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どうしようもなく、新年

 12月31日、大晦日の夜。八畳のワンルームで私は眠れない夜を過ごしていた。
 きっと、昼寝をしてしまったせいだ。
 布団にくるまりながら、自分の昼間の行動を反省した。

 大晦日の前日、12月30日の夜、久々に飲み会に行った。学生時代のサークルの同期で集まった。ここ数年は、誰かしらの都合がつかなかったり、訳のわからない感染症が流行ってしまったりで、集まることができないでいた。
 久々に集まったこともあって、飲み会は午前2時近くまで続いた。
 「またゴールデンウィークころに」と解散し、自宅に戻って、シャワーを浴びたりして、布団に入ったのは午前4時を回っていた。

 朝9時にアラームで目を覚ました。布団から出る気が起きなかったけれど、冷蔵庫の中が空っぽであったことを思い出して、仕方なく布団から這い出た。顔を洗って簡単に身支度を済ませた。それから、ニット帽を深めに被り、ほとんど無い眉毛を前髪で隠し、数年前に買ってクタクタになったスヌードを首周りにぐるぐると巻き、部屋着の上にコートを羽織った。ちょっと出かける時用の防寒対策だ。どうせマスクをするしと思って、化粧をしないまま部屋を出た。
 空にかかった灰色の雲が、風に流されていた。ピューッと音を立てた北風が、ズボンの裾、コートの裾と袖、私の油断を嘲笑うかのように隙間から体に忍び込んできた。一時撤退して部屋に戻った。
「たしかここにあったはず……」
 以前、駅前でもらった使い捨てカイロが机の上に放ったらかしだったはずだった。机の上には、仕事用のパスコンや書類、郵便受けに溜まっていたチラシが山積みになっていた。山を崩して見つけたカイロの封を開けてコートのポケットに突っ込んだ。ポケットの中でじわじわ熱を帯びていくカイロを握り締めながら、エレベータが到着するのを待っていた。
 視界の隅に何か白いものが舞っているのが写った。エレベーターホールに据えられた窓から外に目をやると、灰色の空から白い雪が舞い降りてきていた。傘を取りに戻ろうとしたところで、エレベータが到着した。
 もう一度雪の様子に目をやった。
「これくらいなら平気か」
 閉じかけていたエレベーターの扉の隙間に身体を滑り込ませた。

 買い物を済ませて、家に帰って、大掃除ほどではない小掃除をした。それから、カップうどんを食べると、ぬるま湯のような睡魔が訪れた。
 昔から私は昼寝をすると、夜、眠れなくなってしまう。それは分かっていたのだけれど、心地の良い眠気に理性が負けてしまった。

 目を覚ますと、最後に時計を確認してから2時間ほどが経っていて夕方になっていた。灰色の雲は相変わらず空を覆っていたけれど、雪は止んでいた。
 スマホでTwitterを起動する。「大晦日 雪」というワードがトレンドになっていた。ちょっと調べてみると、東京で大晦日に初雪が降るのは130年振りのことらしかった。
 130年前というと、1887年だ。はるか遠く、私なんかには想像がつかないほど昔のことで、どうにも現実味が感じられなかった。

 夜11時25分、テレビのチャンネルを回していると紅白歌合戦が終盤で、白組のトリの歌唱順だった。彼は10年くらい前に発表した楽曲をアレンジしたものを披露した。
 2021年、最後の数十分はあっという間に過ぎて、あっけなく2022年を迎えた。テレビの各チャンネルは、『春の海』をBGMで流し、タレントやら芸人やらが浮かれムードで番組を盛り上げていたけれど、どうにも空回りしているようで、どこの誰が新年をめでたく思っているのだろうか、そんなことを思った。
 どのチャンネルも似たり寄ったりで、テレビを消して布団に入って、スマホでYouTubeを見ることにした。登録しているチャンネルの最新動画だったり、過去の動画だったり、おすすめに表示された動画だったりを見るともなく見続けた。
 午前3時、いまだにはっきりとしている脳内に、一つ、過去の思い出が浮かんだ。
 幼い頃、大晦日の夜に両親と一緒に近所の神社に初詣に出かけた。その帰り道、コンビニに寄ってアイスクリームを買った。
 普段は出かけられない夜のお出かけ、普段は人なんてほとんどいない神社に溢れかえる人たち、普段は買わないような、少し高い小さなカップに入ったアイスクリーム。
 そのどれもが特別で、幼い私は胸を踊らせていたのだった。

 いつからだろう。新しい年が嬉しくなくなったのは。

 私は思い出に縋るように、昼間と同じ格好で家を出た。ポケットの中のカイロは、すっかり冷え切って、かちかちになってしまっていた。
 コンビニで、あの時と同じアイスクリームを買って、暖房の熱で満たされた室内で冷たく濃厚なアイスクリームを食べた。口に入れたアイスクリームは、私が思っていたよりも早く溶けて無くなった。

 午前5時半、私はまだ眠れずにいた。いや、眠るのを諦め、出かける準備をしていた。保温機能のある肌着を上下ともに着込んで、最大限の防寒対策を施して、家を出て自転車に跨った。灰色の雲も流れ去っていた。
 初日の出の予想時間は午前6時51分だった。
 どこという当てがあったわけではなかったけれど、とにかく開けた場所を目指そうと思った。1時間あれば、どこかしらに行き着けるはずだと思った。
 10分ほど自転車を走らせてから、空港を目指そうと閃いた。あそこであれば、海も近く、視界も開けているし、例の感染症で人も例年程は集まらないはずだ。急いでペダルを漕いだ。

 午前6時20分、空港の近くには、予想以上に人が集まっていた。妥協しようかと一回立ち止まって、再度ペダルを漕ぎ始めた。せっかく初日の出を見に来たのに、人混みの中では、初日の出を見に来たのか、人を見に来たのかがわからない。
 20分ほど自転車を漕いでいると、人があまり集まっていない穴場を見つけた。空港からはだいぶ離れた場所で、開発途中の場所なのか、周りには工事に使う機械や材料以外には何もなく、場所もただ他よりも高台になっているだけというような所だった。

 午前6時56分、予測時間よりも少し遅れて、東の空が明るみ始めた。四方八方に輝きを放ちながら太陽が昇ってくる。
 宇宙の話はよくわからないけれど、太陽はいつもと変わらない太陽で、相変わらず直視できないほどに輝いている。チカチカしている瞳の中でも、燦々とした太陽が、確かにそこにあって、それは今も、私が幼い頃も、130年前も、それに、もっともっと前も変わらない。
 初日の出を見たところで何かが変わるわけでないことは、分かっていた。分かってはいたけれど、少しばかり期待してしまっていた自分もいた。
 結果、何も変わらなかったし、これからも変わらないだろう。もう新しい年にワクワクしなくなったのだから。
 新しい年が来ようが、何も変わらず、太陽もそこにある。ただ、それで良いのだ。チカチカする太陽を見ているとそんな風に思えた。

 また新しい年が始まる。
 どうしようもなく変わらない、新しい年が。

「あけましておめでとう。2022年」

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