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<灯台紀行・旅日誌>2020年度版

<灯台紀行・旅日誌>2020 福島・茨城編#12

日立灯台撮影2

車に戻った。次は、<久慈浜>から岬の灯台を狙う。こっちからの画像は、ネットにも多少上げられている。<久慈浜>は海水浴場として有名らしいが、今年は、コロナ禍で閉鎖されたようだ。もっとも、今は秋、時期的には関係のない話で、浜に海水浴客はいない。ゆっくり撮影できそうだ。駐車場を出た。海沿いの広い道に出て、少し行って信号を左折。日立港の中に入って行く。すぐ左折して、今度は漁港の中を走る。突き当りが<久慈浜>だ。

砂浜沿いの広い駐車場には、何台か車が止まっていた。目ですぐ数えられるほどだ。日陰はない。ということは、どこに止めても同じだ。ならばと、砂浜に一番近いところに止めた。カメラ二台を、一台の軽い方は右肩から斜め掛け、もう一台の重い方は、右肩にショルダー掛けで、撮り歩きを始めた。これからの旅では、このスタイルが定着しそうだ。車が目の前にあるのなら、ほかの物は必要ない。着替えにしろ、水にしろ、三脚にしろ、カメラバックに入れて背負う必要はないのだ。身軽だし、このスタイルは、何よりも、望遠カメラを多用できるという利点がある。

砂浜に下り、岬の方を見た。灯台が、半分くらいしか見えない。しかも、岬の先端にではなく、中ほどに突き出ていて、バランスが悪い。断崖は、むき出しの岩壁でもなく、かといって、すべてが樹木に覆われているわけでもない、なんだか、中途半端な風景だ。魅力がない。位置取りが悪いのかと思って、水たまりのできている砂浜を、岬の方へ向かって歩いた。だが、岬と灯台の布置は変わらず、これ以上近づいたら、もっと悪くなるような気がした。

と、水たまりに、灯台が写っている。文句なしに、このような光景が好きだ。なので、かなりしつこく撮った。だが、やはり、実像がよくないと、ダメなようだ。水に写る灯台を見て、人の目は必ず、その上の本物の灯台を見る。そのとき、灯台が美しいのなら、その美しさは、水の上の、いわば虚像の灯台にもバウンドする。光景全体が何か印象深いものとなる。そんな、ちょっとした奇跡は起こらなかった。そもそもが、岬の中ほどに、中途半端な形で突き出ている灯台に、<美>を印象しなかったのだ。こっち側からもモノにならない。それに、岬と灯台を、横から撮る構図そのものに、少し飽きが来ていた。どの灯台も遠目で、似通っていて、同じような写真になってしまうのだ。

少し重い足取りで、砂浜から車へと戻った。昼寝をするために、車を、崖際に移動した。いくら秋になったとはいえ、フロントガラス越しに太陽と対面していては、暑くてしょうがないだろう。メモには<12:30 限界 すこしうとうとする>とある。だが、この時は、仮眠スペースに入ったもの、ちゃんと横になって寝なかったような気がする。積み上げている蒲団に背中をもたせ、膝を少し曲げたままの態勢で、目をつぶった。散乱している荷物を脇に寄せ、横になるスペースを作るのがめんどくさかったような気もする。それほど疲れていたとも思えないが。

<1:30 赤い防波堤灯台をとりにいく>。とメモにある。要するに、小一時間、窮屈な態勢のまま、 うとうとしたようだ。少し元気が回復していた。先ほど、公園の見晴らし台から見えた、日立港の赤い防波堤灯台が気になっていた。というか、見えた時から撮りにいくつもりでいた。時間もちょうどいいではないか。つまり、この後の予定としては、三時頃に、公園に戻って、西日を受けている日立灯台を撮る。そのうち、陽が沈むだろうから、うまくいけば、夕陽に染まる灯台も撮れるかもしない。というわけで、それまでの時間が有効に使えるわけだ。

駐車場を後にした。その際、男女がイチャついていた崖の前を通った。むろん、車は止まっていなかった。何の感情もイメージも出てこなかった。閑散とした漁港の中を、係船岸壁沿いにゆっくり走りながら、赤い防波堤灯台に近づいていった。じきに、プレジャーボートがずらっと並んでいる岸壁の行き止まりに、赤い灯台が見えた。周りに、けっこう釣り人がいる。

広めの岸壁で、空いているところに駐車した。軽いカメラを一台だけ、肩に斜め掛けして、防波堤に掛けられた、五、六段の、木の頑丈そうな梯子を登った。灯台は目の前にあった。だが、モロ逆光で、まぶしくてよく見えない。ただうまいことに、灯台で行き止まりにはならず、左方向へ突き出る感じで防波堤が少し伸びている。つまり、逆光を避け、灯台を横から撮ることができるのだ。ただし、なかば、海を背中に背負うことになり、灯台の背景には、対岸の建物や重機などが映り込んでしまう。むろん、灯台付近の釣り人もだ。

雑駁な感じの画面だ。だが、ほとんど気にならなかった。というのも、写真としてモノにしたい、という野心?は端から薄い。あの赤い防波堤灯台、どんな感じになっているのかな?いわば、近くで見たいという無垢な好奇心があるだけだ。うまく撮れればそれに越したことはない。だが、写真として撮れなくても、現物を見ただけですでに十分満足なのだ。

とはいえ、写真は慎重に何枚も撮った。しかも、そのうち、今いる防波堤の反対側からも撮ることができる、ということに気づいた。つまり、係船岸壁は、アルファベットの<C>を逆にしたような形をしていて、その口の開いたもう一つの地点が、すぐそこに見えるのだ。しかも、岸壁に車も見える。行けるなと思った。

戻り際、太陽を灯台の胴体で遮った、逆光写真を何枚か撮った。今朝、小名浜の番所灯台で試した構図だ。けっこう、カッコいいと思っている。防波堤の梯子を慎重に下りて、岸壁に降り立った。陽はすでに傾き始めていて、明かりの具合が、なんとなく、オレンジ色っぽい。見ると、岸壁の向こう、はるか彼方、岬に立つ、真白な日立灯台が見えた。なぜか灯台は、先ほど浜辺で見た時よりも、背丈がぐんと伸びていている。あれ~と思いながら、写真を撮った。遠目ではあるが、なかなか美しいのだ。

今いる場所が、さっきの砂浜より遠いのに、砂浜で見た時よりも、灯台がよく見えていることが、ちょっと不思議だった。むろん、距離的には遠目だが、全体像としては、こっちのほうがはるかにいい。要するに、岬に近づきすぎて、灯台が、断崖の影に隠れてしまい、よく見えなくなったわけだ。この逆説が、面白かった。ただし、よく見えているとはいえ、物理的には離れているのだから、超望遠でない限り、今見えている灯台をモノにすることはできない。いずれにしても、写真にはできないわけで、無駄に不思議がり、無駄に面白がってしまった。

漁港の中をぐるっと左回りに走って、向かい側の岸壁に来た。向い側というのは、先ほど、写真を撮っていた防波堤灯台から見て、海を挟んで向かい側なのだ。ま、いい。縦長の直方体に円筒が接続している、よく見る形の、赤い防波堤灯台の付近には、釣り人の姿がかなり目立つ。先ほどより増えたのか?そうではなくて、防波堤で死角になっていた、岸壁の釣り人達が、見えているだけだ。防波堤の向かい側の岸壁に来ているのだからね。

岸壁に立って、カメラを赤い防波堤灯台に向けた。釣り人が、かなりの数、画面に入っている。これは致し方ない。かまわず撮っていると、釣り人がこちらに気づいて、中にはチラチラ見ている奴もいる。たしかに、写真はNGの人間だっているはずだ。これは失礼!それに、赤い灯台も、風景も、執着するほどのこともない。バシャバシャと撮って、すっと引き上げた。

世界が、というか、辺りがなんとなくオレンジっぽい色に包まれ始めた。時計を見たと思う。三時過ぎていた。日立灯台の夕景を撮る時間だ。と、その前に、忘れるところだったよ。港をいったん出て、すぐの交差点沿いにあるセブンで、食料の調達をした。宿は日立灯台のすぐそばだったが、近くにコンビニがあるのか、どこにあるのか、調べていなかった。だから、気づいた時点で、早めに処理しておけば、世話なしだ。したがって、弁当は、食べるまでにはまだ時間があった。だが、一応あたためてもらった。

To be continued

<灯台紀行・旅日誌>と<花写真の撮影記録>
<灯台>と<花>の撮影記録
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