見出し画像

レッツ・ノット・メイクセンス



 数学がにがてだった。とくに高校の数学ができなかった。永遠に正解にたどりつかない。テストは毎回赤点で、赤点対象者の補習の常連。解きおえるまで帰ってはいけなくて、最後の最後まで居残り組だった。そんな私を見ていた親友が、ある日手紙をくれた。さりげなくこう書いてあった。

「めぐは、こたえのあるものが苦手なんだよね」
 
 やさしい言葉だった。そう、私はとても多くのことに決まったこたえがあることをこわいと思っているよ。こたえをだすことを求められるとものすごく不安になるよ。

 小さい頃から、さまざまなことがらについて考えを巡らせることが好きだった。なぜ人は言葉をはなすのだろう。なぜ人は戦争がやめられないのだろう。時間は人になにを与え、なにをうばうのだろう。こたえが、どこかにあると思っていた。それは遠い世界で宝石のように光っていて、私はきっとそこまで歩いていき、その光をみるのだと信じていた。

 でも、いっこうに光には辿り着かなかった。それなのに、私は満たされている自分に気づいた。考えつづけることで自分を越えていける瞬間がある気がしていた。もしかしたらこたえをだすことより、考えつづけることのほうが大切なのかもしれない。そうすればいつか、こたえのないまま生きる苦悩を生きるちからに変えていける気がする。


 二十代で芝居を学んだ。約十年間、生活のすべてを芝居に費やした。あまりに正解のない道のりのなかで、なんども壁にぶつかりながら、人を演じることこそこたえのでないことの究極だと思った。こたえのない世界もこわい。でも、こたえのある世界よりずっと安心して生きていられる。

 あるとき芝居の恩師が、ニューヨークにいたときに恩師からもらった手紙に書かれていた大切な言葉を教えてくれた。

 Let's not make sense. 

 わかった気になることから、ぼくらは自由でいよう。わからないことだらけの世界を受けいれて、そのなかを勇気を持って旅しつづけよう。けっして今を離れずにいよう。

 三十代になり、考えるのに立ちどまらなくなった。前へすすみながら、まわりの景色をみながら、考えられるようになった。そうやってつみ重ねていくかけがえのない時間が、気づいたらよろこびに変わっていた。こわさと自由、苦悩とよろこびが表裏一体の人生は、これからもつづいていく。こたえのない問いとともに、歩きつづけていきたいと思う。


お読みいただきありがとうございました。 日記やエッセイの内容をまとめて書籍化する予定です。 サポートいただいた金額はそのための費用にさせていただきます。