スプラッシュゾーン05

『スプラッシュゾーン 落下の時空』

○第五章

 ロウキとの戦いののち、ミヅキとドルワは何事もなく旅を続けた。平原を抜けて街道に入り、宿場街をいくつか過ぎると、ある山に行き着く。そのふもとには王都の入り口である大門があり、その門前には『一の街』と呼ばれるにぎやかな街があった。

「一の街は市の街……方々から色んなものを売りに来る人でいっぱいです」
 一の街の大通りを歩きながら、ドルワはミヅキに王都の概要を語る。
「ふーん、市場のいちかァ。ああ、一応は戦いに備えているんだ」
「戦い?」
「ほら、この道まっ直ぐじゃないでしょ?そこは袋小路になってるし、入り組んでるから敵が来ても時間稼ぎになるじゃない」
「敵……」
 何度も来ている場所であったが、ドルワはあらためて街の辻から周辺を見渡す。
「敵なんていませんよ」
 王都の周辺には小さな集落が幾つか散在していたが、とても攻め込んでくるような存在ではあり得ないとドルワは言った。
「みんな日々を暮らすのに精一杯で、邪な気を起こす間もありません」
「もっと遠くには無いの?この王都みたいなトコロって?」
「ああ、説明してませんでしたね。ええっと……あれ?」
 ドルワを置いてミヅキがすたすらと歩いていく。その自然さは、さもこの街を歩き慣れているかのようであった。
(ミヅキさん、この辺りの地理をもう把握したのか?)
 あらためてドルワはミヅキの能力の多彩さに感嘆した。
「おーい、ドルワ君おいでおいで!」
 店の前でミヅキが手を振る。
「ここのお店、何だかおいしそうだよ!いい匂い!食べよう食べよう!」
(ただの腹ペコか……そういや、山の中でも食べ物を見つけるのは上手かったもんな)
 ドルワはいささか落胆したが、『おいしそう』を目前にしたミヅキの笑顔を見て、それもありかと思い直した。
「はいはーい、今行きますよ」
 ドルワは生返事をしながらも、しっかり財布の中身を確認していた。

   ×   ×   ×

 その店は、焼き菓子が名物だった。何度も店の前を通ったことのあるドルワであったが、中に入るのは初めてだった。
「いいお店ね」
 奧の席に陣取り、しばし見渡してミヅキはつぶやく。
「こういう趣味って、人は忘れないものなのね」
「こういう?どういう趣味ですか?」
 気まずそうにドルワは尋ねる。
「どういうって……ほら、カワイイじゃない?」
「カワイイ、ですか?」
 ドルワはあらためて店内を見回すが、何がどうカワイイのかよくわからなかった。
(花が飾ってあるのがカワイイのかな?それともあの棚の上の人形?)
 それよりも店の客が自分を除いて全て女性であることにドルワは気後れしていた。一人でお茶を飲んでいるのも、数人で談笑しているのも皆若い女性ばかりである。ドルワは思わずため息をついた。
「どうしたの?顔赤いよ?」
 やがて紅茶と菓子が来ると、待ってましたとばかりにミヅキは食べ出した。
「おお、やっぱり!リンゴとシナモンがいい感じ!バターの風味もいいわ」
「何がやっぱりなんです?」
「この店が美味しそう!っていうヨカンよ、ヨカン」
「ヨカンですか……」
「そう、ヨカンヨカン♪」
「ミヅキさん、向こうの世界でもこういうものを食べていたんですか?」
「うん。リンゴシナモンのパウンドケーキは大好きだったわ。それにこのトルテ……」
 ミヅキは更に菓子をつかむと、一気に口に放り込む。
「ほへもほいひい……うんうん……」
「ミヅキさん……食べていいですよ、全部」
「あひはほ」
 呆れながらもドルワは手帳を取り出す。父から託されたそれは、番人についての記述などの他に、地図や星図なども織り込まれていた。
「王都は、正確には『さんのみやこ』と言います。さんは三番目の三。文字もこの地図にもあるように三の都、と」
「三番目の都市、ってこと?」
「はい。王様も『三の王』と呼ばれていますが、本当の名前は知りません」
 ドルワは手帳に折り込まれていた地図を広げると、大陸の山間部を指さす。
「これが今僕らがいる三の都。この他に、あと八つの王都があります。合わせて九つの都にそれぞれ九人の王様がいて……この九人の王様が集まって話し合って色んなことを決めています」
「合議制かァ。まだ生きてたんだ、エライ」
「え?」
「いやいや、お話をお続け下さい、先生」
「続けるも何も、そんな感じです」
「おしまい?」
「はい。後はミヅキさんご本人が王様にお尋ねになるのがいいんじゃないですか?」
 手帳をパチンと閉じてドルワは言った。
「どうやらミヅキさん、この世界についても色々ご存じのようですから」
「え?何のこと?」
「今さっきの上から目線な発言といい、お菓子といい……」
「何だ、全部食べていいとか言って、やっぱり食べたかったんじゃない」
 無邪気な微笑みを浮かべてミヅキが見つめる。ドルワは思わずため息をついた。
「取りあえずそれを食べたら、二の街へ行きましょう。いろいろ話を通さないと」
「了解♪」
 ミヅキは皿の上の菓子に手を伸ばした。

   ×   ×   ×

 二の街は、一の街を出て坂道を上る。街道よりもその幅は狭いが、石畳が敷かれて歩きやすい。左右には棚状の畑が広がり、農作業が行われていた。
「一の街が商売なら、二の街は役所の街です。いろんな手続きをするための役所とお役人が住んでます」
「ちょっとした行政区ね」
「今から番人頭のお屋敷に行きます。話がついたらミヅキさんはお城へ行って下さい」
「ドルワ君、一緒じゃないの?」
「僕は番人頭さんと色々話があるんで。父の報告とか、引き継ぎとか」
「そうか……そうだったね……」
 ふと、ミヅキの顔が曇った。
「これでお別れ?」
「さあ、わかりません。でも……」
「でも?」
「僕の勤めはこれでおしまいです」
 どういう顔をしていいかわからず、ドルワは仏頂面でそう言った。

   ×   ×   ×

「相わかった——」
 報告を受けた番人頭・ザンカは言った。

 番人頭の屋敷は二の街の外れにある。ドルワが通された広間からは王宮がよく見える。ドルワは、ミヅキが落ちてきた時の様子から始まって、家に保護したこと、襲撃を受けたこと、マッセがいかに勇猛に戦ったかを語り、それからのミヅキとの道行きで受けた二度の襲撃についても出来うる限り詳細に説明した。
「不意な任務代行、誠に御苦労だった」
「ありがとうございます」
 正座のドルワはぺこりと頭を下げた。目の前に座るザンカに会うのはこれで三度目である。一度目はマッセに引き取られた時の顔見せ。二度目は年明けの挨拶にて。いずれもこの屋敷のこの広間で、ドルワはザンカと相対した。過去の二度は彼の横にはマッセが座っていたが、今回は当然、一人であった。
「まぁ、崩せよ」
 不意にザンカはそう言うと、自分から正座を解いて胡座をかいた。厳めしい顔が一転、柔和になる。
「お前さんも、これからは俺達と同じ番人だ。もちろん王様からの正式な任命ってのはちょい後になるがな」
「はい」
「マッセはいい跡継ぎを見つけた——」
「ありがとうございます」
「だから崩せって、足」
「は、はい」
 再び促され、あわててドルワは胡座をかいた。
「……これからは一人だぞ」
「その覚悟は出来ています」
「とはいえ、まだまだ心許ない」
 じろりとザンカは見つめた。
「いくらあのマッセが仕込んだといっても、まだまだだ。お前さん、これからどんどん身につけなきゃいけないことは沢山あるんだ……と、いうわけで——」
 寡黙なマッセと違い、ザンカは快活で豪快な男だった。声が大きく、目もぎょろりと大きい。しばしドルワを見つめたのち、あっさりと言った。
「旅に出ろ」
「?」
「王都と山の往復だけじゃわからんことは多い。本だけじゃわからん、やってみないとわからん、他にも色んなわからんがある」
「旅とは……一体何処へ?」
「それは、あの人次第だな」

   ×   ×   ×

 ミヅキが案内されたのは、城の上部にある一室であった。
「ここって……天守閣、かな?」
 室内には家具の類は何も無く、ガランとしていた。床板は黒光りしていて、柱は太い。大きく開け放たれた窓からは王都の全貌が見えた。
「へえ……」
 中腹から広がる二の街、三の街は末広がりにふもとまで続き、その要を束ねるように王の居城は山の頂上に位置していた。折から夕景、照明が次々と灯されて街を彩る。
「いかがですか、この街の景色は?」
 階段を上ってきた男が声を掛ける。ミヅキは振り返るとにっこり微笑んだ。
「まるで扇ね。キレイな扇を広げたよう」
「ありがとうございます」
「あなたが、王様?」
「はい」
 穏やかな目をした男は軽くお辞儀をした。
「私が三の王、ハルと申します」
「初めまして。ミヅキです」

 相対して座る二人の前に茶が置かれる。
「緑茶?いい匂い……」
「懐かしい匂いですか?」
「うーん、むずかしい質問ね」
 ニヤリとミヅキは笑った。
「私にとっては一瞬の道行きだったから」
 続いて茶請けが運ばれる。白と緑の練り切りにはそれぞれ花と鳥の絵が描かれていた。
「ああっ、カワイイ♪」
「これもお好み?」
「ええ、ええ。和菓子大好き!」
 無邪気にはしゃいだミヅキであったが、ふと真顔になるとあらためてお辞儀をした。
「街の繁栄、人々の暮らしの豊かさ……よくぞここまで。ご苦労様でした」
「私は大したことをしていませんよ」
 ハルはあくまでも穏やかに微笑む。
「私は連邦に決められた規律に則って治め、日々を過ごしたに過ぎません」
「いいえ。はるか遠く離れたこの地で、このようなものをいただけるなんて……素敵です」
「私で五代目になります」
 ハルは微笑みを絶やさない。
「初めてこの地に降り立った初代の苦労を思えば、私など……」
「正式なルートが開通されれば、この星は連邦にとって価値あるターミナルになると思います」
 ミヅキの言葉にハルは首を振る。 
「私の代で実現は難しいでしょう。落ちるだけでは戻れない」
「戻れないから……逃げてくる」
 ミヅキはつぶやく。
「追っているのですね」
「はい」
 ミヅキはうなずく。
「私の使命は、ある男を捕まえること」
「ある男?」
「この星に落ちてきた男……ミョウジン」

   ×   ×   ×

 ミヅキが城門から出てきたのは、空が夜色になった頃であった。
「あ……」
 二の街に続く道の真ん中に立っていたのはドルワであった。
「ドルワ君!」
 思わずミヅキは駆け寄った。
「どうしたの、一体?」
「またしばらくご一緒致します」
「え?」
「番人頭様からのご命令です。しずくびとミヅキに同行し、事の次第を記録、報告せよとのことです」
「事の次第……?」
「いくらミヅキさんがしずくびとだからといっても、この先々自由に各地に行ける保証はありません。そこで——」
 ドルワは手帳を取り出す。その金属製の表紙には、以前には無い特殊な紋様が刻まれていた。
「あれ、それは……?」
「九の王都が一つ、三の国が王・ハルが認めし番人の証し」
 ドルワは照れくさそうに微笑む。
「これがあれば、九の王都二〇の関所、その他諸々が自由に往来できます。ですから……うわっ!?」
 言い終わらないうちに、ドルワはミヅキに抱きしめられた。顔に柔らかい感触を憶え、目の前が真っ暗になる。
「ミ、ミヅキさん?」
「嬉しいよ、また一緒だ!」
 更にミヅキの腕に力が入る。じたばたしていたドルワだが、あることに気づいた。
(逆らわなければ……意外と楽?)
 ドルワは敢えて身を任せ、ぎゅっとミヅキを抱きしめ返した。一瞬ミヅキはびっくりしたが、再び微笑むとあらためてドルワを抱いた。
「いい匂いがします」
 ドルワは言った。
「ふふ、上手ね」
「え、何がです?」
「そういう言葉とか、いろいろよ」
 抱き合ったまま、二人はお互いを見やった。
「私と一緒だと大変だよ。この間のようなヤツらが襲ってくる」
「大丈夫です。ミヅキさんは強いですから。それに……」
「それに?」
「いざとなったら、僕がミヅキさんを守ります。番人ですから」
「言うわね。フフ、じゃああらためて——」
 二人は離れ、ミヅキはドルワに右手を差し出した。ドルワも応えてその手を握る。
「よろしくね、ドルワ君」
「よろしくお願いします、ミヅキさん」
 二人は笑い合い、互いの信頼を感じた。

   ×   ×   ×

 一夜を番人頭の屋敷で過ごすと、翌朝、ドルワは再びザンカとまみえた。今度はミヅキも一緒である。
「一〇代目番人頭、ザンカと申します」
「ミヅキ・ホシカワ。階級は大佐です」
(そういや……名前を全部聞くのって初めてだな)
 昨日の感動の瞬間は何処へやら、ドルワは再びミヅキに対する違和感を覚えた。
(知らないミヅキさんがいっぱいある。向こうの世界でのミヅキさん……)
「王より話は聞いております。ミョウジンという男を追いかけていると」
「はい」
「残念ながら、この国にミョウジンという男が落ちてきた記録はありません」
「しかし、私を襲った者達はミョウジンの部下でした」
「九ある王国のそれぞれにしずくびとが落ちてくる門が複数存在します。いずれより落ちて、いずこにいるのかは調べるしかありません」
「うわ、あと八つ回るんだ。めんどくさ」
 ミヅキは思わずいつもの口調になる。
「ああ、いや。失礼しました。ホホ…」
(何だかんだ言っても、こっちが地のミヅキさんなんだろうな)
 あわてて取りつくろうミヅキを横目にドルワは初めて口を開いた。
「差し当たって、五の王都に行ってみたいと思います」
「ほお、どうしてだい?」
 ドルワの言葉にザンカがニヤリと笑った。
「五の王都には全ての国からの記録が集められています。当然、各国の番人からのしずくびとに関しての報告もそちらへ。それを調べます」
「うむ。それが順当だな」
「さっすがドルワ君♪」
「僕の不在の間ですが……」
「ああ、お前の『門』の番は、わし達が何とかしよう」
「お願いします」
「マッセの墓も任せとけ」
「ありがとうございます!」
 ザンカの気遣いに、思わずドルワは胸が熱くなった。
「父をよろしく、お願いします!」

   ×   ×   ×

 出立は昼過ぎ。空は晴天、風ひとつ無い中だった。見送るザンカと別れ、二人は来た道を戻り街道に出た。
「さてさて、いよいよ二人の珍道中だよ」
「珍、ですか?どちらかというと長くて辛い旅になりそうな気がするんですが」
「バカねえ、気の持ちようで何とでもなるものよ。私とドルワ君、二人で送る愉快な旅に乞うご期待! ね、楽しくなってきたでしょ?」
「乞うご期待って、誰に乞うんですか?」
「そうねえ……私はドルワ君、ドルワ君は私にご期待すればいいんじゃない?」
「僕がミヅキさんに、ですか」
「そそ、私に。だからさ、期待する」
「……」
「君に期待してる。ねっ、ドルワ君」
「……努力します」
 ミヅキに見つめられたドルワは、そう返すのが精一杯だった。
(これからが本当の旅だ)
 ドルワにはこの先どうなるのか、見当もつかなかった。

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)