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<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

 <灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#17
 伊良湖岬灯台撮影6~エピローグ

自動ドアの前に立った。仄かな、上品な香りがした。ユリのお花たちをちらっと見たが、暗くて、はっきり見えなかった。外に出た。まだ真っ暗だ。目の前の交差点の青信号が、やけに鮮やかだった。恋路ヶ浜の駐車場までは、ほんの一分だった。車が数台止まっている。装備を整え、カメラ一台、肩掛けして、三脚を手に持った。左側の砂浜と海を見ながら、遊歩道を歩きはじめた。釣り人は、居るにはいるが、ほんの数人だった。
 
予定通り、日の出前に、灯台に着いた。迷わず、西側撮影ポイントに向かった。石塀をよじ登り、乗り越え、波消し石たちの間に下り立った。たしか、磁石を見たような気もする。くるくる回る針の赤い方を、文字盤の<北>に合わせるのだ。そのときの文字盤の<東>が、東方向だ。間違いない、灯台の左下あたりから、陽が昇ってくるはずだ。ただし、左側の山がせり出していて、灯台との間に見える水平線の範囲が狭い。はたして、あの狭い所に、本当に陽が昇ってくるのか、確信はなかった。
 
数個の、大きな波消し石にまたがった形で、三脚を立てた。その際、垂直を確保するために、三本ある足のどれかを、この時は二本だったが、短くして、安定を図った。思い出していただきたい、波消し石たちは、全体的に見れば斜めになっている。したがって、個々の波消し石の関係も、これに準じるわけだ。斜めの場所に、三脚を置けば、当然、三脚も斜めになるか、あるには、傾斜がきつい場合には倒れしまう。真っすぐに立てるには、足の調整が必要だ。
 
三脚を真っすぐに立てる、ということは、写真撮影においては、基本中の基本だ。ただし、この基本を守るのは、なかなか難しい。つまり、何をもって、垂直の基準にするのか?ふつうは、地面だろう。だが、地面が水平なら、わざわざ、三脚の垂直を確保するまでもない。三本の足を均等に伸ばして、そのまま置けばいいのだ。
 
しつこいようだが、斜めの場所に三脚を立てる場合は、三本ある足の長さを調整するしかない。だが、その際、垂直の基準をどこに置くのか?これは、足ではなく、三脚の真ん中の棒(センターポール)だ。この棒が、真っすぐ下に向かっているならば、三脚の垂直は確保されている。だが、棒が下に真っすぐ向かっているかどうか、どう判断すればいいのだ。棒を横から見て、天地に対して真っすぐになっていれば、ま、一安心だ。
 
だが、その辺の判断が微妙だ。一例をあげれば、この棒を、反対側、ないしは、左か右から見ると、やや曲がっていることが、非常に多い。そうなると、また、三本の足の調整をしなければならない。経験的には、一発で、三脚の垂直が確保されたことはない。二回、三回と、この作業を繰り返すことが多い。厳密になればなるほど、この作業の回数はふえるわけで、いつまでたっても、写真撮影が始まらない。したがって、ある程度のところで妥協して、撮影を開始する。この時もそうだった。
 
日の出は、六時四十五分頃だ。昨晩、スマホで調べた。とはいえ、すでに、五十分を過ぎている。山側の水平線が、少しオレンジに染まっているが、まだ太陽は見えない。あれ~と思っていると、そのオレンジが、見る見るうちに濃くなって、いわばみかん色だ。おお~と思いながら、リモートボタンを押していた。と、おいおい勘弁してくれよ。人影だ。それも、いままさに、太陽が出てくる水平線の真ん前と、灯台の横だ。
 
伊良湖岬灯台の、というか伊良湖岬の日の出を見に来たカップルだな。というのも、灯台のすぐ下の波消し石の上で、男が、石塀や階段の上でポーズを取る女を撮っているからだ。あの位置からでは、日の出は入っても、灯台は画面におさまらない。灯台には興味がないわけで、ひたすら、日の出をバックに、彼女の写真を撮っている。二人の姿は、黒いシルエットだったが、その行動は、手に取るようによく見えた。
 
おりしも、みかん色が極まって、日が昇ってきた。水平線ぎりぎりの、小さな火の玉。まさに、この瞬間を撮りに来たのに、男女の黒いシルエットが、邪魔をしている。早くどかないかな、と思いながら、写真を撮り続けていた。幸いなことに、火の玉が少し大きくなって、水平線から、二、三センチ上に上がった頃に、二つの黒いシルエットは消えた。だが、火の玉はそろそろ限界に近づいていた。<丸>は、しだいに<空白>になり、その周辺を黄色の輪が取り巻き始めた。
 
あとで、この時の写真をよく見ると、正確な意味での日の出は見られなかったようだ。つまり、太陽は、水平線近くにたなびく雲の上から出てきたように見える。ま、それでも、この時は、帰宅日は撮影しないですぐ帰る、という自分なりの旅の流儀を反故にし、なおかつ、天気予報にも、男女の黒いシルエットにもめげずに、伊良湖岬灯台の日の出を撮った、と思っていた。
 
戻そう。不思議なもので、水平線の、ほんの数センチ上に来ただけで、太陽は、<火の玉>から、一気に黄色い光の環に変身する。もう<丸>は見えず、中心が<空白>の黄色い同心円が光り輝いている。光が強すぎるのだ。こうなった以上は、日の出の撮影を終了せざるを得まい。移動して、東側の撮影ポイントで、朝日に染まる灯台を撮ろう。
 
愚痴を言っても始まらないし、言いたくもないのだが、もういい加減、この動作は勘弁してもらいたい。足を石塀にあげるたびに、足のどこかがツリそうになる。だが、そうもいくまい。また石塀によじ登り、乗り越え、危なっかしい足取りで、波消し石たちの中に立った。
 
思った通り、灯台の胴体が、ほんのり赤く染まっている。海の色は深い群青色で、水平線付近が白っぽい。だが、空は上に行くにしたがって、しだいに、暗い水色へと諧調していく。目にも、心にも優しい色合いだ。そして、全体的には、夜明けの、というか早朝の、静かで、厳かな雰囲気が漂っていた。日の出の時ほどは、劇的でないにしても、撮らずにはいられない光景だった。
 
東側でひと通り撮り終え、今度は、階段へ向かった。登るとき、多少足が重かった。だが、多少だ。撮ることに夢中、アドレナリンが出ていたのだろう、肉体的な疲労に関しては、鈍感になっていた。一、二回、登ったり下りたりしながら、これ以上、もううまくは撮れない、と思えるまで撮った。千載一遇の機会、いや、ひょっとしたら、もう二度と来られないかもしれない。万全を期した。
 
これで、三つの撮影ポイントをすべて回ったわけだ。階段に腰かけ、一休みした。目の前には、しだいに赤みが消えていく、伊良湖岬灯台があった。一応、仕事?は終わったわけで、少しぼうっとしていた。灯台のすぐ後ろを、小型漁船が、勢いよく横切っていく。元気なもんだ、と思っていると、少し間隔を置いて、次から次へと現れる。なるほど、ツルんで仕事をしているんだな。その小さな船団が、どこへ向かい、なにを捕っているのか、ふと思ったが、皆目見当がつかなかった。頭が働かなかったのだ。ただ、波しぶきをあげてを疾走する、おもちゃのような漁船が、見ていて楽しかった。
 
そうこうしているうちに、小さな漁船たちは、目の前から消えて、海は静寂を取り戻した。灯台は赤みがすっかり取れ、白っぽくなっていた。立ち上がった。引き上げた。だが、階段を下りたら、未練が出た。最後にもう一回だけ、三つのポイントを回って帰ろうと思った。
 
まず、西側ポイント。また石塀によじ登り、乗り越え、斜めになった波消し石たちの中に立った。太陽は、すでに、灯台の首のところまで登っていた。この場合、画面に太陽を入れたら、写真にならない。ので、灯台の頭で太陽を遮って、写真を撮った。この方法?は、ここ何回か試している。自分では面白いと思っている。画面全体が黄色くなり、もろ、逆光なのに、灯台もかすかに黄色に染まる。いわば、浅黄色だ。この世の光景とも思えないが、良しとした。
 
次に階段に、また登った。しかし、全体的な見た目は、先ほどと、ほとんど違わなかった。ただ、灯台がさらに白っぽくなっていて、白でも朱でもない、何とも形容しがたい色になっていた。明らかに、朝日に染まっている灯台の方がいい。もう、撮ってもしょうがない。だが、なおしつこく、階段を下りながら撮っていた。あとは、最後にもう一回、石塀によじ登り、乗り越え、波消し石の上に立って、東側ポイントから、灯台を撮った。撮りながら、ここも、もう撮ってもしょうがないなと思った。
 
実質的には、伊良湖岬灯台の撮影は、終わっていた。とはいえ、気分的には、立ち去り難く、遊歩道を、後ろ向きに歩きながら記念写真を撮った。もちろん時々ふり返って、後方の安全は確認した。いよいよ、山影で、灯台が見えなくなる時がきた。立ち止まった。やはり、立ち去り難かった。あの時、何を思っていたのだろうか、よく思い出せない。また来る、あるいは、絶対また来る、とは思わなかったような気がする。ただただ、立ち去り難かっただけだ。
 
前に歩き出した。五、六歩歩いて、ふり返った。灯台は、山影に隠れてしまい、もう見えなかった。さてと、これから、六、七時間、車の運転だ。うんざりはしなかった。今回で七回目の灯台旅、高速運転に慣れてきた。六時間くらいは、へっちゃらだ。気分が変わって、帰宅モードになっていた。
 
そうだ、<あさりせんべい>を買っていこう。うまいようなら、小粒みかんと合わせて、友人へのお土産にできる。<柿>へのお礼だ。というか、<自然の甘味>には<自然の甘味>で応えたかった。だが、<田原街道>沿いに、土産物屋の女将が教えてくれた、<あさりせんべい>の店はなかった。聞き間違えたのか、それとも、見過ごしたのか、どちらにしても、もうどうしようもなかった。とはいえ、六、七個の小粒みかんだけでは、理由はともあれ、お土産とは言えないだろう。なので、高速に乗った後も、サービスエリアごとに止まって、<あさりせんべい>を探した。
 
しかし、どこにもそのようなものは置いてなかった。渥美半島の名物、銘菓だと思っていたが、これも勘違いだったのかもしれない。とにかく、もうこれ以上は無理だと思い、浜松のサービスエリアで、<エビせんべい>を買った。うまいかどうかは、試食できなかったのでわからない。とはいえ、小粒みかんを手渡す体裁が整ったわけで、気持ち的には多少すっきりした。
 
伊良湖岬、恋路ヶ浜駐車場を<8:40 出発>。事故渋滞もなく、午後三時過ぎには、友人のオフィスに着いた。うまい、と小粒みかんを食べながら、友人が言った。<自然の甘味>を知る人間だ。お愛想ではあるまい。それに、少し歓談したら、運転疲れがとれた。その後<16:00 帰宅 片付け 夕食>、とメモにあった。
 
<愛知旅>2020-12-6(日)7(月)8(火)9(水)10(木) 収支。
 
宿泊四泊 ¥25900(Goto割)
高速 ¥16900 
ガソリン 総距離940K÷20K=47L×¥130=¥6100
飲食等 ¥5100
合計¥54000
 
<灯台紀行・旅日誌>2020愛知編#1-#17 2021-1-10終了。 
 
 
 
 
 
 

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