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【小説】恋の二重人格

電源ボタンが押されたのとドラマが始まったのと、どちらが先かは分からなかった。僕はとにかく、その時流れていたドラマを見始めた。ドラマの選択権は僕にはなかった。何故なら、流れていたドラマはそれだけだったからだ。僕はそれを見るしかなかった。けれども内容が全く僕の頭に入ってこない。困った事だ。誰のせいだろう。ドラマに本当に内容がないのか、それとも僕が最初の方を見逃していたのか。僕には分からなかった。この時の僕は機嫌が悪かったのに、こんなにも分からない事だらけだから、僕は思わず泣きたくなった。でも勿論、例えここにいるのが僕1人だとしても、そんな事をすれば僕は恥ずかしさを感じずにはいられないから、僕は我慢していた。そして、密やかに鼻歌を歌ったりなどしていた。

 やっと内容が充実して来たのは、主人公が小学4年生になった頃だった。その主人公はクラスの女の子に恋をしたようだった。なるほど、恋愛ものか、ラブコメだといいなと思ったけれど、その恋はなんと、始まることすらなく、主人公は小学校を卒業してしまった。びっくりした。呆気に取られた、と言ってもいいだろう。こんなに何も起きない事があるのか。回収するべき伏線を作りまくっていたのだとしか、合理的な解釈が出来ない。そんな事があるのだろうか。終盤の難易度を上げるだけの、退屈な序盤だった。

 そこで第1話は終わった。僕は見るのをやめようかと思ったが、最後まで読まずに評論するのも癪なので、続きを見る事にした。

 第2話、主人公は高校生になっていた。彼はドラマ特有のカラフルな制服を身に纏っていたが、それの与える印象とは反対に1人でいる事を好んだ。しかし、そんな彼にも好きな人がいた。今度は違うクラスの、テニス部の人だった。一目惚れだったようだ。このは叶わなそうだなと、僕はそのシーンを見た瞬間に思った。でもそれが叶うのが、ドラマあるあるだ。
 主人公は永遠に迷っていた。迷いに迷って、迷い続けて、それで結局何もしないのだ。告白する? しない? 悩んでいるシーンがずっと映されている。これはもしや、この迷っている所がクライマックスなのではないか? そう思わざるを得なかった。だってそういうシーンが流れた後は、高3の2月まで吹っ飛ばされたのだから。これはあのパターンじゃないのか、小学生の時とおんなじなんじゃないのかと僕は心配した。
 結局、彼は少ない友人から、偶然、好きな人に既に恋人がいる事を知った。しかし、彼はそれでそんなに悲しむ風でもなかった。本気じゃなかったのかよ!
 僕は脚本にブチギレながら目の前の勉強机を蹴ろうとした。でもそんな事をしたら迷惑が掛かる、そのギリギリの理性が、僕を止めた。

 第3話は、大学生の時だった。主人公は既に付き合っていた。え? どういう事? ああ、向こうから告白されたのか。それならまあ、理解できなくもない。彼はなるべく、相手の要求に応えようとした。そうしてずっと空回りしていた。その様を見ていると、少し彼の事を可愛く思えた。中々、頑張っているじゃないか。初めてにしては、努力というものを分かっている。初めて彼に、好感を持ったと言ってもいいだろう。しかし、彼の恋愛が、そう上手く行く筈もない。それは突然の事だった。視聴者にとっても突然の事だったのだ。主人公の彼女は、主人公の努力なんて1つもなかったかのように、あなたは私の気持ちを分かってくれてないと言って、電話で彼にさよならを言った。彼女から彼に、碌な説明なんて1つもなかった。まあ、冷たい事を言わせてもらえば、それが普通の恋愛だと思う。けれど彼は悲しんだ。それは当然だ。初めてなのだから仕方がない。けれどその描写があまりにも鬱屈としていて、僕には見苦しかった。流石に引き籠るのは違うでしょうに。うーん。そうだなあ、僕としては、彼にはもっと前を向いてほしいのだけれど。あとそうだ、もうちょっと相手の事を見てほしい。なぜって、ずっと彼の感情の変化ばかりが語られるのだ。相手いての恋愛だろうが。相手の表情もちょっとくらい映しなさい! そのくらいの事は、分かってほしいのだ。もう彼も大人なのだから。
 しかし勿論、僕は彼にそんなアドバイスはしない。言う権利もない。

 そして僕は今、第4話を迎えている。彼は推定40歳。恋の相手はスナックのママだ。これはもう、ダメじゃないか。確かに彼女は素敵だけれど、本気の恋をしてはいけない相手じゃないか。彼は前を向くどころか、後ろも後ろ、真後ろを向いた。空白の20年に何があったのか、教えてほしい所だ。
 さらに悪い事に、時間が経つにつれ、彼の恋慕の気持ちは減弱していった。過酷なデスクワークが彼を擦り減らしていて、彼の思考力とエネルギーは日に日に落ちていたのだ。これは最早、恋愛どころではない。それが傍目にも分かった。あれ、これは恋愛ドラマじゃないのか? いや、そんな事はもうどうでもいい。今は取り敢えず、彼の心が心配だ。あまり好感の持てない主人公だし、ドラマだけれど、それでも、彼には元気でいてほしいと、そのくらいは思えた。そのくらい、本当に、彼はやつれていた。空を見る描写が多くなっていった。雨粒が、点滴のように彼の目に打ち付けていた。足元にきちんとした地面があるのかは、描写からは分からなかった。
 そして同時に、僕は、自分がもうすぐ死んでしまう事も、じわじわと理解していっていた。彼のもう1つの人格として、決して表には出ず、彼と話す事もなく、彼の脳の一部として、彼が恋をしている時にだけ、僕は存在していた。僕はそれだけの存在だったのだ。僕の生は、彼の恋に託されていた。僕は彼の恋を必死に願っていた。けれどもう、残念だけれど、彼は恋をしないだろう。恋を失って生きていくか、恋を捨てずに死んでいくかだ。それは、感覚的に、いや本能的に理解できた。そして、彼が恋を捨てる方を選ぶだろう事も。

 不思議にも、悲しいとか辛いとか、そういう風には思わなかった。それはきっと、本体がまだ生きているからなのだろう。ただ、ドラマを見終える時のちょっとした心拍数の上昇を感じた。ゆっくりと、ドラマの中身を思い返したりした。
 ほとんど何も起きなかった。心情の変化ばかりが起きていた。そういうドラマだった。そしてその心情とやらは、どんなに激しいものであれ、彼を突き動かす事は一度もなかった。はっきり言おう。恋愛ドラマとしては、失敗作だった。盛り上がりには、圧倒的に欠けていた。
 けれど、見ていて楽しかったなと。何も見ていないよりはマシだったし、良くはなかったが、悪くもなかったと。そう、彼の脳に刻もうと思う。だってそうでなければ、そんなのは嘘だ。彼の努力と苦難を認めてやらなければ、あまりに可哀想じゃないか。だから、僕がその役を担おうと思う。自分の中の懐疑など全てねじ伏せて、彼を不憫に思ってあげよう。彼の恋を褒めてあげよう。彼を、主人公に相応しいくらいに讃えてあげよう。そうして僕は、終わりにしたい。
 この、至って平凡で、控え目で、情けないドラマを。

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