スプラッシュゾーン08

『スプラッシュゾーン 落下の時空』

○第八話

「ドルワ君、雪だよ雪!」
「わかってますよ。あー寒い」
「丸くなるのはネコ!子供は風の子だよ。何そんなに縮こまってるの?」
「寒いからに決まってます。ところでカゼノコって何ですか?」

 ドルワとミヅキは高原地帯に来ていた。五の都がある島から船で二〇日、陸行で一〇日。登山口にある関所を通って更に三日。雪山に囲まれた標高の高い盆地、そこに七の都はあった。

「あそこの山に『門』があるそうです」
「問題の門ね……あっ今韻踏んでたよね、ちょっとラップ?ラップっぽい?」
「らっぷ?」

 五の都の司書・アルジは言った。

「七の都からの報告、『門』が一つ、番人からの報告しばし無し。差し向けること能わず。山の門は高く険しく。向かうこと困難なり」

 更にアルジは言う。
「ここ数年、七の都は番人に欠員あり。よって山の門への立ち入りはしばし無し」
 ミヅキは尋ねた。
「しばしって、どのくらい?」
「この年の暦で三年あまり」
「ビンゴ!」
 ミヅキはニヤリと笑った。
「ありがとう、アルジ」
「いいえ、これが私の仕事ですから」
 ただただ呆然としているドルワに、ミヅキは静かに微笑んだ。
「あなたも尋ねたい事があるのでしょう?」
「え?」
「ドルワ君、聞いちゃえ聞いちゃえ。色々と不思議君だったじゃない、建物とか」
「え、えーと、それじゃあですねえ……」

   ×   ×   ×

 七の都にやってきても、五の都……とりわけアルジについての記憶は、いまだドルワの頭の中で鮮明に甦る。
(きれいだったな……)
 光に包まれたアルジは美しかった。朝日が山の端を照らすように彼女の輪郭は金色に輝き、肌の白さはひときわ透き通るようだった。何より驚いたのは彼女の顔に浮き出た光の紋章のようなものだった。
(あれは……何だったんだろう?)
 不思議な事に、その紋章はどことなくミヅキの持っている刀の柄に刻まれた模様にどことなく似ていた。
(そういえばミヅキさん。時折、この世界について懐かし気な様子を見せるよな)
 
「おーい、ドルワ君。スープさめちゃうよ」
「え、あ、は、はいッ?!」

 ドルワとミヅキは登山口近くの茶店で食事を取っていた。装備を調えてそのまま『門』のある中腹に行く腹づもりだった。
「ドルワ君、あれ以来ポワーンが多いよ」
「何ですか、ポワーンって?」
「五の都。アルジちゃんに会ってからポワーンばっかり」
「え?!」
「可愛かったもんねー、アルジちゃん」
「いやいやいや!」
「……彼女のおかげで……ここまで来た」
「?」
「あと、もう少し……」
 ミヅキは山を見つめていた。ふと表情が翳る。
「あと少しで……」
「え?」
 ドルワの視線を感じて、ミヅキはいつものように軽口を叩く。
「さ、さ、ご飯食べたらいざ冬山だよ!ヤホーッ!ヤホヤホーってね♪」
「何ですか、ヤホーって?」
 とりあえず突っ込んではみたものの、ドルワもまた感じていた。

(もうすぐ終わるんだな)

 あと少しで何かが終わる。
 かつてミヅキは、三の王に語った。自身はミョウジンという男を追いかけていると。そして更に、ミヅキを襲った刺客達も彼女の知り合いであった。最後の勝負に臨んだロウキが親しげな会話をミヅキと交わし、そして倒されたのもいまだ記憶に新しい。
(ミョウジン……どんな人なんだろう?)
 ミヅキはドルワに自身の目的について詳しく語らない。ドルワも敢えて尋ねない。尋ねないままここまで来た。
(あらかじめミヅキさんが落ちてくるのがわかっていたとしても、わざわざ七の都から船に乗って何日も歩いてやってくるのは大変だ)
 亡父・マッセは言った。

「空がよどむ時、しずくがやがて落ちてくる」

 それがすぐなのか、その晩なのか、或いは次の日なのかはわからない。ひょっとしたら数日後になるかもしれない。
「だから我らは待つのだ。予兆を読み、しずくが落ちてくるその時まで」
 それこそが番人の使命であり、役割であるとマッセは言った。
(空がよどむ時、か……)
 マッセから教わったとはいえ、ドルワが実際に経験したのはミヅキが落ちてきたあの日だけである。
(もしかしたら、ミョウジンという人はしずくの落ちるのがわかるのかな?)
 それは無い、とドルワは思い直す。五の都がしずくの記録を統括するのは、情報を共有するためであった。予兆を感じる事は出来ても、予報をする事は出来ない。いくら光り輝く司書・アルジでも、長年の記録から法則性を見出す事は不可能だと言った。

「しずくは、意志あって落ちるもの。人の思い、予測かなうこと能わず」

(ミヅキさんは、どういうつもりで落ちて来たんだろう?)
 食事を終え、少々の休憩の後、登山用の装備を身につけた二人は急な坂道を歩いていた。ミヅキは無言で先を行く。彼女の後ろ姿を見つめながら、ドルワはふと考えていた。
(ミョウジンという人と、ミヅキさん……)
 今まで気にしていなかった、ミヅキの過去が気になる。
(ミヅキさん達はどんな関係なんだろう?)
 今まで耳にした話を信用すれば、ミヅキはミョウジンを追いかけてこの世界にやって来たという。彼女を襲い、そして倒されていったロウキ達は、どうやらミョウジンの部下らしかった。しかも——
(ロウキともミヅキさんは知り合いだった。しかもミヅキさんの方が『上』っぽい)
 自分とザンカの関係のようなものか、とドルワは考えた。番人と番人頭。部下と上司。ミヅキはロウキ達の……

「どうしたの、ドルワ君?」

 不意のミヅキの声に思わずドルワは叫んだ。
「あ、いや、おかしら!」
「かしらァ?」
 思わぬ返事にミヅキは絶句した。
「あ、いや、その……」
 しどろもどろになったドルワを見て、今度はミヅキが笑い出す。
「あはははははッ!何?オカシラって!おっかしーーッ!あはははははッ!!」
「そんな、大笑いする事の程じゃないでしょう?」
 すかさずミヅキが突っ込む。
「じゃあ何でオカシラなんて言ったわけ?」
「えーと、それは……」
「あたしの部下になりたいとか?弟子入り?」
「……ミヅキさん、追い掛けている人とはどういう関係なんですか?!」
 一足飛びにドルワが尋ねた。思わず言葉が震える。
(言っちゃった。でも、もう……)
「……」
 ミヅキの笑顔が一瞬翳った。
「ロウキはミヅキさんの部下っぽかったけど、ミョウジンという人は一体誰なんです?」
(もう、旅は終わりなんだ。だから聞きたい。だから知りたい!)
 空の青さが山頂の白さを際だたせる。ほんの少しの沈黙の後、ミヅキは見上げながらつぶやいた。
「ちょっと……待ってね」
 
   ×   ×   ×

 その後、二人は無言で山道を急いだ。
(怒らせちゃったかな……)
 この道を行けばいずれは真相を知るのは間違いない。しかし、ドルワは自分の意志で事実を確かめたかった。
(僕は、ミヅキさんの味方でいたいんだ)
 だから敢えて聞いた。その結果はミヅキの沈黙だった。
(聞かなきゃよかったのかな、やっぱり)
 ドルワはどんどん悲しくなってきた。歩を進めるにしたがって何かがこみあげる。目の奧が熱い。

「もう、しょうがないなァ」

 不意にミヅキは振り向いた。その顔はいつにも増して優しかった。
「私にもね、覚悟がいるのよ」
 思わずドルワはミヅキに抱きついていた。
「ドルワ君?」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
 ドルワは泣いた。ミヅキは、そんな彼を優しく抱きしめる。
「何で謝るの?」
 ドルワは涙が止まらなかった。自分でもどうして泣いているのかわからない。
「私……ドルワ君が聞いてくれるの、待っていたのかもしれないな」
 ミヅキはドルワの髪を撫でる。
「君に見届けてもらうためにも言わなきゃね。私の任務と、私の……色々」
「いろいろ?」
「そう。色々」
 ミヅキは微笑んだ。

   ×   ×   ×

「私は宇宙軍の大佐、ミヅキ・ホシカワ」
「それは前にも聞きました」
 二人は再び歩いていた。今度は横に並んで、ミヅキがドルワの手をしっかりと握る。
「宇宙軍は戦う仕事。私は軍人、戦う人」
(たたかいびと……)
 ドルワはマッセの言葉を思い出す。

「番人とたたかいびとは違う」
「俺と人殺しを一緒にするな」

(人殺しの仕事……)
 襲われたとはいえ、ミヅキは刺客達を全て殺している。それは仕事だから、なのか。
「当然、血なまぐさいこともやってるよ」
 いともあっさり、目の前のドルワの心を見透かしているかのようにミヅキは言った。
「だけどね、それは守りたい人のためだと思ってる。問題は相手にも守りたい人がいるってところ。だから悲しいことも多い」
「何で、そんな仕事を選んだんですか?」
 ドルワは聞かずにはいられなかった。
「宇宙軍は宇宙の軍。戦ったりもするけれど、あちこちの星に行けるのがね」
「星を……行くんですか?」
「そう。大きな船でね、すごい速さで飛ぶの」
「船ェ?」
 思わずドルワは大声を上げた。
「本当よ」
「信じられませんよ」
「私が住んでいた所ははるかはるか遠い所。宇宙船でもなかなか行くことが出来ない。そんな遠い場所に行くために人は門をくぐる方法を見つけたの。私はその門をくぐってこの世界に来た」
「しずくびとになって?」
 ミヅキは微笑み、軽くうなずく。
「証人は君。それは本当でしょ?」
「ええ、まあ……」
 登山路は次第に傾斜を増し、やがて中腹に出た。緩やかな斜面に草が茂り、さながら緑の絨毯が広がっているかのようだった。
「これなら冬はスキーが出来そうだね」
「すきー?」
「うん、ドルワ君スキスキーってね」
「からかわないで下さい!」
 ドルワは思わずミヅキの手をふりほどいた。
「あら、ひどい」
「少年の心を弄ぶからですよ」
 ドルワは斜面の上方にある森に向かってずんずんと歩を進めた。
「おそらく番人の小屋はあっちです!」
 結局、ミヅキの言っていることはドルワには半分もわからない。どこまで本当でどこまで冗談なのか確かめる術が無かった。
(結局、はぐらかされるんだ)
 ドルワは自分が無知なことを憎んだ。
(せめて、僕が一人前の番人の時に……会いたかったな、ミヅキさんと)

   ×   ×   ×

 小屋は無人だった。
 ずいぶん不在の期間が長かったせいか、室内は埃が積もり、蜘蛛の巣だらけだった。
「しずくびとの為の小屋も見てみましょう」
 小屋を出てすぐにもう一つの小屋がある。ドルワが扉に手を掛けようとした時、ミヅキがその手をぎゅっと掴んだ。
「?!」
 ミヅキは厳しい表情で首を振る。
(誰かいる?!)
 動揺するドルワに、ミヅキは言った。
「誰もいないわ。トラップよ」
「とらっぷ?」
「見てごらんなさい。引き戸の溝、埃が溜まってない」
「あ……」
 ドルワを退かせ、ミヅキはカバンから何かを取り出した。
(糸?)
 糸の先には小さな爪状の金具がついている。ミヅキはそれを扉に向かって投げつけた。ガチッと爪は戸の端に打ち込まれる。ミヅキは巻いてある糸を伸ばしながら数歩後退し、身構えた。
「ドルワ君、もう少し離れて」
「え、あ、はい……」
 ドルワが更に後退したのを確認すると、ミヅキは糸をグイッと引いた。引き戸が開く。

 バチバチバチッ!!

 扉の上下を幾つもの閃光が走った。
「うわっ?!」
 思わずドルワは両手で顔を覆う。
「やっぱりねぇ」
 ミヅキはブスブスと燻っている扉にあらためて近づく。
「見てごらん」
 ミヅキに促され、恐る恐るドルワは近づいた。入り口の上下に薄い鉄板のような物が数枚取り付けてある。
「これがイカヅチの正体ですか?」
「うん。そして兼・警報装置」
「けいほう?」
「誰かがここにやって来る、ってことを知らせるための機械だよ」
 ミヅキは糸を巻き戻すとカバンにしまった。
「さあ、これであたし達は敵を呼び寄せてしまいました。どうしましよう?」
「ずいぶん嬉しそうですね」
 ドルワにはミヅキの笑顔の意味がわからなかった。
「だって、もしここを完全に引き払ってたら損じゃない。こんなもの付けてるってことは、まだ少なくともこの山の何処かにいるわね」
 ミヅキは辺りを見回した。鳥の声がのどかに木霊する。近くに泉があるのか、せせらぎの音が聞こえる。
「何はともあれ小休止。食事にしましょ」
 二人は泉に向かった。

   ×   ×   ×

「こんなに呑気でいいんですか?」
「呑気じゃないよ。作戦会議だよ」
「いや、ホラご飯粒が口の端に……」
 ドルワは泉のほとりで地図を広げていた。
 隣でミヅキは茶店で用意してもらった握り飯を頬張る。
「いいんですか、地形をわかってないと戦いにくいんじゃないですか?」
「うん、だから見てるよ。うんうん……よし、わかった!」
「ホントですか?」
「わかったよ。ここは山!で、私達は中腹の泉にいる!」
「はいはい」
(結局、この人ははぐらかすだけなんだ)
 ドルワは思った。
(戦う人っていうのはこういう人ばかりなのかな?)
 本音を悟られれば不利になる。相手の本音を掴んで自身は語らず。それは戦いには良いのかもしれない。でも——
(僕はたたかいびとじゃない)
 そんな人間にはなりたくない、見たくもない。しかし、ミヅキははぐらかしながらも時折本音を見せているようにも思える。
(だから僕は、ミヅキさんと旅をしている)
「そうそう、言い忘れてた」
 すっかり握り飯を食べ終えたミヅキは、やはり用意してもらった水筒のお茶を器に注ぎながら言った。
「ミョウジンはね……私が好きだった人」

   ×   ×   ×

「これを塗って」
 ミヅキはドルワに粉の入った袋を手渡した。
「何ですか?」
「魔法の粉。これをかけると見えなくなるの」
 ミヅキは自ら粉をふりかけてみせた。
「……見えてますよ」
 ドルワにはただの粉まみれなミヅキにしか見えない。
「肉眼ではね。でもね、機械の目にはなかなか映りづらくなるから」
「機械の目?」
「おそらくそろそろ来るんじゃないかな……さ、早く早く」
 促され、しぶしぶドルワは粉を頭から全身へとふりかけた。
「何か金属っぽい味がします」
「ちょうどいい。やっぱり来たか」
 ニヤリとミヅキが笑った。にぎやかだった山鳥の声も消えた。何か異変が起ころうとしているのはドルワにもわかった。
「さあ、行こう」
「どこへ?」
「さっきの小屋……の側へね」
 二人は走った。

 森は中腹から山頂に向かって広がっている。ミヅキとドルワは小屋を見下ろす位置に陣取り、『それ』を待った。
(何だ?この音は?)
 最初は遠くから、ごく小さい音だった。
(空気が……震える?)
 鳥の羽ばたきではない。虫の羽音でもない。ドルワにとって、初めて聞く種類の音だった。
「あっ?!」
 思わずドルワは声を上げた。彼の目に映ったのは空を飛ぶ巨人の姿であった。

 翼を持っているわけでもない。
 当然羽ばたいているわけでもない。
 軽く前傾し手足をダラッと伸ばしたままの立ち姿で巨人は飛んで来る。ドルワは目がいい。今見えているのはかなり遠い距離ではあるが、それでもその大きさは充分確認できた。

「何ですか、あれ?」
「見ての通りだよ」
「あんなの、どうするんですか?」
 ニッコリとミヅキは微笑んだ。
「戦って、勝つ!」
(この人なら……やれるのか?)
 ドルワは、胸が高鳴るのを感じた。

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)