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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#5 一日目(5) 2021年7月14日

最果ての温泉旅館

ほぼ午後七時半に宿に着いた。受付で、愛想のいい女将からの挨拶を受け、エレベーターに乗った。部屋に入ると、座卓の上に夕食が並べられていた。シャワーでも浴びたい気分だったが、腹が減っている。でも一応、ユニットバスを覗いてみた。先ほど、駆除し損ねた<ヤスデ>が気になっていたのだ。

そうよ、チェックイン時に、ユニットバスを確認した際、桶に隠れていた<ヤスデ>に出っくわしたのだ。え~~~~~!と思った瞬間、奴は、排水溝の中に逃げ込んだ。どうしようもないではないか。ぴたりとドアをしめた。這い出る隙間なないよな、奴を閉じ込め、ユニットバスには絶対入るまいと思った。

<ヤスデ>の姿は見えなかった。いや、気持ち悪いので、よくは確認しなかった。ところがだ、夕食の席に着く際、脇にあったポットをどかしたら、黒い影が急に動き出した。畳の上を、たくさんの足が大慌てで動いている。ややパニックになったが、すぐ冷静になり、駆除するものはないかと、辺りを見回した。新聞紙か雑誌があれば最高だが、そんなものはどこにもない。仕方ない、座卓の上にあった茶色い案内冊子を手に取り、狙いを定めた。うまく仕留めた。だが、もうこれ以上書く気がしない。殺生はしたくはなかったのだ。

気持ちを取り直して、夕食の席に着いた。食べるものが山ほどある。ほとんどが魚料理で、量も多い。とくに刺身はうまかった。場所柄なのだろう。完食して、満腹だ。さてと、寝る前に温泉だな。ポシェットとカメラを、備え付けの金庫に入れた。金庫の鍵は、冷蔵庫の上のカップ入れの後ろに隠した。まずもって、小心なのだ。

バスタオルとペラペラの手ぬぐいをもって、エレベーターで二階に下りた。温泉の入り口には、青い暖簾がかかっている。<男>の文字が白抜きしてある。温泉には誰もいなかった。まずまず広くてきれいだ。湯船では、手足を伸ばして、ゆっくりくつろいだ。食事と温泉は、まずまずだが、部屋が汚すぎる。一泊¥11500。値段的に、高いのか安いのか、判断に迷った。

部屋に戻った。座卓の上に、食い散らかした夕食が、置きっぱなしだ。このまま、というわけにもいかないだろう。受付に内線電話をかけると、例の愛想のいい女将が出て、下げに伺いますとのこと。少したって、廊下で音が聞こえた。ドアを開けると、紺の作務衣のような服装の、白いマスクをした<ゆりやん>のような若い女性がいた。

仲居さんというか、旅館の従業員は、婆さんばかりだと思っていたので、やや意外だった。彼女は、アルバイトなのか、ぎこちない感じで、控え目だ。ふと思いついて、財布から、千円札を一枚取り出し、彼女に渡した。別に下心があったわけではない。ある程度の旅館に泊まったら、仲居さんへの心付けは、マナーだろう。昭和の時代には、それが当たり前だった。彼女は遠慮したが、出したものを引っ込めるわけにもいかず、やや強引に受け取らせた。

今の時代でも、仲居さんに心付けをするのがマナーなのか、よくわからないので、ネットで調べた。やはり、<心付け>の習慣は、いまだに活きているようで、とくに、何か特別なことをしてもらったら、感謝の意味で渡した方がいいらしい。ただし、財布から現金をだして、そのまま渡すのはNG。なにかに包んで渡すのが礼儀らしい。急なときには、テッシュでもいい。なるほど、そこまでは気が回らなかった。ま、その点は、勘弁してもらおう。

<ゆりやん>は食器類を廊下に出し、ふり返って、丁重に、おやすみなさいといって、部屋から出て行った。マスクをしているので、器量のよしあしは、しかとは判断できない。だが、色は白いような気がした。秋田美人、という言葉が思い浮かんだ。雪国で、陽に当たることが少ないので、色白なのだという。一見もっともらしい話だが、本当なのか?

ちょっと調べてみると、秋田県は日照時間も少ないらしいので多少蓋然性があるようだ。あとは、ウソかホントか、大昔、ロシアやヨーロッパから渡ってきた人達の、白人しかもっていないウイルスの遺伝子が、十人に一人の割合で残っているからだ、という説もある。そのほか、温泉とか食べ物とか、きりもない話だ。

とはいえ、日本三大美人(京美人、秋田美人、越後美人)という俗説の中に、雪国が二つも入っている。そういえば、<雪女>も美人の妖怪だ。雪と美人は、なにか関わりがあるのかもしれない。思えば、受付の女将も美人だった。自分の都合の良いことだけが、脳裏に浮かんできて、勝手に思い込んでいるだけだ。なかば迷信のような、俗説を信じてはいけない。

座卓の横の布団に寝転がった。布団は、温泉に行く前に自分で敷いておいた。横になると、クッションがよくないので、押し入れからマットレスをもう一枚出して二枚重ねにした。枕も、もう一個出して、二つに重ねた。部屋は汚かったが、敷布や布団カバーは、パリッと糊がきいていて、気持ちよかった。一瞬、<ヤスデ>がまだどこかにいるような気もしたが、考えないことにした。

蒲団の上に座りなおして、手帳に、日誌を走り書きした。そのあと、のどが渇いたので、飲み物を買いに、二階に下りた。猛暑での撮影と温泉とで、脱水気味なのかもしれない、などと思った。薄暗い館内に、人の気配はなく、なんとなくかび臭い。自販機の前に立った。ビールはあるが、ノンアルビールはない。コーラを買って、戻った。

寝る前に、歯磨きだ。歯ブラシは持参している。歯磨き粉は、洗面台に置いてあった、アメニティーの白い小指ほどのチューブを使った。その際、破った紙片を捨てようと、下にあった、ゴミ箱を見た。普通、ゴミ箱には内側にレジ袋のようなものがぶせてある。掃除する時に手間がかからず、ゴミ箱も汚れないからだ。そういえば、小さな鏡台の横にあったゴミ箱も、いわば<裸>だった。なんとなく、汚らしい感じがした。

歯を磨きながら、洗面所周りを見た。設備が古いのは致し方ない。だが、掃除が行き届いていない。いや、汚い。それに、壁紙が茶系のストライプ柄、床もこげ茶色なのに、洗面器の色がきれいなピンク色だ。そうだ、便器もピンクだった。なぜ、一般的な白でなくピンクを取り付けたのか、理解に苦しむ。

そう、最高にシュールだったのは、トイレだ。一応、温水便座だから、自分にとっての最低ラインはクリアしている。だが、使用中に、辺りを見回すと、床、天井、壁が、それぞれ、まったく異なった材質のフローリングや壁紙で内装されていて、色合いにも統一感がない。これあきらかに、その都度、劣化した部分を、一か所ずつ交換修繕したからだろう。むろん、その中に、ピンクの便器も入るわけだ。

建物自体は、おそらく、1970年前後に建てられたものだと思う。高度成長時代になり、庶民の団体旅行が流行り出した時期だ。この最果ての<男鹿半島>も、<なまはげ>を売り物にして、<ディスカバージャパン>の波に乗ったのだろう。

とすれば、すでに築五十年以上たっている建物だ。部屋が古くて汚いのは値段相応、ということで、客も我慢する。だが、トイレ、風呂、洗面所など、水回り系の不備にはクレームをつける。旅館側としても、最小限の修繕はせざるを得ない。一気に修理すると修理代がかさむから、不備なところだけを修理する。いきおい、ちぐはぐな感じになる。それが、トイレという狭い空間の中では、ことさら際立ったのだろう。

それにしても、このデタラメな内装は、人間の美的観念を大きく逸脱している。意図してデザインできるものではない。と考えると、居心地の悪かったトイレ空間が、なにやら<シュール>な感じがしてきて、じっと座っていることが、それほど苦痛ではなくなった。生理的な嫌悪感ですら、ある程度は、知性で相殺できる。哲学的知見の実証例のような気がした。

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