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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#1 一日目(1) 2021年7月14日

プロローグ1.2

前回の出雲旅から、ほぼ三か月がたっている。この間、何をやっていたのか?正直に言えば、ほとんど何もやっていない。いや、ちゃんと生活していた、ともいえるだろう。何回か、旧友と日帰りで温泉に行ったし、その旧友に刺激されて、五十年ぶりに、またジャズを聴き始めた。

あとは、前々回の紀伊半島旅、前回の出雲旅の撮影画像の選択、補正だ。旅日誌を脱稿し、撮影画像の補正を終えてから次の旅に出る、という自分で決めた約束事を破って、前々回、旅に出てしまった結果である。つまりは、灯台旅二回分の撮影画像の補正をしなければならなかったわけだ。ちなみに、この時点ですでに、<旅日誌>の方は、書くことを放棄していた。理由はいろいろあるが、詳細はあとにしよう。

蛇足ながら、もう少し正確に言えば、前々回の紀伊半島旅から帰ってきて、撮影画像の補正だけは、いちおうやったのだ。<いちおう>というのは、いつもの画像編集ソフトを使わないで、PCに付属している簡易的な画像編集アプリを使って、手を抜いたというか、手間を省いたのだ。

実際のところ、時間も短縮できたし、労力も、いつもよりかからなかった。だが、うかつにもその時は気がつかなかったが、画像の解像度が低くて、とてもじゃないが、画像投稿サイトにアップできる代物ではなかった。したがって、ま、それなりの手間をかけた補正作業が、すべて無駄になってしまったわけだ。

このことに、かなりうんざりして、紀伊半島旅の画像補正をほったらかして、いわば、宿題を残したままで、出雲旅に出てしまった。本来ならば、この宿題は、出雲旅から帰宅した後に、いの一番で果たさねばならぬものだったが、帰宅後、一週間くらいは、持病の<痔>が悪化して、PCに向かっての、神経を使う補正作業ができなかった。

宿題の量が、倍増しているにもかかわらず、体力的にそれらに取りかかれない。気力的にも、旅疲れということがあって、あのときは、なんだか、何もかもいやになってしまった。ちょうど、試験で<O点>でもいいや、と開き直った感じだ。なにしろ、宿題などはやりたくない、という気持ちが自分を圧倒していた。

こうなると、元も子もない話になってしまうのが、いつものことだ。灯台撮影そのものに対する、懐疑が出てきた。金と時間と体力とを使って、と言いたいところだが、<時間>に関しては除外しよう。<時間>はいくらでもあるのだ。とにかく、灯台旅、旅日誌、灯台写真に対する熱が少し冷めてしまったようなのだ。これには、ニャンコを看取って、ほぼ一年がたち<ペットロス>からも回復したことが影響しているのだろう。

それと、撮影旅行としては、紀伊半島旅が八泊九日、出雲旅は五泊六日で、日程が長かったこともあり、灯台撮影そのものに対して、体力の限界を感じたことも、<懐疑心>ができきた要因のひとつだと思う。

それならば、これまでの撮影流儀を変更して、手を抜けばよかったのではないか。しかしそれができない。その辺は、融通が利かない、愚図だ。どうしても、ゼロか百か、という思考回路が優勢で、一度決めたことを、状況に応じて変化させるということができない。それが、いまにして思えば、人生の挫折と喪失感につながっている。ま、いい。話がでかくなりすぎた。

前回の出雲旅から、今回の男鹿半島旅まで、三か月空いてしまった理由は、おそらくこうだ。<ペットロス>による心の空白を<灯台旅>に夢中になることで、いちおうは乗り切ったわけで、<灯台旅>の実存的な必要性が後退したのだ、と。悲しみや苦しみから逃れるために、なにかに夢中になる必要がなくなったのだ。撮影画像の補正作業に身が入らずに、たらたら、だらだらと三か月過ごしてしまった所以である。

ところで、目先の課題は見失っていたが、目先の楽しみを見つけたことも確かで、そのことが<灯台旅>への執着をさらに弱めた。高校生の頃に熱中して聞いていた<ジャズ>だ。しかも、今回は、旧友が同好の志であることから、彼とジャズ談義を楽しむことができるようになった。趣味というものは、同好の友だちがいると、余計に面白くなるもので、アマゾンやユーチューブで、終日ジャズを聞くようになってしまった。

それに、高校生の頃もそうだったが、ジャズ関連の本を読むようになった。自分にとって<読書>というのは、一種の<麻薬>と同じで、その時間は<人生の憂さ>を忘れさせてくれる。だが、その<読書>は、二十年前に眼病を患い、目が悪くなってからは、ほとんどしていない。目が疲れるし、実際問題、細かい字が見えにくいのだ。

ところが、眼病が寛解した今、意外にすらすらと、疲れもせずに読むことができた。昔の習慣を取り戻せたわけで、要するに、体力の限界が試されるような、灯台旅に出なくても、ジャズと読書で、その日その日を、やり過ごすことができるようになったのだ。

一時は、灯台旅など、もうやめてしまおうかと思ったりもした。だが、倍増した宿題、すなわち、灯台旅二回分の撮影画像の補正を、まがりなりにも、すべて終えた時、なんだか、宙ぶらりんな気持ちになった。灯台旅を、ここでやめるわけにはいかないだろう。たとえ、灯台熱が冷めたとしても、だ。

というのは、かなり近い将来、おそらく、三年か五年か、あるいは、三か月先かもしれない、体力的な問題で、否応なく、灯台旅ができなくなることが予想されるからだ。まずもって、灯台は辺鄙なところに立っていることが多い。そこまで行くことが大変だし、その撮影となると、急な岩場を登ったり下りたりと、体力勝負という一面もある。この一年の灯台行で、いやというほど実感したことだ。

<健康年齢>という概念があるが、自分の場合<灯台年齢?>はおそらく、あとわずかであろう。それに比べて、ジャズと読書は、灯台旅に行けなくなっても継続できる趣味だ。そんなことを考えているうちに、やはり、また灯台旅に出たくなった。要するに、灯台旅ができるのは、今しかないのだ。しかしながら、旅の当初の動機や目的は、すでに過去のものとなっていた。<ペットロス>は解消していたし、絶景を求めての<写真撮影>にも、さほど魅力を感じなくなっていた。

それよりは、車を運転し、あるいは新幹線や飛行機に乗って、最果ての灯台まで行き、写真を撮ることが、いつまでできるのか?自分の、その体力と気力の限界を見極めたいと思った。灯台旅ができなくなるまで、灯台旅を続けることが、灯台旅の目的となったのだ。

本末転倒と言えないこともない。だが、灯台に魅せられて、灯台を見に行くとか、写真を撮りに行くとか、表層的な、世間向けの言い訳は、もういいだろう。灯台旅を続けながら、灯台の写真を撮り続けることは、すなわち、自分と向き合うことだ。また、話がでかくなりすぎた。能書きはこのくらいして、先に進もうではないか。
 
プロローグ2

さてと、世の中、四回目の緊急事態宣言が出されている。自分の住んでいる地域にも、蔓延防止措置が発出されている。コロナだよ!もう一年半以上にもなる。もっとも、こっちは、そんなことにはお構いなしに、灯台旅を九回も敢行している。幸い、感染はしていない。だいいち、感染しそうな所へは行かないし、臆病だから、マスクとか手洗いとか、神経質なほど徹底している。とはいえ、感染しない、という保証はない。

七月の三十日に、コロナの一回目のワクチン接種が決まっている。十回目の灯台旅はそのあとだ、と心づもりしていた。だが、予想に反して、梅雨が早くあけそうだ。次なる獲物?は、すでに決まっていた。男鹿半島の先端にある、入道埼灯台である。白黒の灯台で、ロケーションがいい。それに、秋田県には足を踏み入れたことがないし、<なまはげ>のいる男鹿半島なんて、面白そうじゃないか。

ただし、だ。宿の予約に難儀した。以前にも書いたが、宿は、灯台に近ければ近いほどいい。これは説明する必要ないだろう。で、灯台に近い所に、といっても五、六キロ離れているが、男鹿温泉郷があり、そこの旅館に泊るのがベストだ。

だが、旅館なので、お一人様での予約プランがない。宿泊できない。ただ一軒だけ、お一人様が可能な旅館がある。一泊二食付きで¥11500、ま、安い方だ。しかしながら、天気との兼ね合いもあり、なかなか二泊、三泊といった連泊の予約が取れない。

男鹿半島、入道埼灯台へは、新幹線で秋田駅まで行き、レンタカー移動となる。秋田駅から入道埼までは、約58キロ、一時間半以上はかかるだろう。秋田駅周辺にはビジネスホテルがたくさんあるので、予約は取りやすい。だが、いかんせん、灯台まで遠すぎる。往復三時間、四時間前後の道のりは、限界を超えている。と、思いついて、能代駅の付近も検索してみた。能代から入道埼までは、約50キロ、ネットには、一時間と書いてあるが、一般道なのだから、やはり、一時間半くらいはかかるだろう。

秋田駅も能代駅も、ダメ。ほかにないのか?これらの街と灯台の間には、もちろん、何軒か旅館・ホテルのようなものがある。が、お決まりのように、お一人様では泊まれない。まれに、一、二軒、お一人様プランもあるにはあるが、高い!一泊二食で¥18000もする。けち臭い話だが、男鹿半島へ行くには、新幹線とレンタカーで、五万以上かかるのだ。節約できる箇所は、宿泊場所しかない。結局、例の男鹿温泉郷の、お一人様プランのある旅館しかないわけだ。

四月の後半に出雲旅から戻ってきて、あっという間に五月、六月が過ぎ、七月になった。梅雨真っ盛りではあるが、画像補正をなんとか終えると、気持ちが、また灯台旅に向いてきた。旅日誌はと言えば、とうとう書かなかった。もっとも、三月の大旅行、紀伊半島旅に関しては、当初は書く気でいた。が、なんとなく気乗りしないまま、ずるずると時がたち、書こうかなと思ったときには、時間がたちすぎていて、書くことが思い浮かばなかった。

四月の出雲旅では、旅に出る前から、旅日誌は書かないことにしていた。そうだな、旅日誌のことについて、少し触れないわけにはいかないだろう。

何はともあれ、2020年の七回目までの灯台旅に関しては、長文の旅日誌を書いた。まったくもって、精も根も尽き果てるような作業ではあったが、書き抜いた。2021年の八回目の旅、八泊九日の紀伊半島旅に出かけたのは三月だった。前の旅、愛知旅からは、おおよそ四か月くらいたっていた。年初から、コロナの緊急事態宣言が出ていたし、寒い!ということが、旅に出ることをためらわせていた。むろんそればかりでもなかったと思うが、いまでは、よく思い出せない。

とにかく、その間に、ふと思いついて、旅日誌を朗読して、ユーチューブにアップしようとした。試作を作り、聞いてみた。まるっきり面白くない。朗読など、とんでもない!文章そのものが、面白くないのだ。そんな文章のために、何百時間も費やしたなんて、まったくもって、ばかげている。ま、百歩譲って、自分だけの覚書、という意味でなら、冗長な文章も許せるだろう。

しかし、この長文の旅日誌は、ブログにアップし、HPにも掲載するつもりだった。自分のためだけじゃない。人様に見せる、読んでもらう、発表するつもりで、書かれたものだ。だいいち、そうした動因なしには、長文の旅日誌など、書けなかったろう。

自分の文章を、自分で朗読してみて、その浅薄さ、稚拙さを、認めたくなかったが、認めざるを得なくなったのだ。

しょうがないだろう、要するに、書きなぐった文章だ。それをおこがましくも、なにかひと仕事しているような気分になって、アップしていたのだから、バカに付ける薬はない。少しの間、自己嫌悪に陥った。そして、旅日誌は、もう書くまいと思った。

話しを戻そう。七月の初旬に、灯台旅二回分の画像補正を終え、ほっとした。とりあえず、やるべきことはやった。宿題は終わったのだ。しかし、ある意味では、表層的な、目先のやるべきことが終わっただけで、本当にやるべきことは、依然として残っていた。ふん、やるべきことなんか、本当はないんだが、やるべきことがないと、どうにもこうにも、身を持て余してしまう。

本当にやるべきことは、と自分に言い聞かせていることは、<モロイ朗読>の新・改訂版を作ることだ。あるいは<マロウン>の朗読、あるいは<名づけえぬもの>の朗読だ。

いちおう、三つとも、ちょっとは手を出してみた。<モロイ朗読>新・改訂版は、始めの<1-1 書き出し>の録音は完了した。しかし、なぜか、その後が続けられない。<モロイ>新・改訂版は、一番実現可能な<やるべきこと>ではあるが、それとて、今の精神状態では<そこ=モロイ>に戻っていくのが辛いのだ。

<マロウン>に関しても<1-1>は朗読して録音した。だが、こちらは、どうにもこうにも、重すぎる。なにしろ、死の床についている爺さんの独白だ。絵空事で、文字を音声化することならできる。だが、言葉=文章を、自分に引き付けて発語=朗読するには、それなりの覚悟というか、感情移入が必要だろう。今の自分には、その覚悟もないし、死の床についている爺さんへの感情移入もできない。ま、いつかは、できる時が来るさ。あと五年もたてば、俺だって、病気や死が現実問題になるんだ。ということで、あっさり保留にしてしまった。

ついでながらに書いておくと、<名づけえぬもの>も、少し朗読した。しかし、こっちは、<マロウン>よりも、なお遠い。雲をつかむような感じだ。朗読なんて、とんでもない!ということで、こちらもあっさり保留にした。

ということで、やはり、目先の課題としては、灯台旅が照準された。旅の準備をし、実際に旅をするとなれば、頭の中の<空白な時間>は霧散するし、ウソでも、偽善でも、何かをやっていれば<やるべきこと>からは解放される。いや、<やるべきこと>をやらない口実にはなる。いや、多少先延ばしすることができるのだ。

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