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今此処でスーザン・ソンタグに再会する (2011)

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「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで連載されたものです。
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記事一覧

今此処でスーザン・ソンタグに再会する(1)

[こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年7月配信分。]

「(前略)最も恐るべき出来事のいくつかは、すでに起こってしまっているのかもしれない。しかし、基準が変わってしまったので、まだわれわれは気がつかないのだろう。」 (『エイズとその隠喩』、p. 261)

一般には文化批評やアート批評の作家として知られ、60年代から米国で活躍

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今此処でスーザン・ソンタグに再会する(2)

[こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年8月配信分。]

スーザン・ソンタグの『隠喩としての病』 (以下『病』) に限らず、第二次大戦後から1990年代までの冷戦時代に書かれたもののいくつかは、2011年3月11日以降の日本にいる私たちにとって予言のように聞こえる。たとえばこのようなくだり。

「米ソをはじめとする核保有国の核実

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今此処でスーザン・ソンタグに再会する(3)

[こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年9月配信分。]

ある出来事を理解するとは、その出来事がもつ(と思われる)意味を捉えることだと、その出来事が重要なときほど、影響が甚大であるときほど、思いがちである。けれども、出来事に意味があり、解釈可能であったところで、出来事そのものを理解できるとは限らない。

先日日本の東北地方や関東

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今此処でスーザン・ソンタグに再会する(4)

[こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年10月配信分。]

スーザン・ソンタグがいうように、解釈という営みに抗うなかで得られるものがあるとすれば、それはいったい何なのだろうか。

2000年5月9日、エルサレム賞を受賞した際、彼女は次のように言っている。

 「作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること……、そし

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今此処でスーザン・ソンタグに再会する (5)

[こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年11月配信分。]

スーザン・ソンタグの『《キャンプ》についてのノート』 (1964) からもう少し引用しよう。

「 (前略) キャンプは部外者には近寄りにくいものだ。それは都会の少数者グループのあいだの私的な掟のようなものであり、自らと他とを区別するバッジのようなものにさえなっている。

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今此処でスーザン・ソンタグに再会する (6)

[こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年12月配信分。]

スーザン・ソンタグは代表作『写真論』 (1977年) から24年後の2001年、オックスフォードで行った『戦争と写真』という講演の最後で次のように語っている。

「映像という形態で何かを見る。それを契機として、観察、学習、傾注が始まる。写真が私たちに代わって道義的、知的

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