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夏至と歳月


 2023年の夏至が過ぎた。

 まだこれから夏と秋と冬がくるのに、まだまだいっぱい変化がつまっているのに、今年はあと半分で終わる。今年とか来年とか区切らなくたってただ歳月がつづいていくにすぎないのだけれど、最近はそういうひとつの目安としての区切りがあることはいいことだな、と思っている。

 なにせ人生は有限だから、区切りをなんとなくでも意識しながら、ちょっとしたプランというか見通しのようなものをぶらぶらぶさらげながら、前へすすんでいく感覚もわるくないな、と。

 そういえば先日会った友達が、人間の体感速度でいうと20歳くらいまでが人生の80パーセントを占めていて、それから先は残り少ないから年々あっというまに感じるんだって、とおしえてくれた。

 もう80パーセントを過ぎているなんてにわかに信じられないし、肩の力がふっと抜けて笑いがこぼれそうになるけど、逆にそこまできているのならもう失った何かを取り戻そうとすることは到底あほらしくてやる気も起きないし、あとはただ思いきりやりたいことを心の底からやってたのしむことしか、やることはない。

 もちろん生きていくためのお金は稼がなくてはならないけど、それにもそんなにあくせくしたりだとか、知らず知らずのうちに周りがみえなくなるほど没頭して焦ったり追い込まれたりだとか、そういう必要はどこにもないと気づく。つい忘れがちになっちゃうけれど。

 今生きていて、ちいさなことでもしあわせに思うことや、心が温かくなること、心がうごかされることが手にとれるそばにあるのなら、それで充分満たされるのだと思い出す。

 さて、昨年11月ごろから動画づくりのペースをゆっくりにして少しづつ書きたいものを書くことにフォーカスするようになった。

 とはいえ、気がつくとひとつのことに集中しすぎて燃え尽き症候群的になってしまうというか、継続しづらくなるのが私の傾向なようなので、何かにぐっと集中しつつもたまには力を分散できる別の場所が必要だとも感じる。

 動画をつくるからこそ書くことっていいなと思えたし、書くからこそ今度はまた動画づくりもいいなと思える。そんなふうに書くことと動画をつくることが良い影響を与えあいながら、うまく持ちつ持たれつな関係の今は案外ちょうどいいのかもしれない。

 そんなわけで、Youtubeにて気ままに鎌倉暮らし日記を公開しています。ペースは落ちても相変わらずたのしみに観てくださるみなさんがいるからこそつづけてこられています。どうもありがとうございます。

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