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「いち」


 鍼灸院の帰り、買い物をおえてビルの外階段をおりていた。
 むこうから、母親に手をひかれた一歳半くらいの子どもがゆっくりのぼってくる。
 子どもが一段のぼるごとに、母親が「いち、に、さん、し」と数をかぞえる。
 子どもも横で、調子をあわせてかぞえる。「いち、いち、いち、いち」。
 
 彼のなかでは、ぜんぶ「いち」。
 そうか。どれもみんな「いち」なんだ。
 わたしたちにあるのは、「に」でも「さん」でも「し」でもなく、この手いっぱい、胸いっぱいの、たしかな「いち」なんだ。
 その「いち」を、くりかえし、くりかえしつみかさねて、十や、百や、千になる。
 その百や千が、どれもたいせつな「いち」が百個、千個、あつまってできていることをわたしたちはわすれてしまう。
 まるで、百には百という顔が、千には千という顔が、あると思いこむ。

 ちがうんだ。
 おとなになることが数をかぞえられるようになることなら、「いち」しかしらない、子どものままがいい。
 「いち」は、今。
 どこまでいっても、「いち、いち、いち、いち」。
 きょうも、あすも、「いち、いち、いち、いち」。
 わたしも無心に、なんどでもへいきでふりだしにもどって、たくさんの「いち」を根気よくたのしく、かさねていこう。
 どの「いち」も、愛おしんでいこう。
 とおりすがりの、歩きたて、しゃべりたての子どもに、そんなことをおしえてもらった。 

 

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