔しいか?」
 青天飄々の問いかけにドルワは微笑む。
「いいえ」
「ほう?」
「何か、これでいいんだって……そんな気がするんです。だってミヅキさんの顔が、あんなに……嬉しそうです」
 陽の光を受けて、ミヅキの顔が黄金色に輝く。
(きれいだ……)
 ミョウジンを見つめるミヅキの顔は、ドルワが今まで見た中で、一番幸せそうな笑みに溢れていた。
「僕は、番人なんです」
 ドルワは言った。
「番人は、見届けなくちゃいけない」
 笑っているつもりでも、何か熱いものがこみ上げてくる。鼻がツンとなり、嗚咽がもれそうになる。しかしドルワはそれを飲み込むように力を込めた。
「強いな、少年」
 青天飄々は優しく呟いた。

   ×   ×   ×

「本当に、乗らないの?」
「ええ。僕はこの星ですらまだわかっていません。番人としてもまだ半人前です」
 一日を掛けてシルバーライトからの補給物質を搬入し、乗組員達もホワイトステラに乗り移った。後は出発するのみという段になり、山頂でドルワは、ミヅキと最後の別れを告げていた。
「ドルワ君なら、立派な宇宙船乗りになれると思うんだけどなァ」
「その前に僕は、立派な番人になりたい」
「ドルワ君……」
 ミヅキはドルワを抱きしめた。いつものミヅキの香りが、心地良くドルワの鼻をくすぐる。ドルワもミヅキを精一杯の力で抱きしめた。その後二人は、互いの鼻の頭が触れ合うくらいの近さで真っ直ぐに見つめ合った。ミヅキがそっとささやく。
「ドルワ君の今の顔、とっても凛々しい。君の一〇年後、見てみたくなったよ」
「え。じゃあ、この星にのこ……」
「ううん。でも帰ってくる。君に会いにね。立派な男になるんだぞ」
 ミヅキは、腰に差した小太刀を取り出した。
「これを……持ってて」
「え? でもこれはミヅキさんの……」
「これはね、シルバーライトのマスターキーでもあるの。もう一つ、レプリカキーはミョウジンが持ってるけど、こっちが本物」
「ますたー……きい?」
「そう。これで、あの船を動かす事が出来る。君が持っていて」
「ええっ?!」
 思わずドルワは、後ろに控える青天飄々とアルキを振り返った。
「もらっておけよ」
「で、でも……」
「宇宙戦艦シルバーライトはこの地に放棄します。地元の方にお任せしますんで」
「ああ。他の国の王とも相談するよ」
「じゃあ、ますます僕がもらっちゃまずいんじゃないですか?」
「じゃあ、言葉を変える。ドルワ君、ちょっとこれを預かっていてちょうだい」
「預かる?」
「私が取りに戻る、その時まで——」
「……はい」
 ミヅキは、ドルワの頬に軽くキスをした。

   ×   ×   ×

 ドルワには『ゲート』というものの正体も、どんな手段でミョウジンがそれを見つけたのかわからない。しかし、ホワイトステラが消え去った時の美しさは今でも憶えている。

(空が揺らいで、膜が出来た。ミヅキさんが落ちて来た時みたいに——)

 空には巨大な波紋が生じ、うねりを呼んだ。ホワイトステラは、あたかも膜をこじ開けるかのようにその舳先を突き立て、空はそれに抗うかのように閃光を発する。嵐のような風が吹き荒れる中、ドルワは事の次第を見届けようと必死に目をこらした。いつの間にか空には巨大な亀裂が生まれ、襞状になる。白い巨船はどんどんその身をその中へと進めていく。
(今度は……出て行くんだ)
 天空の襞からひねり出されるように、ミヅキはしずくびととして地上に落ちた。今、目の前で展開されている光景はそれとは反対の、しずくになるために飛び出していく、言わば旅立ちの姿であった。
(しずくになるための、苦しみ……)
 船は機械であり、痛みは伴わない。わかっていても、ドルワに思わず口に出して祈っていた。
「がんばれ!」
 ミヅキが落ちて来た時の光景が頭をよぎる。あの時もドルワは声を出して叫び、しずくの『誕生』を祈った。今はミヅキの、ミョウジンの、アルキの無事を祈り、叫んだ。
「がんばれ!」
 涙がこぼれる。顔に飛んできた小石や木片が当たるのも構わず、彼は叫んだ。
「さよなら!」
 巨大な船体が、天空の亀裂の中に消えていく。
「さようなら、ミヅキさん!」

 目の前が真っ白になり、何も見えないし聞こえない。青天飄々が何かを叫んだかもしれないが、それすらドルワにはわからなかった。再びドルワが我を取り戻した時には、すでに天空の襞は消え去り、大きな波紋が余韻のように空一面に広がっていた。そして細かな光の粒が辺りに降り注ぐ。それはあたかも、大きな石を水に投げ入れた時のしぶきのようであった。光の飛沫は、鮮やかに七色に輝く。
「きれいだ……」
「戦艦一隻を放り投げたんだ。そりゃ派手に飛ぶだろうさ。ま、ど偉い水被りだったな」
 いつの間にかドルワは青天飄々に抱きかかえられていた。よろよろと地に足をつけると、ドルワは船が消えた方向を眺めた。
「……ミヅキさん、約束ですからね」
 ドルワは、腰に差した小太刀を確かめるようにぎゅっと握った。

   ×   ×   ×

 ドルワはその後、青天飄々に誘われるままに五の都に立ち寄った。らいぶらりーの司書・アルジは、今度は微笑んで彼を出迎えてくれた。
「ドルワさん……お聞きになりたい事があるんじゃないですか?」
「え、ええ」
 聞かせたい話は沢山ある。しかし、一つだけ聞きたい事がドルワにはあった。
「アルジさんは、アルキ・アケルナル中佐という人を知っていますか?」
「はい。彼女の船がしずくとなって落ちて来たのは、あなた方が五の都を出立してしばらくしてから。アルキさんに驚いた番人が、王様に申し上げたら大層面白がられて……私とアルキさんの対面式を組まれたんですよ、王様ったら」
 珍しく、アルジはクスクスと笑った。
「彼女は私と同じ一族……いえ、同じ遺伝子を元に生み出されたマシン・チャイルドです」
「ましん、ちゃいるど?」
「機械の扱いに長けた、人間電算機と申しましょうか……彼女は、あの大きな船を一人で操縦する事が出来るんだそうですよ、すごいですね」
「いえ、アルジさんだって……」
 アルジは、アルキと情報交換をする事で、この星の未来が見えたと言う。
「私は為政者ではありませんが、情報を提供する事が出来ます。それが未来への指針になります」
 それからドルワは何日も掛けてアルジに色々な話を語った。初めてミヅキと出会った時の事や父の死、ミヅキの様々な戦い、青天飄々との出会い……ミヅキがいつも青天飄々にからかわれてカリカリしていた時の事を話すと、アルジは声を上げて笑った。心地良い、軽やかな笑い声だった。アルジは言う——
「王様に口で勝てるのは、おそらくこの星ではいらっしゃらないのではないかしら」
「そういえば本当の名前を教えてくれなかったな。あの、アルジさん、青天さんって何て言う名前なんですか?」
「五の王、その名はカエラム」
 アルジは微笑んだ。
「ドルワさんは、とても素敵な旅をして来たのですね」
「はい」
(でも、まだ終わりじゃないんだ)
 さんざん引き留める青天飄々ことカエラムの誘いを断り、ドルワは三の国への旅を続けた。途中、夜盗に襲われたり、立ち寄った街での厄介事に巻き込まれたりもしたが、ミヅキとの旅が彼を知らないうちに『強い男』に変えていた。彼は、父の遺した二つの腕輪とミヅキの小太刀を使って悉く困難を打ち倒し、三の都へ帰り着いた。

「相わかった——」

 三の王・ハルにまみえたドルワは、事の次第を簡潔に、しかし順を追ってわかりやすく報告をした。それを聞いてハルは労を労う言葉を掛け、あらためて番人の職に励むようにと褒美を手渡した。それはかつてハルがアルジと会話をするのに使用した遠耳の力、すなわち通信機だった。

「五の国のアルジに学ぶが良い。あの力はお前をより良き方向へ導くであろう」

 その晩は、番人頭の屋敷でドルワの帰還を祝う宴が賑やかに行われた。したたかに酔ったザンカは、ドルワを小突きながらも嬉しげに何度も繰り返し言った。

「マッセ、お前の息子は立派になったぞ!」

 あらためてドルワは父に誓った。
(僕は、一人前の番人になります)
 翌朝、ドルワは山へ帰った。番人小屋は、ザンカのお陰で整然と、変わりなくいつもの場所に立っていた。扉を開き、思わずドルワはつぶやいていた。

「父さん、ただいま……」

 彼の旅は、ようやくここに終わりを告げた。

   ×   ×   ×

 あれから幾年、時を重ねただろう。小さかったドルワは、いつの間にか精悍な若者になっていた。遠耳の力を通じてアルジから学問を学び、年に数回訪れる青天飄々からは武術を習った。数年前におぼえた酒はザンカよりも強くなり、番人達の取りまとめを彼に代わって執り行う事もしばしばだった。

「お前、一人前になったなあ」

 つい数日前、ぽつり呟いたザンカの言葉は、ドルワの心を打った。そしてそれ以来、彼は一つの期待を胸に抱くようになった。

(来る……)

 いつの頃からだろうか。ドルワは、様々な予兆を感じ取り、しずくが落ちて来る頃合いをかなりの精度で予想する事が出来るようになっていた。彼は亡き父の言いつけを守り、事あるごとに空を見つめ、山を歩いた。しずくが落ちて来る度にその前後の様子を書き付けては取りまとめた。そして、何となく法則のようなものを感じてからは、この世の全てが違って見えるようになった。
(この世界は、向こう側に繋がっている)
 向こう側に何があるかわからない。しかし、向こう側を更に越えたところに、同じく生を受けた人間が暮らしている世界があるのだという事を彼は確信していた。

(今度のは大きそうだな)

 ミョウジンの見つけた『ゲート』は九つの王国の共同管理の下、アルジを中心にした調査団によって長年かけての解析調査が行われていた。遠耳の力を用いての会話中、半ば途方に暮れたようにアルジは嘆いた。
「ゲートをくぐったミヅキさん達が何処に行き着いたのかわかれば、一番いいのでしょうけどね」
 この星は、人がしずくとなってゲートをくぐる術を持たない。しかし、ミョウジンの遺した戦艦シルバーライトがある。
「宇宙戦艦はな、フィールドってえ目に見えない障壁を作る事が出来るんだ。そのうち誰かが行ってみないといけないな、向こうの世界に。俺が行くかな?」
 以前、青天飄々が立ち寄った際に、そんな事を笑いながら言っていた。当然、ドルワは反対した。
(国王が仕事をおっぽり出して行っちゃダメでしょが。やっぱり、俺が行くしかないだろうな)
 ドルワは密かにシルバーライトのマニュアルをアルジから借り受け、様々なセクションの操作方法を勉強していた。一人で動かすのは無理だとしても、人に教える事は出来る。そうすれば希望者を募って乗組員を選抜する事だって可能な筈である。国王ハルにもその旨を進言し、『宇宙学校』を作る算段も進めている。
(でも、その前にちゃんと許可をもらわないと駄目だよなァ)
 ドルワは常にミヅキの小太刀を帯に差していた。シルバーライトのマスターキーでもあるその刀は、同時にドルワとミヅキの約束の証しでもあり、絆そのものであった。

 ある日の午後、ドルワは確信した。そして夜を迎え、その確信は実感となった。

(もうすぐ……来る!)

 月は隠れ、星も姿を消した闇の中、空が揺らいだ。まるで空に膜が張られているかのように何度も揺らぎが走る。そのうねりは山よりも大きく、波頭はぼんやりと光を帯びる。幾度ものうねりの果てに、不意に天空の膜は膨れ上がった。

(落ち着け…落ち着くんだ)

 あれ以来、沢山のしずくが落ちて来るのを見てきたドルワであるが、何故か今回は胸が高鳴る。それは、抱いていた予感が更に高まっている事を意味していた。ドルワは小太刀に手を触れる。

(来た!!)

 その時、ドルワが目にしたのは、白く輝く巨大なしずく、宇宙戦艦ホワイトステラが暗闇を裂いて出現する姿だった。

 ドルワは、高揚した。

<終>

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)