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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

 
<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#9 五日目(2) 2021年3月24(水)

樫野埼灯台撮影2
橋杭岩観光
 
紀伊半島旅、五日目の午後は、樫野埼灯台を、ダメ元でもう一度撮りに行き、ホテルに戻る前に、<橋杭岩>を観光した。

<樫野埼灯台-2回目 照ったり陰ったり 灯台に上る人が多い (撮影ポイントで)何枚も撮る 昨日よりは 空に変化があるのでよい それに (灯台に)陽のあたる感じも やはり 午後のほうがよい (敷地内に一か所、冬枯れた花壇のようなところがあった) その中に分け入って 写真を撮った形跡がある 自分も踏みこんで、撮った なにしろ引きが取れない場所なのだ>。しかしながら、これはよくないことだ。気が引けていたから、腰も引けている。当然、写真もモノにはならなかった。

あとは、敷地から出て、灯台の周りを、塀沿いにぐるっと一周しながら、撮り歩きした。昨日と同じだ。ただ今日は、海側の、断崖の<柵際に、カゴ付きの原チャリ(があった) 無人 下に降りてなにかとっているのかもしれない>。柵から身を乗り出して、下をのぞいてみた。樹木が生い茂り、険しい断崖だ。とうてい人が上り下りできる場所じゃない。と、そばの比較的太い木に、ロープが巻いてあって、下に垂れ下がっている。なるほど、これで、上り下りしているのか。そうまでして、いったい何が採れるのだろう。ま、深くは考えずに、その場を後にした。

灯台の正面に戻って来た。たしか、もう一度<樫野埼灯台>と書かれた、門柱左側にかかっている、立派な表札を眺めた。そして、これが今生の見納めと思ったのだろうか、今一度、灯台の敷地に入った。すでに、写真は撮り終えている。まともな写真が一枚も撮れていないことを、ほぼ確信していた。立ち去り難い気分になったのは、多少の未練も影響していたようだ。

戻り道。<トルコの土産物店(の前)を通る際 なんとなくバツが悪い 主人がでてきて 声でもかけられたらどうしよう 明日来るって言ったでしょ!>。さいわいにも、店の前はひっそりしていて、主人が通りの様子を窺がっているわけでもなかった。いい加減なことを言って、かえってヤブ蛇になることがよくある、と思った。広い通路の真ん中を歩いた。満開の白い桜をチラッと見た。心が軽く、楽しい気分だった。

樫野埼灯台の駐車場を後にした。岬を下り終えたところ、串本大橋のたもとの駐車場は、車がいっぱいだった。<だが無人 密漁か?>寄り道するつもりだったので、肩すかしを食わされた感じだ。そのまま橋を渡って、右折して串本駅の方へ向かった。潮岬灯台の夕景は、すでに二回撮っているので、今日は行かない。そのかわり、ホテルの部屋から見えた、白い防波堤灯台を見に行くことにした。

いちおう、ナビに、その辺りの地点を指示したので、近くまでは行けた。低い防潮堤沿いの道だ。近くに車を止めるスペースはない。路駐した。防潮堤際まで行って、何枚か撮った。ホテルの部屋から見た時は、そこはかとない哀愁を感じた。だが、近くで見ると、なんということはなかった。ただ、湾の出口、海の奥に 串本大橋の全景が見えた。自分がいまさっき通った橋だ。<この橋は 一連アーチの銀色 なんか好きだな>。

執着せずに、移動。<橋杭岩に行く 奇岩が連なる 天然記念物>だ。おとといの日、串本町に入った時、道沿いに大きな駐車場があり、変な形の岩が、海の中にずらっと並んでいるのを、ちらっと見た。時間があれば、寄ってみようと思った。樫野埼灯台はダメだったが、潮岬灯台の方は、まずまずの写真が撮れたような気がしていた。多少なりとも、気分が楽になっていたわけで、観光する余裕ができたようだ。

案内板には<串本から大島に向かい、約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩には、その昔、弘法大師と天の邪鬼が賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています。吉野熊野国立公園地域にあり、国の天然記念物に指定されています。>とあった。

たしかに、面白い光景であることに間違いはない。スケベ心が出て、モノにしてやろうと写真を撮り始めた。だがなかなか難しい。照ったり陰ったりの天気で、奇岩たちに明かりが当たらない。それに、駐車場の柵際から撮っている限り、海の中に並んでいる奇岩たちとは平行関係にならない。いわば<ねじれの関係>だ。構図的にどうもよろしくない。

駐車場の右端の方へ移動した。係船岸壁が、海に突き出ているので、多少は、奇岩たちとの平行関係がつくれそうだ。でも、それでも不十分だった。浅瀬の岩場の浜だから、下に下りることもできる。位置取りとしては、奇岩たちに近づける。だが、自分と奇岩たちの布置そのものは変わらない。ま、ここで、写真を撮るのをあきらめた。

ただ、奇岩たちの岩肌の質感くらいは、写真におさめたいと思い、陽が当たる瞬間を待った。午後おそくのオレンジ色っぽい西日が、かっと、奇岩たちにきた。何枚か夢中で撮った。だが、モニターすると、結果は最悪で、奇岩たちは、変な感じに赤っ茶けて並んでいた。これなら、まだ、陽のあたらない写真の方がましだ。あ~あ、引き上げよう。

駐車場の柵沿いに歩いて、車に戻りかけた。と、ふと思って、売店のある建物の方へそのまま進んだ。お決まりの<マーキング>だ。売店の中をチラッと覗いて、トイレに入った。きれいに掃除してあった。そういえば、売店の床を掃除している人もいたし、柵沿いの花壇をきれいにしている人もいた。就業時間の終わりに、みなして掃除をするのが、ここの決まりなのか。

いいや、そうじゃないだろう。働いている人が、都会のコンビニの従業員のような不機嫌な顔じゃなかった。おそらく、みなして、この観光資源と施設を大切にしているのだろう。<橋杭岩>、素晴らしい自然の景観だったし、気持ちよく観光できたな、と思った。

ホテルへ帰ろう。来た道を戻った。夕食の調達だが、たしか、駅前の道沿いに<ぎょうざの王将>があったはずだ。寄ってみようかと、左側を注意してみていると、店は休店しているようだった。少しがっかりだ。コンビニ弁当ばかりで飽きていたのだ。でもしょうがない、ファミマによって食料を調達、4時半にホテルに着いた。

ホテルの受付には、老年の女性が座っていた。毎日、受付の人が変わっている。これで三人目だ。みなパートのおばさんなのだろう。<風呂 頭を洗う 相撲を見ながら弁当 鳥唐チャーハン そのうち 隣から 鼻歌が聞こえる 若い奴が一人で歌ってるようだ>。<18時 昼寝 21時に起きる お菓子類を食べる 日誌をつける 21:45分 再度寝る 花粉症がひどい 鼻づまり!!!>。

若い奴の鼻歌、まったく記憶にございません!メモ書きに書いてあるのだから、たしかに聞いたのだろう。それよりも、この時は、遅い昼寝の前に、窓を開けて、外の景色を撮った。泊まっていた部屋が、四階?だったので眺めがよかった。建物の屋根越しに港が見えた。防波堤灯台があり、串本大橋まで見通せた。そこに、おりしも、夕陽が差してきた。本州最南端の港町がオレンジ色に染まった。窓から身を乗り出して、視界に入る風景すべてを写真におさめた。左端に、樫野埼灯台が、小さく見えたのも予想外で、なぜか、うれしくなった。

旅が半分終わった。体力的には、全然問題はなく、明日は200キロ北上して、伊勢志摩の灯台を撮りに行く。多少の感傷と多少の気合いが入り混じった、ほど良い心持だった。窓を閉めるとき、眼下のビルの駐車場が目に入った。車が四、五台止まっていた。ホテルの隣は、さびれたパチンコ屋だった。

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