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レベル9

―プロローグ 11月ー


拝啓 愛する人へ
お元気ですか。
私はもうすぐ死にます。
私は冬に生きることができないのです。
だからこの手紙をあなたに託します。
あなたがこの手紙を読むころには私はもうこの世にいないでしょう。
でももし私の子供たちが巣立ったら、きっとあなたのことを誰よりも愛してくれることでしょう。
では、また会う日まで。
                     敬具
                                                                                                                 

―4月


僕に彼女ができた。
彼女ができたのはこれが初めてで、やっと「=年齢」に終止符を打つことができた大学1年の春である。
出会いはもちろん大学ではない。
入学して早々に付き合える大学生がいるとしたら、僕はそんなやつと関わりたいとは思わない。
彼女とは高校時代からの関係性なのだ。
彼女からの好意を知っていた僕は、卒業後に彼女の実家に行き、玄関先で告白をしてしまった男なのである。
これは完全に黒歴史なのだが、真剣に受け止めてくれた彼女には本当に感謝している。
内心はわからないが。

それはともかく、ここまで読んでくれたあなたはわかるだろうが、僕は自分でも引くほどの恋愛下手なのだ。
自信をもって女の子とうまく話せたことなど一度もないし、LINEの受け答えもどこかよそよそしい自覚がある。
そんな僕のことを「かわいい」と言ってくれたのが彼女なのだ。
彼女のおかげで、女の子に対する自信のなさは僕のチャームポイントになった。
ありがとう、彼女。

―5月


今日は大学の授業が午前中で終わりだったので、早く家に帰ってシコって寝ようかと思う。
帰り、大学の最寄り駅に着くと着信があった。
彼女からだ。
「っ……、ぅ……」
泣いている。
「うっ…、たす、けっ…て……」
大丈夫かと声をかけてみる。
「おぁっ…、ね…、っり…ぁい」
いったいどうしたのだというのだろう。
落ち着いて息を整えるよう促す。
ようやく落ち着いた彼女は事を話した。
余計な情報も含めていろいろ言っていたが話をまとめると、バイトに行くのに遅刻しそうであるという、そのうえSuicaの残高がないうえに財布を忘れてしまい、改札を通れなくなってしまっているとのことだった。それでどうしようもない絶望感から泣いてしまい、僕に電話をかけてきたというわけだ。
僕は帰り道とは逆方向である、彼女のバイト先の最寄り駅に助けに向かうことにした。

―6月


梅雨も本格的になってきて、僕の天然パーマも湿気のせいでコントロールできなくなってきた。これだから梅雨という季節は嫌いなのだ。
大体、梅に雨でどうやって「つゆ」と読めというのだ。
日本語が外国人に敬遠されるわけである。
僕は相も変わらず大学では静かに過ごしている。
というより、対面の授業は必修以外履修していないので、大学には週に2回しか行っていない。
そのかわりオンラインの課題は鬼である。
赤か青か。僕は泣ける赤鬼なのか。

彼女とはうまくいっている。
いや、うまくいくようになっているという表現の方が正確だろう。
詳しいことは言わないが、僕はどんなことがあっても怒らないし、彼女に対して感情的になることはない。
意識的にそうしているのだ。面倒なことにならないように。
人ともめることが嫌いな僕は、いつもそうやって自分の保身に回ってきた。
きっとそれが恋愛下手である一つの理由なのだろうが、今の僕にはそんなことなど関係ない。
今日も彼女は僕のことをかわいいと肯定してくれる。

―7月


気温は37度。せっかくふさいだ穴を覆うように夏はやってくる。
19時になって「明るくね?」というのは毎年のことだ。
擦られすぎたあるあるは、つるつるすぎて誰もつかむことができない。

「ペイペイ♪」
コンビニでアイスを買い、彼女と一緒に歩道の真ん中のベンチで食べる。
ガツンとミカンをほおばる彼女の額には、汗で張り付いた前髪が光っている。
ガツンとミカンが食べたい女の子初めて出会った、と僕が言うと彼女は、
「私も私以外知らない」
と嬉しそうにほほ笑むのだ。
僕は心の底から彼女のことが好きなのだと実感した。

―8月


もう彼女とは2週間も会っていない。
どうやらバイトや資格の勉強とで忙しく、時間を作るのが難しかったようだ。
今日は久しぶりに会えるということで、普段は抱くことのない緊張感がある。
大丈夫だろうか。ちゃんと喋れるだろうか。
第一声はなんて言えばいい?
彼女とはいえ久しぶりの異性交遊なわけで、僕にとってはタグホイヤー並のハードルの高さなのだ。
頭の中は真っ白だ。
暑さで何も考えられなくなってきた。
「……。」
「ぷすぅ…」
―――
気づくと僕は空中を飛んでいた。
なんとなく世界が揺れているようにも見える。
ゆらめく視界の先には、見たことがないほど大きなヒトがいる。
巨人か…?
いや、違う…。
これは…。
そう、僕自身が小さくなっているのだ。
どうやら僕の身体は蜂になってしまったらしい。
何がきっかけでこうなったのかは記憶にないが、なにかしらの影響でこのような身体になってしまったのは事実である。
もちろん受け入れがたいが、人はあまりにも非現実的な場面に立ち会うと、なすすべもなく何もしないことを選ぶらしいことを学んだ。
ただ、僕の心配事はそれだけではない。
彼女だ。
せっかく2週間ぶりに彼女に会えるというのに、こんな身体では逃げられてしまうに違いない。
でも、なんとかして彼女と一緒になりたい。
僕は決心した。

―1時間後


なんだかんだで僕は彼女の身体に入り込むことができた。
彼女の前を飛び回った後、逃げ惑う彼女のふくらはぎを刺したら入ることができたのだ。
なんて簡単なんだ。
蜂にとって人間のセキュリティは万全ではないようだな。
また一つ学びを得てしまった。

―9月


彼女の身体に入り込んで、特に変化がないまま3週間がたった。
どうやら幸いにも彼女のふくらはぎの傷口は浅く、しかし僕が入り込んでいることは彼女にはバレていないようだった。
あれから僕に出会えていない彼女は、何日かかけて僕のことを探していたが、彼女は僕の身辺の情報を一つも知らないので、途方に暮れているようだった。
くそ、こういうことがあるのだな。
少し後悔をした。

しかし今日は特に彼女の様子がおかしい。
朝からずっと家の窓の外を気にしているようなそぶりを見せており、時折おびえた声で
「こないで…」
と言うのだ。
いったいどうしたというのだろう。
僕も窓の外を見てみると、なんと大きな蜂がこちらをギロリとにらんでいるではないか。
その大きな蜂は今にも家の中に入ってきそうで…、

いや、入ってきた。
換気扇の隙間を通って入ってきやがったのだ。
蜂は彼女めがけて飛んでくる。
僕は一時的に彼女の身体から飛び出て応戦する。
しかし、体の大きさに圧倒され、戦いは防戦一方となってしまう。
ぐちゃぐちゃになりつつも必死に食らいつく僕。
苦しみながらも攻撃に耐え続けた。
しかし遂に相手を打ち破ることなく、一騎打ちになった。
それでも僕は、相手を生かしながらも自分の身体と共に彼女の中へと吸収することに成功したのだ。

その大きな蜂と僕は、彼女のふくらはぎの中で、次に彼女に襲い掛かる蜂を待ち、彼女を守ることで合意に至った。

【参考文献】


・小平市公式HP「スズメバチの活動時期」


閲覧日2023/7/22

・7月22日の朝に見た夢

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