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おでん 

(5300文字)
ぐぅつぐつぐつぐつ・・・

ちくわ、豆腐、はんぺん、がんも、うどん巾着、ウインナー、こんにゃく、大根、すじ肉・・・

ぐぅつぐつぐつぐつ・・・

それぞれの具材が、コンロの炎に温められた海の幸をふんだんに染み込ませた限りなく黒に近い茶色のだし汁に、小刻みにぐらぐらと揺れている。

それを静かに見ていると、大物アーティストが、大勢の観客から歓声を浴びているように思えた。

ぐぅつぐつぐつぐつ・・・



会社の行事で、一年に一度BBQ大会がある。この二年、コロナのため中止にしていたが、今年は世間的な認識の変化もあり、感染者が収まったタイミングで実施することになった。
いつもは、7月か8月に実施していたが、感染者数の状況により、10月に行うことになった。
とは言え、10月と言えば、肌寒い時期。BBQで本当に良いのか、行事担当者が困っていたのを僕は知っていた。



僕は最近、おでん作りにハマっていた。
元々は、妻からのリクエストでネットから情報を得て、作っていた。それが意外にも好評で、妻から何度もリクエストを貰っていた。それに調子を乗せ、YouTubeから、「プロのおでん」と検索し、更に凝ったおでん作りに挑戦することにした。

煮干しを15匹、頭と内臓を取り、フライパンで炙ってから、細かな破片を除き、4Lの水に入れ3時間放置する。
その後、沸騰させて、弱火で5分後、煮干しを取って、85度まで冷ましてからかつお節を100g入れる。3分待って、キッチンペーパーで濾して出汁だけを鍋に戻す。その時の注意点が、取り除いたかつお節はギュッと絞らないこと。絞ると渋味まで出てしまうので、自然に落ちた出汁のみを使う。
鍋に戻した出汁に、昆布を40g、うま味を逃さないため、濡れた布巾で表面のみ優しく拭きとる。その昆布を入れ60度まで覚まして、保温でその温度を保ったまま、30分だしが出るのを待つ。その後取り除く。

次にすじ肉500gを沸騰させ、多少煮立ったところで水洗いし、食べ易い大きらに切る。そのすじ肉を的量の水に浸して、生姜40gの輪切りと青ネギ一本を手でちぎって入れ、沸騰させた状態を90分保ち、その後すじ肉を取り除き、更に強火ですじ肉からでた出汁の水分を飛ばして、濃厚出汁が完成する。

先に煮干し、かつお、昆布でとった出汁に、砂糖20g、みりん200g、薄口醤油160g、濃口醤油60gを入れてかき混ぜ、すじ肉の濃厚出汁を加えて完成。

この出汁に、ちくわ、豆腐、はんぺん、がんも、うどん巾着、ウインナー、こんにゃく、大根、すじ肉などをそれぞれの適した下処理を施し、長時間煮込む必要があるものから、入れていく。

そして、特性おでん出来上がり。

薬味に、定番の辛子に、柚子胡椒、味噌タレ、七味を用意して食べる準備が整う。

まずは、手始めに一番の手の掛かる大根からお皿に取り、濃厚出汁を上から注いで、大根の平らな表面に七味をパラつかせて、箸先を入れ、斜め45°に切った大根を下の上にそっと添える。舌の敏感な細胞から、脳まで一気に、大根の芯まで染み込んだ濃厚出汁の味が、無抵抗な自分を覆い尽くすかのように、海の恵みに包まれる。無意識に箸が次の大根まで届いている。



会社の行事担当者が、10月にBBQをするか、他の催しをするかで悩んでいた。

それを知っていた僕は、ふと思い付いた。
僕が特性おでんを作ったら、どうなるだろう。家族も喜んでくれたし、この前友達の家に行った時も、感激された。もしかしたら、会社でもうまく行くのではないだろうか。
そう思い付いた後は、自然とワクワク感が溢れ出していた。
何もしなくても、同じ時間が過ぎるし、10月のBBQも寒そうで余り気が進まなかった。

僕は、意を決して行事担当者の机まで行って、おでんの提案をした。すると、90年続いた会社の中でおでんをするのは初めてだったので、少し躊躇したが、参加メンバーに了解を得て、おでんをすることになった。

その夜、僕は胸の中のワクワクが止まらなかった。どうやって、作るか?家族に出したやり方、そのままで本当にいいのか?今回は、8人分も作るけど、当日会社で許されている時間だけでは、本当に僕が求めるおでんを提供できない。じゃ、前日から家で作るか・・・など、頭の中が勝手にぐるぐる動きだした。



おでん会の2日前。
僕は子供の運動会があったので、その日は休みにして、18時くらいからおでんの準備を始めた。牛柄のエプロンを付けて台所に立ち、この日は4Lの出汁を取る日だと決めていた。

煮干しを15匹、頭と内臓を取り、フライパンで炙ってから、細かな破片を除き、4Lの水に入れ3時間放置する。
その後、沸騰させて、弱火で5分後、煮干しを取って、85度まで冷ましてからかつお節を100g入れる。3分待って、キッチンペーパーで濾して出汁だけを鍋に戻す。その時の注意点が、取り除いたかつお節はギュッと絞らないこと。絞ると渋味まで出てしまうので、自然に落ちた出汁のみを使う。
鍋に戻した出汁に、昆布を40g、うま味を逃さないため、濡れた布巾で表面のみ優しく拭きとる。その昆布を入れ60度まで覚まして、保温でその温度を保ったまま、30分だしが出るのを待つ。その後取り除く。最後に砂糖20g、みりん200g、薄口醤油160g、濃口醤油60gを入れてかき混ぜ、煮干し、かつお、昆布出汁の完成。
この日の作業は23時に終了した。

次の日、朝4時に起きて、前日から煮干しを残りの4Lに付けて置いたので、同じ手順で6時の時点では、合計8Lの出汁が完成していた。朝に作った出汁はまだ70°くらいの温度だったので、昨夜に作った冷めた4Lだけを2Lのペットボトルに入れ、会社に2本持って行った。

その夜、家に帰って、すじ肉の調理を始めた。
1kgのすじ肉を用意し、鍋に入れ、適量の水を入れて沸騰させる。
沸騰させたすじ肉を、水の入ったボールに取り出し、すじ肉から出た油や表面についたぬめりを、洗い取る。そのすじ肉を包丁で食べやすい大きさに切り、もう一度鍋に入れて、適量の水と、生姜40gの輪切りと、青ネギ1本を手でちぎって、沸騰させた状態を90分保ち、その後すじ肉を取り除き、更に強火ですじ肉からでた出汁の水分を飛ばして、濃厚出汁を作り、後から作った4Lの煮干し等の出汁に混ぜ、完成させた。
その出汁を2Lのペットボトル2本に注ぎ、会社に持っていく準備をする。
その後、すじ肉を串に刺し、大根とうどん巾着の下処理をし、その日は朝の2時に作業を終える。

次の朝、眠気が僕の目覚めを妨げようとしたが6時に起き、2本のペットボトルとすじ肉、大根、うどん巾着、全部で3つの長方形のタッパーを持って、家を出る。1.5時間の通勤を経て、会社に到着し、すぐに具材を冷蔵庫に入れ、持って来た出汁を前日に用意していた出汁と入れ合わせて、火にかけた。そこに大根を入れて。



弱火で1時間、コトコトと大根とだし汁を煮込む。大根が金色のアルミ両手鍋に入った出汁の表面まで浮かび上がっていた。まるでふわ~ふわ~と浮かぶ海の中のクラゲのように、薄茶色の出汁の中で、ふわふわしていた。香りを嗅ぐ。実に出汁の・・・あれ?なんか、前日に持ってきた出汁と明らかに香りが違う。昨日は、透き通った何とも言えない昆布とかつお出汁の香りが、鼻からスーっと入ってきた。気分までよくなるかのように。でも、今日の出汁は全然違う。どことなく、酸味を帯びた香りがする。一度、スプーンで掬って味見をしてみた・・・う~ん?あれ?昆布かつおとすじ肉の濃厚出汁の味はするが、どことなく酸っぱさもする・・・う~ん。もしや、腐っているのではなかろうか?いやいや、それはない。あってはならない。少しくらいなら、酸味があったとしても、大丈夫だろう。家族なら絶対、もったいないから食べる。一度、席について冷静に考える。冷や汗が出る。2日前の晩から夜遅くまで出汁を作り、朝4時に起きてもやった。

あり得ない。
あり得ない。
あり得ない。
あり得ない。

恐る恐る、ネットで「おでん 出汁 腐る」と叩く。
さっと、Googleが検索を掛ける。6960万件もヒットする。
上の方、目ぼしいサイトを叩くと、「おでんの出汁はすぐに腐るので、冷蔵庫に入れて保存していても、必ず一日一回は火入れをしてください」という文字が目に飛び込んで来た。

ダメだ・・・

昨日の朝作った、2回目の出汁4Lは、常温で放置したままだった。
更に冷や汗の量が増す。これだ。

でも・・・でも・・・でも・・・

これくらいの酸味なら、よく加熱するれば、大丈夫なんじゃないか?

「加熱すれば、おでんの出汁の酸味は消える」
ネットで叩くも、ほしい結果が出てこない。
むしろ、「一度、酸味が増すと加熱しても、戻らない」とまで、はっきり出ている。

・・・・・・

自分の机の上に座って、パソコンを見ながら、自分の胸の中で東京の山ノ内線の朝のラッシュにギューギュー詰めにされる以上の圧迫感を感じていた。

どうしよ・・・

これまで睡眠時間を削り、自分の時間を使ってやって来たことが、全て空気の様に何も意味をなさなくなってしまう。しかも、これから出汁を一から作るにしても、煮干し、昆布、かつおを買い直し、作る必要がある。お金も出るかわからんし、夕方の17時までに間に合うかもわからん。うーん、どうしよ・・・

妻から、LINEが入る。
「おでんどう?順調?」

胸に刺さる・・・
順調どころか、真逆のことが起こっている。

「それが・・・昨日作った出汁がどうも腐りかけてたみたいで・・・」
「え?ほんとに?」
「うん」
「で、そうするの?」
「今、悩んでるところ。このまま出して、最悪、食中毒になっても困るしなと・・・」
「うん。絶対そう。あなた、もうどうするべきかわかってるんやん」
「う・・うん。そうなんやけど。でも、これまでのことを考えると、踏ん切りがつかなくて」
「そっか。でも、動くなら早い方がいいと思うよ」

妻のコメントはよくわかっていた。でも、1人では決断できない何かがあった。
でも、妻からそう言われて、決心した。

すぐに催し担当者に、おでんの味をとりあえず味見してもらい、今すぐ出汁の材料を買いに行くことを告げた。



ぐぅつぐつぐつぐつ・・・

ちくわ、豆腐、はんぺん、がんも、うどん巾着、ウインナー、こんにゃく、大根、すじ肉・・・

ぐぅつぐつぐつぐつ・・・

それぞれの具材が、コンロの炎に温められた海の幸をふんだんに染み込ませた限りなく黒に近い茶色のだし汁に、小刻みにぐらぐらと揺れている。

それを静かに見ていると、おでんを食べるみんなの笑顔が頭に浮かんできた。

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