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関友美の連載コラム「信長に包囲されるよりマシ」という未来志向(リカーズ7月号)

リカーズ連載日本酒コラム
「そうだ。日本酒を飲もう。」7月号です☺


【「信長に包囲されるよりマシ」という未来志向】
よろしければ、ご覧ください✨

2021.07_関氏


昨夜のニュースで見ましたが、
歌舞伎町では、抗体検査をしてから(所要15分ほど)入店するというチャレンジをしようとしているとか。
我慢我慢…と長引く現状のなかで、ストレスを甘く見てはいけません。
お酒はひとりで飲んで酔えば良いというものでもありません。
ひとり飲みだって、人様が作ってくれた美味しい料理。酒場の店員さんたちの声や動き。他の客の気配。すべてが合わさってリフレッシュ出来ていたはず。
防止策を施したうえで、少しずつガス抜きして未曽有のウイルスの中、みんなで健康に生き抜ければ、と願います。
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発刊元:庄司酒店
(※許可を得て転載しています)

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▲2枚ともに「剣菱酒造」にて

<以下本文>
酒場が悪者扱いされる風潮が続き、江戸時代の「禁酒令」ふたたびと囁かれる有様です。そんな中、剣菱酒造の白樫政孝社長がSNSで「コロナで仕事は大変だけど、剣菱の歴史の中、阪神淡路大震災で蔵が倒壊した時や、空襲で全焼した時や、織田信長に1年半包囲された時よりはマシと思って頑張る」と綴っているのを見て、スケールの大きさに思わず笑ってしまいました。

1505年創業の剣菱酒造は、今でいうところのM&Aを4度経て、現在の白樫家の家業となりました。赤穂浪士が吉良邸討ち入り前に飲んだとされる「剣菱」。時代をさかのぼれば、ほかにも明治維新、米騒動に関東大震災とあらゆる世情に翻弄されてきました。それでも今なお「剣菱」は圧倒的な人気を誇っています。

剣菱は3番目に古い日本酒蔵です。最古は創業1141年の茨城県の須藤本家。2番目は秋田県の飛良泉本舗と言われています。古い酒蔵の創業年はやや曖昧なところがあります。近くの寺院に書物を預けるものの、火災や戦で焼けてしまったケースが多いのです。あらゆる書物から「この頃すでに酒造りしていたようだから、創業年としよう」というところも少なくありません。空白の時代のなかにも、さまざまな困難とドラマがあったことでしょう。

以前取材した栃木県の天鷹酒造は、1914年創業。祖父の代で関東大空襲に遭い、父の代で第二次世界大戦、現在の尾崎宗範社長の代で東日本大震災に見舞われました。東日本大震災で蔵が倒壊し廃業も考えたものの、背水の陣で仕込み蔵を新設。有機日本酒製造にシフトする機になりました。地域の自然を守るため自ら米作りもはじめ、企業としての個性を確立しています。「一代のうちには何かしらあるものですね」と、微笑んだ社長の顔が忘れられません。

かつて戦時中に「企業整備令」が大蔵大臣から出されました。軍需拡大と民需縮小を目的に、一部指定蔵を残して、全国の約半数が転廃することに。合併し権利を得るか、数社が集まり新会社を設立するか、廃業することになり、先祖代々の家業を突然失う事態に自殺した方や精神を病んだ方も多々いたそう。しかも終戦後、酒造を再開しようにも一筋縄で免許が還ってこなかった例も。それでも誇りを捨てずなんとか再始動して、今日もおいしい酒を私たちに届けてくれています。

紀元前数千年から続くお酒の歴史。禁止されても何度も蘇り、コミュニケーションを主に芸術、宗教、政治にも寄与してきました。今を戦う私たちは「諦めず大局を見よ」と先人たちから背を押されているような気がします。

以上

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