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エッセイ集「二十一日の夜明け前に」リニューアルスタート


「誕生日」という数字にどきどきする

11月14日から22日のあいだは毎年そわそわして過ごしている。この一週間に唯一のきょうだい、大学時代の親友、パートナー、ご恩のある先輩、そしてもうこの世にはいないけれど数々の伝説(?)を残した祖母の生まれた日がぎゅっとつまっているのだ。1年は365日もあるというのに、こんな大渋滞ってあるものだろうかと、この時期を迎えると毎年ふしぎな気持ちになる。

わたしは、個人にあてられた誕生日という数字を、とても興味深いものだと思っている。もっというと、ものすごくどきどきしている。おかげでその人の顔も名前も思い出せないようなときも、もし誕生日を聞いていればだが、それだけははっきり思い出すことができる。というようなことを言っても、あまり話を分かちあえる人が身近にいなかったのが、ついに去年その人に出会った。現代アートのキュレーターTさんである。初対面の人に会うとき、何よりまず誕生日が気になりますよね、からはじまり、この人ってまさに3月っぽいですよねとか、この人はまちがいなく16日ですねとか、あー7日っぽくはないですよねと、勝手に大盛りあがりするわたしたちを横目にみた人が「誕生日業界の人たちはさっぱりわからない…」とぼやいていたっけ。

そんなTさんが、いつだったか言っていた。「その人がその人であることなんて、誕生日くらいにしか理由づけができないのでは?」わたしも、そんなふうに思うふしがある。その人がその人である所以に、誕生日という数字はとても深くかかわっている気がする。なぜこんなにも、誕生日が気になるのだろう。


よくわからないけれど、意味のありそうなこと

思いかえせば、それは小学生ごろからはじまっていた。たとえば、だれかを好きになった時。順番としてはまずだれかを好きになり、その人の誕生日のを知ってその数字にすごくしっくりきて、ますます好きになる、そんな感じだった。恋とはまだ呼べないような、でもうまれてはじめてなんとなく意識していた人が8月21日生まれだと知ったときは、子どもながらにやっぱりなあ、おんなじだもの、という納得感があった。わたしは平成1年1月21日1時2分うまれである。

小学校高学年になり、「この人が好きだ」とはじめて自覚した人が5月15日生まれだと知った時は、515という数字の並びがその人にとてもぴったりできれいだったことや、じぶんの誕生日の数字の並びと一緒で、おなじ数字ふたつにちがう数字ひとつがサンドイッチみたいにはさまれている形にも妙にしっくりきて、ひとりうれしくなった。そういえば、仲の良かったおんなの子の友だちも、1月31日、3月13日、2月12日と、ふしぎとサンドイッチの誕生日の人ばかりだった。

8月21日の人以降、じぶんと似たような性質を感じる人がいると、21日生まれであることが多かった。数字がおなじということは、きっとおなじような星まわりの下に生まれているということなので、生まれ持ったなんらかの性質が似通っている可能性が高いからだろう、と思っていた。20日とか22日、23日くらいまでも、数字が近いからか似たようなふうに思うことがある。これまで縁のあった人のなかで、誕生月や誕生日によってそれがどんなふうな縁であるかや、その人たちとの関係性やその変化といったものが一定の割合でパターン化していることも、とても興味深い。

そんなふうにして、誕生日という数字が表現しようとしているよくわからないけれど何か意味のありそうなことに、ちいさいときからすこしだけ敏感だった。けっして理屈のとおらない、けれどもなにか重要なメッセージを持っていそうなふうにふわっと目の前にあらわれてくるそういうことが、わたしにはとてもおもしろかった。それが何か大切なことをいおうとしているのだとしたら、それをいつも、ちゃんと受け取っていたいと願っていた。



「21」はふしぎな数字/「3」の意味

21という数字を大切に思うようになったのは、それがじぶんのうまれた日だからということがいちばん大きいが、それを抜きにしてもどこかふしぎな響きや、広がりをもっている気がしていた。大人になって知ったことで、21にまつわるいくつかの話がある。

・ヨガでは、「プラナ」と呼ばれる原子以前のはじまりから存在し、すべてをうごかすといわれる力がある。生きているということは「プラナが宿っている」ことをいう。このプラナが人に宿るのが、受精してから21日目だとされている。

・タロットの世界では、「大アルカナ」という人の一生、あるいは魂の成長物語がある。それは0の「愚者」からはじまり、21の「世界」で終わりを迎える。

・仏教では、3(吉祥)と7(成就)の乗数である21は特別な数字とされている。弘法大師空海の亡くなった日は、3月21日。

・和暦では、陽エネルギーの頂点は6月21日(夏至)、最近では宇宙元旦ともいわれる3月21日(春分)があるなど、重要な転換期でもある。

・人が死んだあと、抜けた魂のぶんだけ体重が軽くなるといわれる。それが21グラムなのだという。(百年以上前のアメリカの実験による)

これらのことを知り、21という数字がどことなく、わたしたちが生きているこの世界のなにかしらのひみつをにぎっているような気がして、それをしずかに解き明かしたい衝動にずっと駆られていたのかもしれない。

21の2と1を足した3も、わたしにとっては魅力的な数字だ。3のぱっとひらけた感じが、とても好きなのである。似たような形の数字に8があり、無限大にもみえるからか縁起のよい数字とされているが、今のわたしには形としてすでにとじられた8ははるか先の到達点であり、それよりもまだ未完成ながらすきまのある3のほうが荒くても自由で、じぶんらしい数字に思える。

先日久しぶりに行った氣流の先生に「あなたには生まれ持ったラッキーナンバーがあります。それは3!」ととつぜん宣言されて、やっぱりかあ、と思ったこともある(ちょっとふしぎな先生なのだ)。これから本題に入るこのお知らせnoteを今日書いているのは、今日12月21日は1+2、2+1ということで33の日、今のわたしが33歳ということで、この日をえらんでいる。



エッセイ『二十一日の夜明け前に』をはじめます

と、ここまで数字の話を書いてきましたが、本題に入ります。ここnoteにてエッセイ『二十一日の夜明け前に』をリニューアルスタートすることにしました。今まではだれかが読むことを前提としないまま、なんとなく書きつけてきた文章をあまり考えなしにここへのせていましたが、今後は書くことに力を注いでいきたいと考えている今、改めてしっかり読んでいただくための読みものとしてのエッセイを書いていこうと思います。

新しいはじまりにあたり、本であれば表紙にあたるマガジンの挿絵を、鎌倉在住のイラストレーター三嶋さつきさんが描いてくださいました。

エッセイのタイトルを「夜明け前」としたのは、わたしが生まれた21日深夜1時2分からきています。零時をまわり、まっさらな一日をむかえたばかりの真新しさや、真っ暗でしんとしていて、これからなにかがはじまろうとしていく気配に満ちている時間帯にちなみ、夜明け前ということばをえらびました。漢数字としたのは「二」と「一」の形が簡潔で好きなことと、組みあわせればラッキーナンバーでもある「三」になるからです。

この星にやってきた理由をわすれてしまいそうなときにそっとひらきたくなる本のページのように、ここへたどりついてくださるみなさんのことをしずかにお迎えできたらと思っています。よろしければぜひ、下記よりお立ち寄りください。末永くどうぞよろしくお願いします。



おわりに ___「4」の意味

さいごに、1,2,3とお話してきたので4のことも、すこしだけ。

うまれもった数字に対して、あとからじぶんで決めるラッキーナンバーというのもあるのではないかと思う。わたしの場合、小学生の頃に決めたのだが、4だ。これには理由があり、次に書くのだけれど、今思えば11月生まれのほかにもうひと月、縁の深い人が多い誕生月があり、それが4月なのだった。数秘術でいうわたしの誕生数が4なのも、何かしらつながりがあるかもしれない。

ラッキーナンバーは4ですと言うと、どうして?といぶかしむ人がいる。古くから4は死をイメージする不吉な数字としてさけられる傾向にあるからだろう。4という数についてそのようなイメージが世間一般でもたれていることに、小学校の低学年くらいの頃に気がついた。子どものわたしは、なぜ死が不吉なのか、ぴんときていなかった。ほんとうに4は、死は不吉なのだろうか。この疑問こそ、4をラッキーナンバーとして大切にしようと決めた理由と深くつながっている。

小学校2年生ではじめて祖父の死を目の当たりにしたとき、たしかに、それまで生きてきた8年かそこらの時間のなかではまったく感じたことのない、この世ならざるなにか、言いあらわしようのない畏怖のような感覚を小さいからだ全身で感じはしたのだけれども、そしてその日から死について考えることがやめられなくなってしまい数年にわたり不眠症になってしまったけれども、それでも人生ではじめて触れた身近な死がもたらした感覚は、不吉と呼ぶにはほど遠いものだった。そのようなことばで片付いてしまうような、薄っぺらく、わかった気になってしまえるようなものでは到底あらず、このよくはわからないできごとからわたしはとても大切な何かをおしえられているという感覚のほうが、ずっとつよくあった。

それからすこし経ち、題名や作者などはざんねんながら忘れてしまったが、ある本を読んでいたときのことだった。漫画だったかもしれない。そこには4は英語だと"four"で、幸運は"fortune"というので、つまり4は実はラッキーな数字なのにみんなそのことに気づいていないんだ、みたいなことが書かれていた。

それを読んだわたしは、じぶんの小さな、とても小さな体の奥のほうから、ずっと遠くのどこかにある大きくてあたたかいものとはっきり繋がっているなにかがむくむくとこのからだのなかに生まれ、起きあがり、外にでようとするすると湧きあがってくるのを感じた。おさないながらわたしはこれを、この感覚をわたしの指針としたい、と思った。

それは、世の中の大勢の人たちがしているのとはちがう真逆の見方をしてみようとするほんのすこしの勇敢な姿勢がどれだけこれからわたしを守り、育くみ、まだみぬ場所へと連れていってくれるかの布石のようなものだった。だれかが言っていた話をそのまま受け取ることであったり、ものごとの表面のみをみて納得したり、受け流したりするのではなく、一歩や二歩、あるいはもっとそこよりも深い場所に降りていき、まだ足あとのほとんどついていないその真新しい大地から今じぶんのいる場所や世界を捉えてみようとすることだった。それはとても素敵なことで、そしてこれから大人になっていくうえでとても重要なことで、けっしてあきらめたらいけないことなのだと、子どもながらに確信したように思う。

その時から、大勢が言うからそうなのだろう、みんなが信じているからまちがいないのだろう、とものごとを鵜呑みにするのではなく、だれにもしられずにひっそり息をしている隠されたこの世界の秘密のようなものに、しずかに気づいていく人になりたいと願った。そうすることは、すこしむずかしそうであったし、まわりからちょっとへんだと思われたり、時には疎ましがられたりもするかもしれないとも思ったが、それでもじぶんが心から信じたいと思う、深くてすっきりしていて明るい見方のほうをえらんでいくほうが、ずっとじぶんらしくいられる気がした。4は不吉な死のシだと思うより、しあわせのうれしいシだと思っているほうがずっと生きていることにうれしくいられる。たのしくも、どきどきしてもいられる。なんかいやだと思うことをひとつみつけるより、なんかいいなと思うことをひとつみつけるほうがが、ずっとじぶんを好きでいられる。

4を通して感じたもうひとつの経験は、わからないことを大切にする、ということだった。当時すでに、大人や世の中といったものになんとなく不信感を抱きはじめていた年ごろになっていた。それでも、そのよくわからない、すこし怖いかんじのする大人というものにじぶんはなっていくらしかったし、その大人たちが沢山いる世の中という場所に放り込まれ、そこで居場所をみつけていくしかない定めはあると、漠然と思っていた。そしてきっと、そうなればなるほど、わからないことをわかるようにしなくてはならない、あるいはわかるふりをしなくてはならないような巨大な渦に飲み込まれていくような気がするとも思っていた。それが、とてももどかしかった。

でも、これは今も変わっていないが、わたしはその「わかっている気がする」世界からつねに脱却して「わからない」「わかるはずもない」ほうの渦に身を投じて生きていたいのだ。そのほうがたのしいし、学ぶことが多いから。この世界はいつだってわからないことのあつまりで、けれどそれは恐怖ではなく、贈りものだと思う。神秘ということばは、わからないことのうつくしさを言うのではないか。わたしたちが生きていくのに必要不可欠なうつくしさのこと。生きていくことはきっと探求の道であり、わからないという感覚を大切にすることであり、答えをだすのではなく答えのないことを考えつづけていくこと、問いをたてつづけていくことでもあり、一人一人がそれぞれの方法でそれを実現できると思う。そういう感覚といつまでもじぶんがつながっているために、わたしはこれからものを書くことを、地に足をつけてしていきたいのだと思う。



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