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17 水平線

海岸沿いの工場で労働に勤しんでいる為、日々のふとした瞬間に水平線を眺める機会が多くある。

天気が良い日などは、空と海が織りなす美しい青色のコントラストに思わず目を奪われ、雑事に追われて荒んだ心が洗われる様な、癒しを感じる瞬間だったりする。


東京ドーム何個分だとか、訳の判らない例えで言い表される、かなり広大な敷地面積を誇る工場に在っても、そこから水平線を眺めていると、なんだか自分が広い世界を観ることも、知る事も許されない、鳥籠で飼われている鳥であるかの様な気分に苛まれるのである。

息の詰まる様な閉塞感を感じながら、単調な労働に日々追われながら水平線の彼方に想いを馳せていると、水平線までの距離がどれ位のものであるのか、ふと気になった。

調べてみると身長170cmの人間の目線から、水平線迄の距離はおよそ4、65kmであるそうだ。

私が日々、水平線を眺めている場所が10m程の高台である事を考慮しても、水平線までは12km程度の距離でしか無い様である。

圧倒的スケールを誇ると思いながら眺めている、地球と空の境目である水平線が10km弱の距離でしか無いと考えると、思いの外に近くて拍子抜けしてしまう。私の自宅から職場迄の距離と大して変わらない。自転車で40分である。

とは言え、実際に頑張って自転車を漕いだとしても、私は水平線や地平線の果て、地球と空の境目にたどり着く事は叶わない。ただ其処に想いを馳せて眺め続けるだけだ。


海面と同じ高さの地点に立って見渡せる距離である4、65km。私が見える範囲なんてその程度に過ぎない様だ。

より遠く、より広い範囲を見渡して、自分の視野を拡げて見聞を深めたいと思う事は、人間としての生存本能がそうさせる性なのかも知れない。

権力や財力や武力と言った力を持った者は皆、高い所に居る。高い地位というのは文字通りのものである。

より広くを俯瞰して眺め、より多くの情報を得ようとする事は、生物として生存確率を上げる為の必然なのかも知れないが、ちっぽけな私には目先4、65kmの水平線までが視覚出来る限界の様だ。

そんな自分の視界の狭さを嘆き、届かない高みに想いを馳せるよりも、地に足付けて目の前に広がる海と空の美しさと、淡々と流れて行く日常にこそ幸せを感じる事に気付くのが、真に人生を全うするというものなのでは無いかとすら思うのだ。


上善は水の如し。私も水の様に、凡ゆるものを潤し、凡ゆる汚れを受け止めながら、留まることなく低きに流れ、最終的には海の如く大きな器をもつ人間に為りたいものだと願いながら日々、水平線を眺め続けている。

そんな事を想う、今日この頃。








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