「未知との遭遇」が持つ可能性

今の時代、未知との遭遇という事象がだんだん少なくなってきているように思う。それは、外側から情報が与えられる形だったのが、スマホやインターネット、youtube、instagramを通して情報を摂取する機会が多くなって、自分に興味がすでにあることに多くの時間を割くようになってきたからかもしれない。

こうした動きは、自分の興味を伸ばす一方、より分断を加速させているのかもしれない。それは、自分に興味があることを調べられるようになった、ということは、逆に興味がない情報が入ってきづらくなったということだからである。

そしてそれは、「知ってる」と「知らない」の分断を意味する。

「知らない」≒「嫌い」

よく知らないものは、とりあえず嫌いがち。これはよくある話だと思う。

例えば、中のいいグループに知らない人が入ってきたら、なんか嫌悪感を持ってしまうし、QRコード決済という新しいサービスが入ってきたらとりあえず怪しいから一旦敬遠しちゃったし。最近の例で言うと、M-1でマヂラブを知らなかった僕は、何だこの人たち、、という気持ちでいた。でも見てみて、めちゃくちゃ面白かった。すると、それまでの気持ちが一転して、すごく好きになってしまった。QRコード決済も使ってみたらめちゃくちゃ便利で今はしょっちゅう使っている。こうして、知らないという状態は、なんとなく嫌いという感情を誘発する気がする。

もう一つ話を引用しておく。好きな人のことをもっと知りたくなる、ということはないだろうか。僕はある。社会心理学では単純接触効果という言葉があり、より多く接触すればするほど好感度は上がる、という話がある。どうやら相手を知ることと好意は関連していそうである。この、好きの反対はなんだろうか。よく言われるのは、無関心である。ここで「好き⇔興味がない」という図式が成りたつ。

知らないものを嫌ってしまう、という反応は、生き物としての本能だと思う。まず嫌悪感とは、防衛本能であるとされている。つまり、嫌悪感は身を危険から遠ざけるために起きる感情である。そして、よくわからないもの=未知のものに近づくことで、身を危険にさらすリスクの方が大きい。ここから言えることは、知らないものは身を危険にさらすリスクがあるため、嫌悪することで、その危険を避けようとする本能がある。これにより知らないことが、嫌いという感情に繋がる仕組みを説明できる。

嫌いという感情は、危険を避けようとするために生じる本能である。そして、キンコン西野さんによると、この「知らない」と「嫌い」の働きはループするらしい。

「知らない→嫌い→嫌いだから知ろうとしない→更に知らないものが増える→嫌いなものが増える」という不幸ループに入っちゃっている人が、かなりの数にのぼってきているんじゃないかなぁと感じております。
「https://ameblo.jp/nishino-akihiro/entry-12477444376.html」

よくわからない、が分断を加速させる

この、「よくわからない」という感情は、嫌いだから知らないままにしてしまい、分断を大きくしていく。BLMや国際紛争といった国際的な話から、身近な人間関係における摩擦に関しても、このよく知らない、という思いが分断を大きくしているのではないだろうか。分断を大きくしている、というのは、対話が行われていない、という意味である。それは、両者間の違いを互いに確かめ合い理解し合おうとすることが起きていないということである。そしてこれは、未知のものを理解しようとしない姿勢から起きているのかもしれない。

人間は本能として、未知のものを嫌うという習性があると確認した。そして今、自分に興味があるもの以外の情報が入りにくくなるという環境になっている。この動きが、知らないこと同士の相互理解、対話を生みにくくしていき、さらに分断が加速していくと考えられる。

求められる「未知との遭遇」

知らない、よくわからない、嫌いな相手を理解してみようとする気持ちがその分断を解消する気がする。

冒頭で紹介した例のように、知ってみたら実はすごい面白い、とか結構ある。普段自分の興味があることにだけしか目を向けないと、対立がどんどん深まって、相手がよくない、わからない、嫌い、という思いが続く。逆に、普段触れないものに触れることで養われる姿勢ってあるんじゃないかな。

知らなかったことに出会うことで得る、成功体験。知らないことを知ることの楽しさ。それが実は、相手を理解しようとする姿勢、知らないものを理解しようとする姿勢を醸成するのではないかな。そういえば、海外留学経験者が多様性に寛容なのも、知らなかったものを知ることの成功体験を得ることで、違うもの/よくわからないものを理解しようとする姿勢が身につくからといえるのかもしれない。

意外と面白い。この感覚、知ろうとする姿勢、が対立を解消するきっかけにもなるんじゃないか。だからこそ、未知との遭遇ってとても重要な事象なのだと思う。それは単に、知らなかったことを知った、にとどまらず、知らないものにも、知らないだけで面白さがあったり、いいところがあったりする、という姿勢を育てるから。

だからこそ今、未知との遭遇をできる環境が必要なんだろうなと感じる。

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