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聖域

本当に大切な場所にはひとりでしか行かない。
誰かと行けばその人の記憶が五感を通して場所と結びつくから。

あたしは鎌倉が大好きで、高い交通費など気にもせず月1回くらい行っている。周りにはそんなに頻繁に何がいいのかと呆れられている。失礼である。笑

とにかく雰囲気が大好きで、賑やかさと静けさのバランスが良い。定住したいくらい。まさしく聖域。近所の皆で行きつけのお店に集まって、あのローカルな会話に入れたらどれだけ仕合わせだろう。

そんな聖域に1度だけバイト先の後輩の女の子と一緒に行った。去年の夏の話。
その子は人をカテゴライズしない子で、あたしの知らない誰かの話をしても必ず「その人は」という子だった。
たとえば、だけれど、決して「あのサークルの人は」なんて言わない子だった。
そういえば、人の気持ちも断定しなかったな。何かと断定してしまいがちなあたしはよく「それは分かりませんけどね」ってやんわり言われてたのを思い出す。珍しくポジティブに捉えるなら、人の気持ちは分からない、っていうスタンスをしっかりとっていたように解釈しておく。
自分の考えをしっかり持っていて、とても素敵な子だった。恋する一歩手前だったかもしれない。実際ご飯に行ったりどこかに遊びに行ったりも何回かはしていたし。

いや、でも多分それは嘘。付き合えるのなら付き合いたいなと思っていたと思う。ただ、勇気がなかった言い訳だと思うけれど、一緒になれたとしても仕合わせになれる未来が見えなかった。

先週、一緒に行ったところにひとりで行った。ちょうど同じ夏。あの時の方が少し暑かったけれど、空気は似ていたし、同じような風の吹き方をしていた。去年撮ったように、同じ場所から同じ景色の写真を撮った。なんの変哲もないけれど、あたしはその風景が好きなのである。
べつに意図して行ったわけじゃないけれど、ふと懐かしくてその子のことを思い出した。一緒に歩いて見た景色、感じた雰囲気、話した内容、食べ歩いた食べ物…。
当時は今となっては言い訳かもしれないその理由を本気で思っていたから、その子とはそれっきり会っていない。

思い出した瞬間に、それっきりにした選択を問うた。

いま、このタイミングで思い出して、選択を問うことに何か意味があるのか。

いや、ないな。

そうか、その先がなかったのは場所に記憶をつけたくなかったからか、大好きな場所に行く度に思い出したくなかったからか。
懐かしく心地よい思い出だけを残して。

あの夏、あたしとあたしの大好きな場所に一緒に行って記憶をつけた唯一の彼女はいまどうしているのだろう。

#エッセイ #日記 #聖域 #聖地 #恋愛 #鎌倉 #あの夏に乾杯

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