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2022年度斉藤正美さんの発表について、カルチュラルスタディーズ学会に出した質問状

2022年度カルチュラルスタディーズ学会大会(カルチュラルタイフーン)で、斉藤正美さんによる、学問的な手続きをとることのない驚くべき発表があったため、学会に質問状を送った。返答は録画はない、斉藤さんに回答を促すというものであったが、ほぼ1年が経過してもまったく斉藤さんから返答はなく、無視された状態にある。記録のため、学会の送った質問状(?)を掲載しておく。

カルチュラル・スタディーズ学会事務局御中

貴会ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。武蔵大学の千田有紀です。

参加させていただいた学会大会について、お願い申し上げます。9月17日グループ発表P24、とくに斉藤正美さんによるものです。

1.斉藤正美さんは、会場で私が寄せた質問に回答することを約束されました。私からの質問に反応することを促していただきたいと思います。

2.当該発表の録画をいただきたく思います。いただいた録画は、弁護士以外に見せることないことを誓約いたします。もしも何らかの司法的な行動を起こした場合には、裁判所への提出資料とすることはあり得ますが、それ以外には使用いたしません(斉藤さんからの返答があれば、司法に訴えるなどの行動はとらないつもりです)。

3.今後、学会での議論のためのルール作りなどの対応策などをする予定はあるのかどうか、それはどのようなものであり得るのかについて、お答えいただけると幸いです。

経緯を説明いたします。9月17日グループ発表P24において。斉藤さんによる「トランス排除とフェミニズム 『トランスジェンダー問題』を再定位する」と題する発表がなされました。それは、実在の人物や団体の「トランスフォビア」発言を取りあげ、その背景、認識枠組み、「特⾊としての、右派への接近、右派との共犯関係」を指摘するものだと宣言されています。

おそらく今回の特集が「雑多なフェミニズム」であるところからも推察されるように、いまフェミニズムにおいて、「ジェンダー・アイデンティティ」に基づく制度設計(フェミニストには当然、各人の私的な領域におけるジェンダー・アイデンティティを否定する論者はほぼいません。近代社会では、とくにトイレや風呂などは「性別による安全の確保」が行われているため)が問題になっています。こうした問題は実際に冷静に話し合われるべき課題であり、私はこうした議論はぜひ深めるべきであり、特に学会という場でなされることを歓迎しておりました。

ところが発表では、「何が差別か」という認識をめぐる混乱を学問的に丁寧に腑分けされることは一切なく、「私的には差別」「私は差別と感じる」という発言ばかりで、「どういう基準で、何が差別と呼びうるのか」という議論が、まったくなかったように思います。その結果、さまざまな人間や団体を「差別」と名指すだけの発表となり、むしろ学問の場において他者に非常にネガティヴで再起不能な「レッテル貼り」をするという結果となっています。こうした行為は、いま、世界的に問題となっている「コールアウト」、「ノー・プラットフォーミング」、「キャンセルカルチャー」といった文脈を考えても、学会においては特に慎まれるべき行為かと思われました。私自身、商業雑誌や、学術誌に掲載された査読のある論文ですら、トランス問題は「No Debate」であるからと、根拠なく「ヘイト」扱いされるという「嫌がらせ」を受けており、斉藤さんはこれまでそもそもそういった学問の自由を切り詰める行為に加担され、個人攻撃を続けてこられていました。

斉藤さんは、私の論文をとてもきちんと読解しているとは思えません。例えば、『現代思想』の論文は、「トランス女性の「生きづらさ」を考えるときに、話はおそらく、性別の違和感や身体に対する苦痛だったり、労働市場での女性の低賃金であったり、性別を変更する際の家族や周囲との軋轢であったり、身体や生活上のさまざまな不都合などに点化されることが通常だろう」「もちろん、トランス一般にとって男女別に分離された トイレが生活上の不便を引き起こしていることは、事実であろう。そしてそのなかで、いまは完璧とはいえないかもしれないが、それほど問題となることなく、当事者たちに負担をかけながらであるが、ペニスのない男性やペニスのある女性がなんとかトイレを使用している」、「『今日明日にもペニスをぶら下げた人が女湯に入ってくるかのようなイメージを喚起するのはあきらかにトランスジェンダーの排除を意図したでっち上げ、デマです』という箇所は、三橋さんに賛同する」「とりあえず、日本では三橋さんの言うとおり、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)が存在し、ペニスのついた状態で戸籍の変更は難しい。争いを深め、不要な対立をあおる風呂について語ることが、生産的だとは思えない。もうこの風呂の話は、終了したらいいのではないか」と、三橋順子氏の話を受けて、トイレや風呂の話を「終了」しようと呼びかける論文です(全文がここで読めます。https://nocancel.fem.jp/)。

しかし斉藤さんは、私に対して「トイレや風呂ばかりを問題にしている」という評価を与え、むしろヘイトの根拠としていたように思います。事実はまったく逆であり、レッテル貼りが目的なのではと疑わざるを得ません。私の『社会学評論』論文に関しても、この分野においてほぼ唯一に近いまとまった論文である清水晶子氏の「埋没した棘」論文を取りあげて、私が論評を加えました。そこで風呂やトイレの話ばかりをしているのは、清水さんであって、私ではないのです。

これは単なる一例ですが、基本的に論文をきちんと読解されておらず、さらに「特⾊としての、右派への接近、右派との共犯関係」はまったくもって根拠があげられることもなく、私に関してはそもそもが事実誤認であり、学会にふさわしい言動であるとは、とても思えませんでした。

私は会場で、Google formにより、以下の質問を送りました。以下

斉藤さんが私の論文を取り上げてくださって、有難うございます。
私の論文がトランスフォビアであるならとても大変なことだと思いますので、もう一度説明していただけませんか?

『現代思想』の論文は、トランスジェンダーの性自認を最大限尊重し、セルフIDを採用してよいと思う*。そうなると、どのような社会制度を構築していくべきなのかについて考えた論文です。問題になっているのは(学術会議の提言の根拠となった論文でも、女性トイレ、女風呂、などが取り上げられているのであり、私がこだわっているわけではありません)、取り上げられてくださったことは、強制性交の定義が男性器である社会で性被害者である女性が風呂で「ペニスのある女性」に混乱するというのは理解できる、という一定の理解を示したところですが、こうした理解は、差別に当たるということでしょうか?

『社会学評論』においては、清水晶子さんの「埋没した棘」論文を取り上げた文脈で、風呂やトイレに言及したのですが、取り上げたのは清水さんであって、私ではありません。文中のトランスジェンダーにはトランス男性ほかさまざまなトランスが入っていますし、女性のなかにはトランス女性も入っています。いろいろ考えてこの表現を採用したのですが、この表現によって、私の論文がトランスフォビアということになるという理解でいいですか?

論文が学会で「トランスフォビア」といわれたことに非常に驚いておりますので、この学会でなくても、どのような形でもお返事いただけると幸いです。

以上

*注:いま現在は、『現代思想』を書いたときから立場が変わっています。


これらの「質問」には、回答されませんでした。会場から質問を募る時間もありました。確かに、すべての質問に答えるとは限らない旨、事前に周知されていました。ただ発表の終わる寸前に同じグループの高井ゆと里さんが、私からの質問が当たった旨に触れ、「今は手元に論文がないから」、あとで回答するとおっしゃり、斉藤さんもそれに異議を唱えられなかったと認識しています。

私もSNS上で、斉藤さんに返事を求めました。

当初1週間と区切りましたが、本来ならその場で回答すべきことである点、その後も学会についてツイートやリツイートを繰り返しているのに私へのリプライがまったくない点を考慮し、さらに学会事務局に問い合わせると申し入れても、何の返事もありませんでした。

翻って考えるに、SNSで斉藤正美さんに申し入れても、本人が見ているとは限りません。また最適な方法だとも言えないと思います。したがって、学会事務局には、以下のことを要望します。

1.斉藤正美さんは、会場で私が寄せた質問に回答することを約束されました。私からの質問に反応することを促していただきたいと思います。

2.当該発表の録画をいただきたく思います。いただいた録画は、弁護士以外に見せることないことを誓約いたします。もしも何らかの司法的な行動を起こした場合には、裁判所への提出資料とすることはあり得ますが、それ以外には使用いたしません(斉藤さんからの返答があれば、司法に訴えるなどの行動はとらないつもりです)。

3.今後、学会での議論のためのルール作りなどの対応策などをする予定はあるのかどうか、それはどのようなものであり得るのかについて、お答えいただけると幸いです。

学会大会が終了したこの折に、非常に心苦しく思いますが、よろしくご対応いただけると幸いです。貴会のますますの発展をお祈りしています。

武蔵大学社会学部教授 千田有紀

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