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クリスマスの約束

 十二月二十四日の深夜、それから日を跨いで十二月二十五日、つまり、クリスマスの日に、毎年テレビで放送される音楽番組がある。その番組は、一人の音楽アーティストが主催者で、友人や音楽仲間を集めて、トークをしたり、曲を披露したりするといったものだ。
 僕は、この主催者のアーティストが特段好きというわけではなく、招かれるアーティストの中に好きなアーティストがいるというわけでもない。それでも、毎年この番組を見ている。
 なぜ毎年この番組を見ているのか、もっと言えば、なぜ毎年楽しみにしているのか。それは、一人の教師の影響である。

 中学二年生の時に、僕は彼に出会った。彼は、僕が通っていた中学校の数学教師で、二年生に上がったタイミングで別の学校から赴任してきた。五十代前半くらいの年齢で、前髪が後退してきてはいたけれど、一般的にイメージされるような「おじさん」といった野暮ったさはなく、すらっと身長が高く、教壇に立つ姿には品が感じられた。彼は、数学教師であるにもかかわらず、いつでも白衣を着ていた。ある時、理由を尋ねたら、「服を汚したくないから」と言っていた。確かに、彼は板書をするときの筆圧が強く、そのせいか、白衣は、特に袖のあたりは、チョークの粉で汚れていることが多かった。
 彼に関して、他に述べておくことがあるとすれば、非常に「お喋り好き」だったということだ。僕が通っていた中学校の一コマは五十分だった。その五十分の内、多い時は三十分近く話していることもあった。話す内容は、今となってはほとんど覚えていないような他愛もないものばかりであったのだけれど、彼の話の中にたびたび、とある音楽アーティストの話が出てきていたことだけははっきりと覚えている。
 当時、そのアーティストの話になると、僕をはじめ、クラスメイトたちは「また始まった」と言わんばかりの空気を醸し出していたのだけれど、そんな様子を一切気に留めることもなく、彼はそのアーティストについて、つらつらと話していた。そのアーティストの楽曲は、一般的な中学生に好まれるようなものではなくて、何なら「知らない」と言うクラスメイトも多かった。僕はといえば、幼い頃から音楽番組が好きで、いわゆる「懐メロ」と呼ばれる曲もよく聴いていて、そのアーティストの曲もしばしば耳にしていた。たしかに、耳にはしていたけれど、僕自身も「一般的な中学生」に漏れることなく、そのアーティストについては興味がなかった。だから、彼がそのアーティストの話を口にするたびに、ただただ「好きなんだなあ」くらいのことしか思わなかった。

 今になって思い返すと、その数学教師は、僕のことを可愛がってくれていたのだと思う。他の学年の生徒と比較してどうだったかはわからないけれど、少なくとも同学年の間では、割と気に留めてもらっていたはずだ。理由を尋ねたことはないから、定かなところはわからないけれど、僕の「世の中にうんざりした」というような態度が、そもそもの発端だったように思う。
 中学二年生といえば、いわゆる「厨二病」全盛期だ。一口に「厨二病」と言っても、個々人によって「症例」は異なってくる。不自然に大人びた振る舞いをしたり、自分を常人とは違う特別な存在だと考えて、振る舞ったりなどなど、その「症例」は枚挙に遑がない。僕の場合はどうだったのかと言うと、簡潔に言えば過剰に斜に構えた態度をとるというものだった。何も真正面から受け止めないくせに、クラスメイトの話だったり、教師の話だったり、その他諸々世の中に対して辟易していて、常に気怠げに過ごしていた。
 そんな様子で迎えた最初の数学の授業のことだった。僕たちと初めて顔を合わせるということもあって、彼は自己紹介から始めた。以前勤めていた学校のことや数学教師になった理由などを話していたと思う。そんな話を聞きながら、僕は左肘で頬杖をつき、右手ではシャーペンをクルクルと回していた。ペン回しを何度か失敗して、シャーペンと机がぶつかる乾いた音が鳴るたびに、彼は僕の方をちらっと見て、こちらを気にしながらも話を続けていた。
 たしか五回目くらいの失敗で、僕の手から落ちたシャーペンは机の上にバウンドして床に落ちていった。その時、さっきまで話し続けていた彼の口が止まった。彼は、窓際の僕の席の方に近づいてきて、シャーペンを拾い、僕の机の上に置いた。それから低く静かな声で言った。
「誰かと話をしたり、聞いたりするときは、相手の目を見なさい」
 クラスメイトの前で注意を受けたことに恥ずかしさを覚えた僕は、二つの選択肢で少しだけ葛藤した。一つは、「中学生」らしく教師に反発するパターン。もう一つは、大人しく謝罪するパターン。反発したところで得られるものはなく、恥を上塗りするだけ、と答えをすぐに導いた僕は、机の上に乗せられたシャーペンを見つめながら、「すみません」と呟いた。すると、頭の上から再び彼の声が聞こえた。
「ちゃんと相手の目を見なさい」
 僕は顔を上げて、机の右斜め前に立つ彼の目を見て、改めて「すみません」と言った。僕が彼を見つめる以上に、彼は僕のことをひたすらまっすぐ見つめていた。僕の謝罪に満足したのか彼は静かに頷いて、踵を返すして教壇に戻った。それから、僕の方を改めて見ながら言った。
「そんなにペン回しがしたいなら、俺の授業ならしてもいいぞ」
 僕はダメだろと思い、「いや」と口を開きかけたところで、彼は続けた。
「ただし、俺が話しているときは、俺の目を見て話を聞きながらなら、許可する」
 彼は少年のように、にかっと笑った。

 僕はそれ以来、学校内でペン回しをしなくなった。注意されたからペン回しをしなくなったと教師やクラスメイトに思われるのは癪だったけれど、やらないように努めた。その代わり、家だったり塾だったりでは、勉強そっちのけでペン回しの練習をした。
 気づけば一学期が終わり、夏休みも過ぎ去り、二学期を迎えた。
 二学期最初の数学の授業も、いつもと同じように彼のお喋りから始まった。クラスメイトは相変わらず興味を示していなかったけれど、僕はあのとき以来、彼の話を聞くときは、それがどんなに興味のない話だったとしても、ちゃんと目を見て話を聞くようにしていた。
 彼が話し始めて十分くらいが経った頃、僕はペンケースの中からシャーペンを取り出して、数ヶ月ぶりに学校で、彼の授業で、ペン回しを解禁した。ちゃんと彼の目を見て話を聞いて、頷きながら。初めは彼も僕がペン回しをしていることに気づかずにいたけれど、僕の右手の上でクルクルと回るシャーペンに気づくと彼は話を止めた。そして、また少年のように、にかっと笑った。

 おそらくこれが、彼に気に入ってもらえたきっかけだろう。
 この出来事があって以来、彼とはよく話をするようになった。話をすると言っても、基本的には彼が話して、それを僕が聞いて、時には質問したり、相槌を打ったりするというものだったけれど、それでも色々な話題の話をした。
 その時にも、しばしばあのアーティストの話が出てきて、クリスマスの前に毎年ライブをやっていて、それをクリスマスイブにテレビで放送すると聞いた。「そうなんですね、それは楽しみですね」と相槌を打つ僕に、彼は「一回見てみろよ」と言ったので、僕は「見てみますね」と返事をした。
 二学期の終業式はクリスマスイブで、下校前に下駄箱で友人と話していると、ちょうど彼がやってきた。その時にも、彼は「今日だからな」と念を押した。僕はそれに「分かってますよ」とだけ返した。
 けれど、そもそも中学二年生の冬休みなんて、遊ぶことしか考えていないのだ。来年に控えた高校受験のことが頭を過り、「遊ぶチャンスは今しかない」と遊ぶことに躍起になる。その結果、僕は彼との約束をすっかり忘れてしまい、その年その番組を見ることはなかった。そして、連日遊び呆けているうちに大晦日を迎え、年を越し、全く手をつけていない宿題に慌てて取り掛かり、気づいた頃には冬休みが終わっているのだ。
 三学期の始業式の日、登校すると、偶然廊下で彼と鉢合わせた。その瞬間に、彼とした約束を思い出した。彼は笑顔で僕の方に近づいて、「見たか?」と僕に尋ねてきた。僕は正直に忘れたことを伝えた。すると彼は、少し残念そうな顔をした。それを見て、鈍く重く胸が痛んだ。けれど、彼はすぐに笑顔に戻って、「じゃあ来年だな」と言ってくれた。

 三年生に進級してからも、彼と僕との関係は変わらずに、授業内外でしばしば話をしていた。変化があったとすれば、僕が数学の質問をするようになったことくらいだと思う。中学三年生になって、高校受験が近づき、難易度の高い高校を志望していたこともあって、入試問題には一筋縄にはいかないものが多々あった。その時に、僕は彼を頼るようになったのだった。
 一学期は、時折「受験」というワードを耳にすることはあっても、一年生や二年生の時とあまり変わりなく、穏やかにすぎていった。しかし、夏休みになると、今まで塾に通っていなかったクラスメイトたちも夏期講習に通い始め、否応なく「受験」を意識せざるを得なくなった。そして夏休みが明けて二学期になると、一学期の穏やかさはどこへやら、ピリピリとしたムードが漂い始める。この頃になると、お喋り好きの彼でも、さすがに雑談を控えるようになっていて、僕と彼との会話も数学の質問ばかりになっていた。もちろん、あのアーティストの話もあの番組の話もしなくなっていて、すっかり僕の頭の中からは、その話題自体が消え去ってしまっていた。そして、そのまま冬休みに突入した。
 冬休みは、ほとんどを塾で過ごした。朝イチで塾に行って授業を受け、授業がない時間には自習室で自習をする。夜十時前まで塾で勉強をして、帰宅して夕飯を済ませ、風呂に入って寝る。そんな生活をしているうちに、冬休みはあっという間に過ぎていった。
 結果から言うと、僕は第一志望の高校に二月の頭にはあっさりと推薦で合格した。推薦入試は、基本的に学校の内申点と小論文で判定されるため、入試問題の対策が生かされることはなかった。
 それからは中学校卒業までの残り数ヶ月を緩やかに過ごしていた。僕の学校では、数学の授業はクラスを半分に分ける少人数授業が導入されていて、三学期に入ってからは彼ではない教師が担当になっていて、彼とはしばらく顔を合わせていなかった。
 そんなある日、廊下で彼に呼び止められた。
「お前、高校合格したんだってな」
 彼は嬉しそうに僕の肩に手を置いた。担任に合格の連絡はしていたけれど、彼に伝えるのを忘れていたのをこの時思い出した。慌てて謝罪と感謝を述べたけれど、そんなことを気に留める様子もなく、変わらず嬉しそうで、僕が合格した高校について色々と教えてくれた。なぜその高校について詳しいのか疑問に思っていると、どうにも彼の息子が、四月に僕が入学するその高校に既に通っているらしかった。
 別れ際、彼は改めて僕に向き直り、右手を差し出した。それに応え、僕も右手を差し出し。がっちりと握手を交わした。
「高校でも頑張れ」
 そう言ってくれた。

 卒業式でも彼と言葉を交わしたのだけれど、色々とバタついていたせいもあって、ちゃんと時間を取ることができず、感謝の気持ちをしっかりと伝えることもできなかった。高校に入学してしばらくしてから、彼がまた別の学校に赴任してしまったと中学の同級生から聞いた。この時、連絡先を交換しておけば良かったと小さく後悔した。

 高校も卒業し大学に進学し、彼のことをすっかり忘れていた冬のある日、自宅でテレビの番組表を見ていると、ある番組が目に止まった。
 その番組名を見て、懐かしさが胸の内にふわりと湧き上がり、彼のことと彼とした、果たせなかった約束のことを思い出した。
 「先生は元気にしているだろうか」
 「もう自分のことなど、忘れてしまっているだろうな」
 そんなことを思いながら、僕はテレビのリモコンを操作して、その番組を録画予約した。

 クリスマスイブ当日の午前0時20分、僕は録画を予約したにもかかわらず、放送が開始される頃にはテレビの前に待機していた。
 放送が始まった。
 「きよしこの夜」のオープニングが流れ、ライブ会場の様子が映し出される。ステージに主催者のあのアーティストが現れ、それを観客が拍手で迎える。一年を振り返るような話題を話し、自身の楽曲を披露する。それから何組か音楽仲間や友人たちと共に歌を歌い、話をする。その様子を、観客たちは手拍子をしたり、身体を緩やかに揺らしたりしながら楽しんでいる。そんな様子を見ながら、僕自身もいつの間にかライブを楽しんでいた。

 番組を見ていて気づいたことがあった。
 先生は、本当にこのアーティストのことが「好き」だったのだ。主催者のアーティストの口調や途中の息継ぎ、相槌の打ち方、身振り手振りなどは、先生のそれを見ているかのようだった。そのことに気づいた時、記憶の中にしまわれていたタイムカプセルが開き、温かな気持ちに包まれた。
 誰かの純粋に「好き」という感情に触れられたことによるものだった。本人がどこまで意識していたのかわからないけれど、口調や身振りが似てしまうほど、先生はそのアーティストのことが、ちゃんと「好き」だったのだ。
 暖かな気持ちと同時に、それ以上にいくつもの後悔が湧き上がって、大きな後悔になった。
 ちゃんと直接、高校合格を伝えていれば良かったという後悔。中学校を卒業した後でも、感謝を伝えに行けば良かったという後悔。先生の言葉にもっと真剣に耳を傾けていれば良かったという後悔。自分も色々な話をすれば良かったという後悔。もっと早く、それこそ中学生の時に、この番組を見ていれば良かったという後悔。先生の純粋な「好き」という感情を受け止めていれば良かったという後悔……
 そして、約束を果たせなかった後悔。
 それらの後悔が、後悔とならないような選択をあの時できていれば、僕と先生の関係は今も続いていたのかもしれない……
 先生の純粋な「好き」という感情を適当に遇らってしまっていた当時を思い返すとやりきれなかった。そして、今、このライブを目にして生じた様々な感情を伝えたかった。次々と湧き出る思いをしっかりと伝えたかった。けれど、そのための手段が僕にはなかった。

 番組は進んでいき、最後の曲になった。その曲は、その場に招かれた演者、それから観客含め全員での合唱だった。舞台に立つアーティストたちをカメラはゆっくりと映していく。一通りアーティストを映し終えると、観客の方へカメラが向けられる。一人、また一人と短い時間ではあるけれどカメラに映し出される観客たち。嬉しそうにしながら、涙を流して歌う年配の女性。座席で心地良さそうに眠る男の子。僕と同じ年頃の男性がにこやかに口ずさんでいた。それからまた、カメラ切り替わった。
 先生がいた。あの頃と同じように、少年のような笑顔で、嬉しそうに手拍子をしながら歌う姿が映し出されていた。
 その姿を目にした時、僕の頬には涙が流れていた。先生が嬉しそうに、楽しそうにしている表情を見ていると、テレビのあちら側とこちら側とに関係なく、一緒にライブ会場にいるような気になった。

 あの年以来、僕は番組を毎年楽しみにしている。披露される楽曲やトークなどももちろん楽しみなのだけれど、それ以外の理由もある。
 先生はもう覚えていないかもしれないけれど、いつかどこかでばったりと先生に会った時に伝えるのだ。
 「見ましたよ、『クリスマスの約束』」と。

 今年もクリスマスの約束が訪れる。

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