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俳句以前のこと

今回は「アフター・コロナ」ではなく、「ビフォー・コロナ」、しかも俳句の話ではなく、わたしの「ビフォー・俳句」の話をしてみようと思います。

新型コロナウイルスがわれわれの暮らしを脅かしはじめて、はや一年が経過しました。世界では、脅威的なスピードでワクチンが開発され、接種が始まっています。しかし、まだ生産量が追いついておらず、国家間に大きな格差も存在します。新型コロナウイルスのほうも、すでに変異型が発見されており、この先さらに変異していく可能性も残ります。

日本では、一月に発出された新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が一カ月期間延長されました。感染者数は、活動を抑えれば減るけれども、緩めればまた増える、この繰り返しがしばらく続くのかもしれません。いずれにせよ、政府からは終息に向けた具体策は全くみえてきません。

今回の新型コロナウイルスが突きつけている問題は、一国だけではどうにもならないということでしょう。世界がつながっている以上、世界各国が一緒に対処しなければ解決できません。これは地球温暖化の問題とも共通しています。さらにいえば、今後来るであろう食糧危機や水不足の問題もそうです。

20年くらい前、私は環境問題にのめり込んだ時期があります。きっかけは2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件でした。仲間たちとはじめた雑誌がベースとなり、その後NPOを設立し、地域通過の実験をおこなったり、二酸化炭素の排出量をおさえるための広告に取り組んだり、アースデイに参加したりいろいろなことやりました。

昨今、「メガクライシス」と呼ばれる、大規模災害、異常気象、そして、パンデミックといった危機についても当時から予見されていました。また、いま声高に叫ばれ始めている食糧危機や水不足の問題も、そのころからすでに研究者の間で予測されていました。

しかし、政府もメディアも、その危機の大きさを訴えるものはほとんどありませんでした。多くの人が、その知識はあったとしても、自分が生きている間は大丈夫だろうという、都合の良い解釈をしてやり過ごしてきたというのが、現実だと思います。もし自身に子どもや孫、甥や姪がいれば少しは身近に感じられるかもしれません。それでも能動的に行動する人は少ないでしょう。特に日本人は少ないと思います。

被害が露見し始めてから対策をしても遅い。それは今回のパンデミックでも思い知りましたが、地球規模の災害も同じです。今後、食糧問題、水問題が解決されなければ、世界中で餓死者が出るでしょう。しかも新型コロナウイルス感染が飢餓を深刻化する恐れがあると国連WFP(世界食糧計)が警告しています。それは貧困国のことだと思ってやりすごそうとしている人がいるとしたら、もちろん間違いです。食糧問題も水問題も、先進国の消費システムが起因しているからです。それなら、江戸時代のように鎖国すればいいという人がいるかもしれませんが、日本は食料自給率が30%しかありませんし、食料備蓄があったとしても何年ももつわけではありません。いずれにしても、人類の食糧生産は、この地球の生態系から搾取しているわけであって全てがつながっています。

当時われわれが意識していたのは、NAM(ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント)と呼ばれる柄谷行人によって提唱された運動でした。ちなみに最近のベストセラー『人新世の資本論』でマルクスの「物質代謝」という概念がとりげられ、注目が集まっていますが、この概念についてもわれわれは十年以上前に柄谷行人から学びました。NAMは3年くらいで解散しましたが、われわれはその倍以上やりました。しかしその後、活動は途絶えてしまいました。かつてNAMの運動に対するインテリ層の反応は冷笑的でした。とくに、文学・思想といった人文領域の人たちは、どこかで馬鹿にしていた(している)と思います。

わたしはそうした運動の挫折を経験したあと、俳句を始めました。逃避だと思うかもしれませんが、わたしとしては、むしろもっと人間の根源的なところで変革を試みたいと思ったからでした(仲間のなかでは宗教へ向かった人もいます)。今でも、ふとしたとき、わたしは俳句を詠んでいるだけていいのか、という内なる声を聞きます。わたしは文芸趣味でやっているのと同じではないかという思いにとらわれることがあります。

思い起こせば、俳句を始めた当初、わたしの関心は俳句そのものだけでなく、結社(アソシエーション)いうものへの関心がありました。

長くなってしまうので、続きは、次回にします。

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