青野氏とひろゆき氏の共通点

 先日、サイボウズの社長とひろゆき氏について、それぞれこんな記事を書いてみました。


   青野氏もひろゆき氏も私も、元々合理的なのに、なぜ私だけ考え方が異なるのか、理由を考えてみました。結論としては、自分が知っている情報だけで判断しようとするか、自分が知らない情報がないか調べながら判断しようとするかの違いだと思います。

 上の記事を読んでいただくと分かると思いますが、二人とも「ロジック」を気にしている一方、いざ歴史や伝統が絡む問題になると、あまり調べずに判断しているような印象を受けます。

 どれだけ合理主義的で論理的な人でも、自分が知っていることだけで考えているのであれば、それは合理的で論理的だと言えるのでしょうか?何かを考えるにあたり、それを考えるのに必要な情報がそろっていないのであれば、考えてもあまり意味がないのではないでしょうか?