見出し画像

私的推薦盤~宮本文昭『Soul Blue』

 異種格闘技戦という言葉を聞くと、私の世代だと「アントニオ猪木VSモハメド・アリ」になるのだろう。プロレスとボクシングという、一見すると接点のない競技の選手がどちらが強いかを決めるために戦うわけだ。見たことのないものを見るというのは何であれわくわくするものだ。
 あれ? なんの話しようとしてるんだったかな……。あぁ、そうだった、音楽の話だった。音楽の世界でも異種格闘技的なものというと失礼だが、演奏家による探求がジャンルの壁を越えてしまうことは珍しいことではない。私自身、そういうのは嫌いじゃないし、どんどんやるべきだと思っている。最近だと動画サイトの定着もあってかそういうのが当たり前になりつつあるわけだけれども、ひと昔前だとなかなかそういうことは起こりえなかった。やっても「キワモノ」扱いされることもあったわけで、なかなかその探求が続かないということが多かったのではなかろうか。
 ということで、今回は宮本文昭の『Soul Blue』(1993)をご紹介したい。

拙稿の「歌のない音楽」のところでも触れたわけだが、宮本文昭は私の音楽遍歴の中でも非常に大きな存在の一人である。もとはと言えばクラシック畑の人である。
 出会いはおよそ30年前になる。テレビCM(確かJTのCMだった)で、タイースの「瞑想曲」をちょっとアレンジを変えてタイトルも「Meditation」として朗々と吹く姿に私は魅了された。そもそも使っている楽器は何だ、ということになり、CD屋へと走って名前だけで買ったわけである(当時は、CMの時にどんなジャンルの曲であっても画面の端に演奏家だったり曲名だったりがほぼ必ず入っていて、それを手掛かりにCDを買いに行けた。これはぜひ今もそうしてほしいところだ。その方が音楽ももっと売れるし広まるのだから)。しかも、お恥ずかしいことにCDを買って初めて宮本文昭の演奏する楽器がオーボエだとわかる始末である。だいたい私はその当時オーボエとクラリネットの区別がつかなかったし、音色だってよく知らなかったのだ。そのCMはさらに「ボヘミア舞曲」をちょっとアレンジした「ボヘミアン・ダンス」を演奏する第2弾があって、さらに私は虜になった。ベスト盤だったが、擦り切れるほど聴いた(CDだから擦り切れないけれど……)。
 そんなだから、当然私は宮本文昭のアルバムを集めにかかった。そうすると、純然たるクラシックもあるのだが、『JAZZY WIND』のようにほかのジャンルにチャレンジしていることもわかってくる。これは面白い。オーボエと言えばクラシック。しかもケルン放送管弦楽団の首席オーボエ奏者でサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーでもあるとなると、ビッグ・ネームじゃないか。そんな人がジャズっぽい演奏をするわけだから、私の好奇心はめちゃくちゃ刺激されたのだった。
 ちなみに私の母は無類のクラシック好きである。母からすると私がいよいよ自分の好むクラシックに好みが移ってくるのかと期待していたが、残念ながらそうはならなかった。私はオーボエという自分にとってすごく新鮮が楽器の音色がほかの楽器の音と混ざり合う様にハマっていったのだった。
 というわけで、いろいろ好きなアルバムはあるのだが、私は中でも『Soul Blue』が一番好きである。その前の『蒼の薫り』(1991)で、オーボエを使ったクラシック以外の探求が一つのスタイルとして確立されたような感じがあったが、それを良い意味で思いっきり打ち破ったのがこの『Soul Blue』なのである。なんといっても「Soul Of Miles」がすごい。まさかオーボエとラップがコラボするなんて思いもしなかった。エレキの音だって結構グイグイくる。ベースのスラップだって、パッシブのスラップっぽいけどなかなか粋だ。これはもう完全にフュージョンである。そう、私の大好物なのだ。もうホント、「やられた!」という感じだったのだ。「Minds」の軽快な感じも、「ド」がつくくらいのフュージョン。「ソウル」っていうのはちょっと盛りすぎな感じはするが、私的にはとても気に入ったアルバムなのである。
 宮本文昭は、映画音楽にチャレンジしたり、テクノとのコラボにチャレンジ(アルバム『AIR(アリア)』)したりとその後も旺盛な試みを展開したが、その後演奏家としては引退し、指揮者に転じた。今では指揮者としての活動も引退して、大学などで後進の指導に専念しているようだ。娘の宮本笑里も活躍しているし(私が好きかどうかはちょっと置いておく)、もうやり切ったという感じなのだろうか。その引き際を見せつけられると、とても新しいものをもっと聴きたいとは言えないけれど、彼の探求に対する姿勢は、演奏家だけでなく、どんな人間でも見習うべきだと思う(もちろんそれは、私自身を含めて、のことである)。

 ちなみに、宮本文昭はドイツの演奏仲間に、「ヨーロッパではこういうこと(ほかのジャンルに手を出すこと)はないから、フミ(宮本文昭のこと)がうらやましいよ」と言われたとか。型を知っているから「型破り」になれるのであって、型を知らぬままにただあちこちへと手を出すのは、よく言えば「破天荒」、悪く言えば「ポリシーが無い」である。下手すりゃ「根無し草」みたいになるわけで、そういう意味で宮本文昭の探求は、一つのところにどっかり腰を据えながら、他流試合も積極的にこなしていろいろなものを吸収してくるという「型破り」な演奏家の姿と言えるだろう。
 そんな宮本が奏でるオーボエの音とほかのジャンルで使われるような楽器のコラボを、「音楽の異種格闘技戦」というとちょっと言い過ぎだろうか。もちろん勝ち負けや優劣を決めるようなことを宮本文昭はやっているわけではないのだが、まぁ、猪木とアリも引き分けだったわけなので、そういう言い方も「アリ」ってことで……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?