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チャップリンの映画をたま~に見たくなる


何年ぶりだろう、チャップリンの映画「モダン・タイムス」を自宅鑑賞し

た。

好きなチャップリンの姿を見た途端ニンマリする自分。その後ネジを締める

コミカルな動きに笑いがふつふつとが何度もこみあげてきた。


笑いと、やさしさに満ちたチャップリンの映画はやっぱ楽しい。

サイレント映画、パントマイム、喜劇王のチャールズ・チャップリン。


軽快なクラシック音楽がその場の状況を盛り上げ、それに合わせて

チャップリンがコミカルに動きまわる作風で、時にはしっとりと

情感たっぷりな気持ちにさせてくれるのがチャップリンの映画です。


チョビひげに黒の山高帽、竹のステッキを持ちピチピチに小さい

黒いジャケットにだぶだぶズボン、そしてキックしたら飛んでいって

しまいそうなデカイ靴。愛嬌あるその姿は、ホームレスなのに紳士と

しての誇りを持つ反骨精神で、強い権力(政治的)や不平等への風刺であり

怒りを表したものだそうです。




チャップリンは、ヒトラーが生まれたのと同じ年月の1889年4月に

ロンドンで生まれ、両親はミュージックホールの歌手でチャップリンが

5歳の時に声がでなくなった母の代わりに舞台に立ち、7年後父親が

アルコール依存症で他界。母親はそれで精神異常になり施設に入ります。


どん底の生活となったチャーリーは(チャップリンの愛称)4歳違いの

異父兄と孤児院などを転々とします。



印刷工・ガラス職人・床屋・新聞の売り子などの仕事をやり

俳優斡旋所に通って、ミュージックホールでパントマイム劇などを演じて

経験を積み、18歳でカーノー一座に入り21歳の時に米国公演の

ニューヨークブロードウェーの劇場に酔っ払い役で出演。酔っぱらいの

パントマイムは父母のパントマイムを見て覚えたもので、その演技を

ロサンゼルスの映画関係者が見ていて3年後、映画出演依頼が来て

人生の転機となったそうです。




チャップリンは母親について 「パントマイムに関する限り、母は最高の名

人だった。母がいなかったら私が名を成していたかどうか疑わしい。」

と語っています。



言葉の壁を超え、世界中の誰にでも伝えることができたパントマイムの笑い

とやさしさに満ちた笑い劇の映画でスーパースターになった彼ですが、当時

のソビエト連邦との冷戦に入ったアメリカから彼の作風が非難の的となり

やがて国外追放となりアメリカを後にします。



しかし彼の作品は世界中によろこびを与えつづけ、20年後アメリカの

アカデミー賞はチャーリーに特別賞を授与します。20年ぶりにアメリカ

の地を踏んだチャーリーを会場にいた全員がスタンディングオベーションで

迎えたそうです。


それから3年後、エリザベス2世よりナイトに叙され「サーチャールズ」と

なり、2年後のクリスマスの朝スイスの自宅にて、88歳で永眠。


チャップリン映画の後期作品「独裁者」。ヒトラーとナチズムを風刺した

映画で第二次世界大戦中の1940年にアメリカで公開。

日本は当時ナチスドイツと友好関係だったためそれから20年後の

1960年に日本公開。

チャップリンは映画で初めて肉声の声とセリフで床屋と総統の一人二役を

演じた。ヒトラーは2回この映画をみたが感想を聞いた者はいなかった

そうです。



久しぶりに見たチャップリンの映画は、やはり素晴らしかった。

見たことがない方は、人生の中で1回は見てみてほしいです。





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