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ここではないどこかpart1

まだ私が「変わりたい」ともがいていた時のお話し

なんか、書きたくなったから書いてみる

うちの可笑しな幼少期のお話したいけどきっとドン引きだから

軽ーく触れる


10代、全て不満だった

アパートどころか家の名前は同級生の苗字がついたコーポ

8畳2部屋キッチントイレという極狭な家に4人暮らし

「玄関」はほぼ使わず普通なら「窓」の役割がうちは玄関だった

いやあれはベランダ扱いなのかも

ベランダ開ければ父が作った台と屋根もまた取り付けられた簡単なもの

要は靴は常に外に置かれていた

当たり前にそこから出て当たり前に帰る

鍵は内側からしかかけれれないからもちろん外出の時は基本的に施錠なし

で、玄関は物置状態

流石にお泊まりの日は母以外がベランダから出て

母が内側から鍵を閉め玄関から出て鍵をかける

そんなヘンテコなお家

だからか、知らないおじさまがベランダ開けて入ってこようとしたのみて

「あいつ常習犯だよね、きっと何度も入ってるね」なんて会話をしたの

母は「取られるものなんかない」が口癖だったから言わなかったけど

めっちゃ怖かった..

家でゴロゴロしてたら知らんおじさんがベランダ開けて目があって

「あ...」ガラガラピシャと閉めて帰っていくんだからね!


そんな訳で私にとっての当たり前が他の人にとって当たり前じゃないと言うのは

10代に入る前には理解していた

学校から帰れば母はすでに泥酔であることも

腹立てば殴られることも

家では銅像のように動かない&しゃべらない父がいること

1億円の借金があること

いろんなことが普通じゃない

あの頃はそれが嫌で嫌で仕方なかった

「普通」が何かもわからないけど

その他大勢の多数決では普通だねと言われる

そんな環境にいたかった

「ここではないどこかへ」行けたらいいな

そんな妄想ばかりが広がりいつしかそれを実現することを夢みた


自分でお金を稼ぐことができる年齢になり

私は高校入学とともにバイトの面接

即働きだし正直天国だった

知らない人、知らない環境

超絶人見知りなのでスタッフの人たちと会話はできないが

家と学校と習い事以外の世界は私をウキウキさせてくれた

全力で働き初給料は5万円ほどだった時給は630円くらいだった記憶

若干15歳、お金持ちになった気持ちになった

家に2万円入れた(食費というより学費を渡していたつもり)

バイトで自分の価値を見出した私はひたすら働く

親に毎月お金を入れながら貯金をした

そのお金で静岡の伊東市へ旅行に行った15歳の夏

全て自分のお金で夜行バスに乗りホテルに泊まり海をみた

ただ自由だと幸せを感じ

自由は自分で手にできるものなんだと学んだ

そしてこの伊東市で私はスキューバダイビングと出会った

その時はただのシュノーケリング

だけど海の中にいる自分には「不安」「孤独」がなかった

ここが私の居たい場所なんだ、と本気で思った

そこから私の「働く意味」ができた

「旅に出るために働く」

15歳やっと自分らしく生きられる希望を見つけたと思ったんだ


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