見出し画像

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#7 四日目(3) 2021年3月23(火)

潮岬灯台撮影2

移動。灯台の敷地を出て、東側の展望スペースの方へ行く。途中、道沿いに、浜に下りる坂がある。舗装されていて、車が通れるようになっている。車で行けないこともないなと思った。だが、レンタカーだったし、浜の状態なども不明だったので、歩いていくしかないだろう。ちなみに、この浜は、潮岬灯台の立っている岬と、展望スペースのある岬に挟まれていて、岩だらけ、砂利だらけの、プライベートな感じのする砂利浜だ。

坂の降り口に<密漁がどうのこうのというような看板があった>。私有地じゃないだろうな、と少し用心しながら坂の真ん中を歩いた。道が、急角度で右に曲がる。正面に、岬の上に立つ潮岬灯台が見えた。パチリと一枚撮った。だが、遠目過ぎる。ここからは、お得意の?撮り歩きだ。数メートル行っては立ち止ってパチリ、多少左右に動いて、右側から突きでている岬と、左側の水平線との並行関係を調整した。

坂を下りきると、左側に係船岸壁がある。細い入り江になっていて、小型船なら、着岸できるだろう。その手前に、乗用車が四、五台止まっている。釣り人の車だろうと直感した。ということは、ここから釣り船に乗って、海に出ているというわけだ。だが、ひとの気配は全くしなかった。

さらに、撮り歩きしながら前進した。砂利浜は、歩きづらかった。多少よろけもした。軽登山靴を履いていたが、一歩進むごとに、石の中に足の力が吸い取られるようだった。いい天気だったので、多少汗ばんだ。と、なぜか、砂利浜の真ん中に、巨大な岩が佇立している。違和感がある。立ち止まって、つくづく見た、と思う。波打ち際には、大きな岩がごろごろしているのに、ようするに、君は取り残されたわけか?

灯台の立っている岬は、もう目の前に迫っていた。これ以上近づくと、画面から海が消えてしまい、岬だけになってしまう。<灯台の見える風景>としては<不可>となる。前進するのをやめた。立ち止まって、改めて、周りを見回した。漁具の残骸などもあった。人間が立ち去ってから、かなりの年月が経っているのだろう。明るくて、静かだった。

それにしても、岬に立つ灯台を、横から撮るという構図は、いささか飽きたし、マンネリだな。百歩譲って、構図はいいとしても、周辺の、たとえば、海とか空とか雲とか夕陽とか、そうした美しい自然事象を、臨機応変に画面に取り込んで、演出するしかないんだろう。波打ち際の岩場へ歩き始めた。大きな岩に砕ける波しぶきを、画面に取り入れようと思ったのだ。

だが、この思いつきの実現は、おもいのほか難しかった。なにしろ、波しぶきを撮るにしても、波しぶきは、浴びないようにしなければならない。カメラを濡らすわけにはいかないのだ。この段階で、すでに腰が引けている。波しぶきがかからないところで、波しぶきを撮っても、臨場感がない。波しぶきのディテールは撮れない。かといって、ズームでよれば、肝心の岬の灯台が、ぼけてしまう。波しぶきが主題ではないのだ。

あとは、位置取りの問題もある。波しぶきは、横から撮るのがベストだろう。だが、それだと、足場の悪い岩場に入り込み、姿勢を低くしなければならない。こうした態勢も年寄りには堪える。良い波しぶきが来るまで、待つのも辛い。ようするに、気力的にも、技術的にも、体力的にも、灯台に波しぶきを絡めて撮るのは無理、なのだ。

ならばと、往生際が悪いじじいだ、でかい岩がごろごろしている、この波打ち際を前景にして、岬に立つ灯台を撮ろう。この目論見は、ま、身体的には楽で、実現可能だった。ただ、当初の、<波しぶき>の発想から比べると、はるかに保守的で、ダイナミックさに欠ける。それでも、多少の工夫はしたわけで、この枠組みの範囲内では、かなり集中して写真を撮ったつもりである。

何事にしても、集中するということはいいことだ。時間を忘れられるし、成果が得られていなくても、ある種の充足感が得られる。この時もそうだった。タバコをやめていなかったら、間違いなく、この瞬間、タバコに火をつけて、海に向かって、煙を吹き出していただろう。ふ~~、酒も飲んでいないのに、自分に酔っている。

<行きはよいよい 帰りはこわい 長い急な坂を一歩一歩ゆっくり登った 息も切れず といっても 登り切った時にはぜいぜいしていた 足が重いということはなかった 運動公園での 軽ジョギングとウォーキングを想った やはり有効だった>。

<駐車場にもどった 2時すぎだった ちょっと考えた ホテルに戻り 仮眠をとる 3時前にホテル着 きれいに掃除してあった 小一時間仮眠 四時過ぎに目がさめ 四時半に(部屋を)出る 狭い通路 エレベーター前に老年夫婦が出てくる 奥さんの方が マスクをしていない と自分の顔を手でおおう 旦那は いったんは車の中にあると言ったものの こっちに向かってマスクしてなくてすいません と声に出した ていねいに言葉をかえす>。

<5時前に(潮岬灯台の)駐車場(につく) じいさんはいない 駐車場は空 風が強く 寒い 冬支度 完全装備で 東側展望スペースへ行く 昨日と同じ場所に三脚を二本立てる 5時すぎ 陽が傾きはじめる 雲ひとつない夕空 水平線に沈む夕陽が見えるはずだ また きのうのバイクの爺がくるのかと思っていると 爺はこない>。

そのうち<老若男女 いろいろな人間が夕陽の落ちるのをながめにきた 6時すぎ 日没後(の) ブルーアワー イマイチな感じ 灯台点灯 きのうよりは 空が赤く染まる さらに (灯台からの)横一文字の光線を撮るためにねばる そのかいあって 撮影成功 7時引きあげ>。

この時の、夜の撮影について、少し付け加えておこう。水平線に、オレンジ色の火の玉が、今、まさに沈まんとするとき、なぜか、その時間を知っていたかのように、おそらくは、付近に泊まっていた観光客が、展望スペースの柵沿いに、何人も並んでいる。その光景を、写真を撮りながら、ちらっと見た。まるで、映画で見たような、UFOの到来を仰ぎ見ている人間たちだ。なるほどね、落日というものは、なぜか人間を引き付ける。妙な納得の仕方をして、撮影に集中しなおした。

灯台の目から放たれる<横一文字の光線>を撮り終え、引き上げる時のことだ。忘れ物はないかと、ヘッドランプで辺りを照らした。ランプの明かりが、意外に暗くて、よく見えん。それに、三脚二本に、カメラが二台だ。荷物が多い上に、冬場の防寒着で、体が膨れ上がっている。何度も、腰をかがめて、忘れ物はないかとたしかめた。爺の習性だ。

それでも安心はできなかったが、これ以上の長居は無用だ。展望スペースから、道路に出るために、階段状の段差を登った。その登り切ったところあたりで、右足だったか、左足だったか、忘れたが、なにしろ、靴の下でぬるっとした。この感触は、何回か経験している。そうだ、嫌な予感が的中した。犬の糞を踏んでしまったのだ。おいおい、勘弁してくれよ!

迂闊だった、とは言えないだろう。なにしろ、真っ暗で、足元は見えない。見えないことはないが、ヘッドランプの明かりだから、はっきりは見えていない。それに、よりによって、人が歩くところに、犬のウンコを見捨てるものなのか!誰だか知らないけど、かなり頭にきたぜ。道路に出て、靴裏を見ようと、片足立ちになった。だが、手一杯の荷物と着ぶくれで、すぐによろけてしまった。

だが、これは確かめなくても、まちがい、犬の糞だ。靴裏を何度も何度も、道路のアスファルトにこすりつけた。それでも、気が済まないので、再び、展望スペースに足を踏み入れ、地面に足裏をこすりつけた。気分が台無しだ。暗い道をそくそくと車に戻って、すぐに靴を脱いだ。よせばいいのに、臭いを嗅いだ。間違いなかった。

さて、そのあとは、ティッシュで、入念に拭きとった。とはいえ、穿いていたのは軽登山靴だ。裏は、不規則な深い溝が刻まれている。その溝の中に、おぞましいものが入り込んで、なかなか拭き取れないのだ。・・・あ~~、もうやめよう。書いているうちに<臭い>がしてきた。

なんの因果か、落日の崇高な光景ではなく、犬の糞を踏んだという与太話になると、すらすらと言葉が出てくる。おそらくは、そう望んでいるにもかかわらず、人間が、芸術的でも文学的でもない。畢竟<崇高>にはできていないんだ。

<7時引き上げ >。たしか昨日の夜も寄ったファミマで、今晩も夕食の弁当を買った。ホテルに着いてからは、おそらく、先に弁当を食べて、そのあとに風呂に入ったのだろう。なにしろ、朝から、ほぼ飲まず食わずだ。腹が空いていたはずだ。そしてメモ書きの最後には<9時日誌 10時消燈>とある。小一時間も日誌を書いたわけだ。だが、最後の方は疲れてしまい、かなりいい加減になっている。そのことが、あからさまに、文章や筆跡にあらわれていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?