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「まえならえ教育」VS「人と比べず自分らしい生き方」

「でもさ、それは人と比べることじゃなくない?自分がそれでいいと思えればそれでいいんだよ」

いやわかってるわ!
何度も言われたわ!
お前が世界で初めて気づいた人間の真理みたいに言うな!
あとお前、自分の言葉で誰かに影響を与えようとしてる時、口から太字が出てるぞ!
上の文見てみろ!
な?
言葉が太線になってるぞ!
てかなんなら自分の声にエコーかけて周りの照明落としてスポットライト当てながら喋ってるだろ!
使い古されて手垢でベドベドの言葉にスポットライト当てんな!
「人と比べるな」なんて何度も言われてるわ!
生憎できそうにないんだわ!


さて。
高校卒業まであんなに”まえならえ”をさせておいて就活で急に「あなたらしさを教えてください」とかいうめでたい言葉をかけてくる社会に腹が立っている。

しかも会社入ったらまた”まえならえ”に戻るんかい。
就活はなんだったんだよ。

ってか、まえならえってなんだよ。
前に倣えってこと?まんまじゃねえか。

先日Tiktokで中学か高校の卒業式の練習風景を生徒がこっそりとったものが流れてきた。

「3年○組、起立!」の掛け声に続き、生徒たちが返事をしながら起立するのだが、その生徒たちの声が小さいとの理由で何度もやり直しをさせられていた。

「君たちができるまで何度でもやりなおしますからね。」
進行役の先生は怒りを込めたその小声をマイクを通して拡張させていた。

コメント欄には、「うちらも何度もやらされた〜!」
など、あるあるとして懐かしむ声が溢れていた。

いや、「あるある〜」って言ってる場合なのか。

返事の声を指摘している時間があったら1秒でも多く子供達が心の底から興味を持てるものに時間を使わせてほしい。


心の奥底に染み込むほどの”まえならえ”を人生の礎とし、
「周りに迷惑をかけない!」「周りみろよ、お前だけだぞこんなことしてるの。」「お前みたいな奴がいるとクラス全体が乱れるんだよ」「腐ったミカンが云々カンヌン…」「あんたは今回の期末も順位低いねぇ、、」

こうやって、基準を世間に合わせて育ってきた。

でも今は時代が変わって多様性とか、自分らしさと言う言葉が重宝されるようになった。

義務教育でも「自分らしさ」と言う言葉が登場するようになってきている。
訳あって僕も実際の教育現場を何度か見た。

先生:”What fruit do you like?”

児童:”えー別に果物好きじゃない。”

先生:”なんでもいいから、じゃありんごていいから。
はいアイ ライク?りんごは?わかるね?”

児童:”I like apple”

これを自分の意見を伝える練習と言っていたのだが、
好きな果物を言うことの何が自分らしさなのかわからなかったし、
「好きな果物がない」とはやっぱり言っちゃダメなんだなと思った。

これは教室のルールに則った自分らしさだと感じている。
そのことをこの子達はだんだんと学んでいくのだろう、英語の文法よりも速いスピードで、どうすれば先生が困った顔をせずに褒めてくれるのか、どんな自分らしさを演じればいいのかすぐに学ぶのだろう。


やはり日本の教育で個性を育むのは無理なのだろうか。
どうすれば大人たちはまえならえの呪縛から解放されるのか。
もしくは、そもそも自分らしさは必要ではないのか。
社会学や教育についてもっと勉強しよう。

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