見出し画像

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

 
<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#14 七日目(3) 2021年3月26(金)

安乗埼灯台撮影2

大王埼灯台撮影3

紀伊半島、灯台巡りの旅、七日目の午後は、安乗埼灯台の二度目の撮影と、大王埼灯台の三度目の撮影だった。

<12:30 移動 13:30 安乗埼灯台>到着。この日の安乗埼灯台の撮影画像を見直してみた。というのは、まったくなにも思い出せないからだ。もっとも、画像を見ても、その時の実感やら、その場の空気感やらは蘇ってこなかった。したがって、書き記すことは、何もない。いや、ひとつだけ、浮かび上がってきたことがある。足取りと、この唯一のイメージだけを書き記して次に進もう。

昨日下見したので、撮影ポイントは、ほぼ押さえていた。ひとつ目は、レストランの裏手だ。天気は、昨日とはうってかわって、さわやかな快晴だった。今日は、ためらうことなく、柵を乗り越え、崖に斜めに立った。この場所だけが、樹木が伐採されているのだ。おそらくは、柵際から、灯台がよく見えるようにする配慮なのだろう。

そのおかげで、アングル的には、左側に大きく海を取り込んで、岬に立つ四角柱の灯台をしっかりと撮ることができた。自分的には、ここが、安乗埼灯台のベストポイントだと思う。ちなみに、撮影画像からは、柵際の、伐採を免れた二本の松の木を、どんな感じで、画面に取り込むか、苦労した様子が記録されていた。

次に向かったのは、灯台の正面だ。受付小屋の前にある八重桜が満開で、鮮やかだった。受付小屋は、灯台の敷地外、門柱の左脇にあった。入場料を払うと、仕切り板の向こうに居る人から、<ありがとうございました>と丁寧な言葉が返ってきた。

老年の男性の、穏やか声だった。この声の感じが、この日の安乗埼灯台での、記憶にしっかりと刻まれている唯一の(音声的)イメージだ。たかが、三百円の入場料を払って、これほど感謝の念がこもっている<ありがとうございました>を聞いたのは、初めてだ。受付の老年男性は、おそらくは、パートだろう。なおのこと、人間として立派だと思った。

入場料を払って、狭い門柱の間を通り抜け、敷地に入った。廊下のような通路の先に、灯台が聳え立っていた。これは、写真的には難しい。灯台の垂直を、この直線的な通路が邪魔している。灯台と通路とが一直線にならないように、通路を右に左にと寄りながら、撮り歩きして、灯台前の階段に到達した。灯台の全景は、これ以上進むと撮れない。ということは、ま、ここからは観光だ。気楽な気分で、その五、六段のコンクリ階段を登り、扉のぽっかり開いている灯台の中に入った。

いやその前に、いつもの癖で、灯台の周りをぐるりと回ったような気がする。裏側、というか北側には、灯台に付帯している機械室のような建物があり、その白壁に、安乗埼灯台の絵が描かれていた。むろん、落書きなどではない。灯台の特徴を見事にとらえている。絵心のある画家の作品だと思った。

あとは、デジカメの望遠を使って、はるか彼方の岬に立っている灯台を撮った。あんなところにも灯台があるのか、と意味もなく感心した。その時も、今になっても、その灯台の名前はわからない。…追 どうやら<鎧埼灯台>だったらしい。

灯台の中に入った。内側の壁には、色の褪めたポスターやら写真やらが、べたべた貼ってあったような気もする。いちいち写真に撮らなかったので、あるいは、ほかの灯台だったかもしれない。螺旋階段は、中型灯台だから、それほど長くなく、さして息切れすることもなかった。小判型の扉をくぐって、展望デッキ?に出ると、まさに絶景で、ほぼ360度、海が見回せた。ここでも、なんか気になる、北側の、海の中に突き出た防波堤の灯台にカメラを向けた。あとは、眼下の、これから行くつもりの西側の東屋などを眺めた。意外に高いので、少し怖いような気がした。高い所は苦手なのだ。

螺旋階段を下りて、灯台の中から出た。コンクリ階段を下り、通路を後退しながら、撮り歩きして、敷地の外に出た。受付の前を通り過ぎる時、ちらっと中を見ると、シルエットになった人間の上半身が見えたような気がした。と同時に<ありがとうございました>と、穏やかな老年男性の声が聞こえた。通り一遍の<ありがとうございました>ではなない。またしても、感謝の念というか、心がこもっていた。

灯台の正面を去るときに、今一度振り返って、左側の満開の八重桜と、手前の小さな花壇、それに、狭い門柱の間から見える灯台を撮った。ごちゃごちゃしていて、灯台写真にはならないが、記念写真としてはいいと思った。

あとは、断崖際の柵沿いの小道を、振り返りながら、撮り歩きして、東屋へ行った。左側から岬がつき出しているので、先ほどの、レストラン裏手からのアングルとは、なんと言うか、正反対になる。それに、そう、ちょうど、大王埼灯台の<八幡さま公園>からのアングルに酷似している。手前の断崖の分厚いコンクリ補強なども同じような感じだ。ただ、安乗埼灯台は四角柱、大王埼灯台は円柱、という違いはある。ま、とにかく、<デジャブ=既視感>に似た感覚を一瞬、味わったような気がする。

やはり、レストラン裏手からのアングルがベストだな、と思ったのだろうか、東屋からの撮影は、さほど粘りもせず、あっさり終わりにした。芝生広場を横切りながら、樹木の上に半分くらい見える灯台を何枚か撮って、車に戻った。一息入れて、ナビに<大王埼灯台>を指示し、安乗埼灯台をあとにした。午前と午後では、明かりの状態が違う、明日は、午前中に来よう、と思った。

<15:00 移動><15:30 大王埼灯台>。どこをどう走ったのか、ほとんど思いだせない。ま、とにかく、大王埼灯台に一番近い駐車場に、再入場した。料金受領書の紙切れをダッシュボードにおいて、フル装備で出発した。フル装備というのは、カメラ二台、三脚一台、予備の電池すべて、防寒着、ペットボトルの水、お菓子類、と言ったところだ。

撮影ポイントは、ほぼ決まっていた。すなわち、まず西側の<八幡さま公園>に登り、午後の明かりで灯台を撮る。次に、灯台の前を通り過ぎ、撮り歩きしながら階段を降りて、防潮堤の終わりまで行く。神社の鳥居があるところだ。さらに、砂利浜の海岸に下りて、西日を受けた岬の灯台を狙う。日没前に、この日の日没は午後五時半頃だったと思うが、<八幡さま公園>に戻って、夕陽の撮影、日没後には明かりの灯った灯台を撮る。朝っぱらから動き回っている割には、かなり元気で、やる気十分だった。

すでに二回、回っているルートだが、快晴の日の午後の明かりは柔らかくて、景色が優しく感じられた。とくに、<八幡さま公園>からの、灯台を主題にした風景には、郷愁、とでも言っておこうか、ある種のせつなさを感じた。だが、東側の階段、防潮堤、さらには、砂利浜からの風景は、逆光のため、画面が黒っぽくなり、あまりよろしくない。それでも、この日は、目の前に広がる海や、打ち寄せる波にも、しばしばカメラを向けた。マリンブルーやコバルトブルーが入り混じった海には、西日が差し込んでいたし、波打ち際の砂利たちが立てる音が、心に響いてきて、心地よかった。

<八幡さま公園>に戻って来たのは、午後の四時半過ぎだった。日没が、五時半過ぎだったので、一時間前からスタンバイだ。この時、太陽は、すでに西に大きく傾いていた。風景全体が、オレンジ色っぽくなっていて、灯台も、やや茜色に染まっていた。崖際の柵沿いで、ひと通り撮って、反対側の崖際の柵へ行った。はるか彼方、画面右から岬がせり出している。そのシルエットの少し上に、目視できないほど眩しい光の塊があった。要するに、太陽は、水平線にではなく、この岬の横腹の中に落ちていくのだ。

そのあとの、日没までの時間は、かなりせわしないものだった。灯台側と落日側との柵の間を行ったり来たりしながら、太陽の落下にともない、刻一刻と変化していく眼前の光景を、逐一撮影した。だが、太陽が赤い球となって、岬のすぐ上辺りに見え始めてからは、落日側の柵際に張り付いて、火の玉がゆっくりと、それこそ、じれったいほどゆっくりと落ちていくのを、数十秒おきに撮った。

そんなものを撮っても、しょうがないだろう、などとは思わなかった。なにか、厳粛な雰囲気の中で、撮らずにはいられなかった。<感動>を安売りしたくないが、毎度のことながら<落日>には、無条件に感動する。これは、<類>としての古い<DNA>なのだ、とでも言っておこう。

さてと、火の玉が岬の下に落下した後は、灯台側の柵の前に移動した。夕空がほのかに青い。その青が、少しずつ、深い紺色に変わっていく。そして、点灯。意外なことに、大王埼灯台の目は真っ赤だった。世界が、紺碧の天空に支配されていく中で、色彩的にはきれいだな。ちなみに、大王埼灯台のレンズは、<閃白赤互光 毎30秒に白1閃光 赤1閃光>ということで、今になって思えば、たしかに三十秒に一回くらい、赤い目がこっちを向いて、ぴかっと光っていた。

ただし、白い光は、まったく見えず、横一文字の光線も、確認できなかった。もっとも、これまでの経験からして、灯台の発する光線を撮るのは至難の業で、撮れたためしがない。すっかり諦念していて、漆黒の闇を照らす横一文字の光線に挑戦しよう、などとは思わなかった。点灯している、しかも、しっかりと目がこちらに向いている夜の灯台が撮れればいいのだ。

長い一日が、終わろうとしていた。あたり一面、暗闇になり、下からのライトで、多少明るくなった灯台の輪郭が見えるだけだ。数十秒おきに巡ってくる、灯台の赤い目にも慣れっこになり、これ以上粘っても、この光景が夜明けまで続くわけで、意味がないだろうと思った。引き上げだな。大きくため息をついた、かどうかはさだかではない。ただ、撮影モードが解けて、脳が少し弛緩したのだろう、中天に満月が見えた。

おお~、灯台と満月の取り合わせもいいね。とはいえ、両者は離れすぎていた。広角で、一つ画面に入れると、灯台も満月も極端に小さくなり、灯台などは、完全に傾いている。これでは写真にならない。理想を言えば、灯台の横とか、少し上に満月があれば、構図的にはベストだ。だが、明かりの問題もある。<夜空=闇>と<満月=光>とには露出差がありすぎる。月を撮るのもまた至難の業なのだ。

撮るのを、あっさり諦めた。ただ記念にと、いったい何の記念なのだろう、満月だけにカメラを向けた。月の微妙な色合いなどは、端から期待していない。とはいえ、モニターすると、完全に白飛びしていて、ただの白色の円になっている。やっぱり、こうなるよな。何度か経験しているので、さほど残念でもなかった。

さてと、引き上げだ。向き直って<八幡さま公園>から降りようとした時だ。陸地側に、点々と明かりが見えた。それが意外に多い。やさしい光景だった。と同時に<モロイ>の一節を思い出した。≪夕方になると・バリーの明かりの方を向いて、それが次第に輝きを増していき、それからほぼ全部が・一度に消えてしまうのを眺めたものだ。怯え切った人間どもの、まばたく小さなけち臭い明り。そして思うのだった。もしもこんな不運に遇わなかったら、今頃はあそこにいたかも知れないのに、などと!≫。備考 著者・サミュエルベケット 訳者・安藤元雄 筑摩世界文学大系82モロイ 筑摩書房1982

もちろん、思い出したのは、この文章そのものではなく、文章によって喚起された、読者としての自分の情感的なイメージだ。それは、いってみれば、追放された者のわずかばかりの郷愁だ。たまには、俺にもカッコをつけさせてもらおう。

こうして、長い一日が終わった。2021年3月26日の金曜日の夜だった。この時、紀伊半島の、とある岬の、とある展望公園に自分が居たなんて、誰が信じるだろうか。これが<奇跡>というものなのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?