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己の日と弁財天と市杵島姫神

金運・財運アップの日とされる巳の日、己巳の日を解説してみました。
そして、弁財天と市杵島姫神との関係も紐解きます。

干支暦

十干(甲乙丙丁戊庚辛壬癸)と干支(子丑寅卯辰午未申酉戌亥)で表される暦を「干支暦(かんしれき)」といい、それぞれの十干の日が10日ごと、干支の日が12日ごとに巡り、60の組み合わせからなる暦。

干支と十干の組み合わせ=六十干支(干支暦)

年・月・日それぞれで繰り返していきますが、年単位で変わるものが一周すると「還暦」と言われるのはご存じだと思います。それが干支暦。

己、巳の日の読み方と意味

「己」は「つちのと」と読み、陰陽五行(木火土金水)でいうところの土にあたります。
ここでは詳細は割愛しますが、土は育てる意味を持ちます。
また、陰陽五行の相生(そうせい、相手を生じる関係)から土の中では金鉱が生まれるとされ、金運財運を生み出すという解釈につながっています。

「巳の日」は「みのひ」と読み、蛇は小さくなった龍神と捉えられていたことから、水の神様でもある弁財天と結びつけられるようになり、巳の日単体でも金運財運に縁がある日とされるようになりました。

因みに巳の日には、弁財天を祀る全国の社寺で祭事が行われたりします。
また1月最初の巳の日を「初巳(はつみ)」といい、弁財天を祀る神社でその年の初めの催事が行われたりします。

60日に一度の「己巳の日」

12日ごとに巡ってくる巳の日のうち、十干の「己(つちのと)」と重なる日は「己巳の日(つちのとみのひ)」と呼ばれ、60日に一度、年に6回しか訪れない貴重な日で、巳の日よりさらに金運・財運がアップするといわれる吉日。

巳の日、己巳の日はコチラの暦サイトより探してみて下さい。



弁財天

インドの神聖なサラスヴァティ川に由来したヒンドゥー教の女神を由来とします。
弁財天という名前は、仏教における呼び名。

水の神様なので、古来は農家から信仰されることが多かったようですが、今では財運や芸術、学問、恋愛成就、子孫繁栄など多種多様なご利益がある神様として多くの人から親しまれています。

七福神唯一の女神であり、琵琶を演奏する姿が印象的。
蛇は小さくなった龍神と捉えられていたことから、水の神様でもある弁財天と結びつけられるようになりました。

弁財天のご利益

本来、弁財天は豊作のご利益を授ける水の神様でしたが、日本ではほかにもさまざまなご利益を授かれるとされています。

財運向上

名前の中に財という文字があることから、商売繁盛や金運上昇などのご利益の期待から自営業を営む人や、これから豊かな暮らしをしたいと考えている人などから広く信仰を集めています。

参拝したらお金が降ってくるようなご利益ではなく、お金につながる知識や人脈といったご利益の形で現れます。
それをお金に変えるのは、それぞれの行動であることを忘れないようにしましょう。

宝くじの当選を狙う人も非常に多いのですが、確率論的には全くお勧めしません。因みに交通事故に遭遇する確率の方が高いくらいなので、ご注意をw

お金との縁が保たれるとして、財布の購入や新しい財布の使い始めにされる方が多いのですが、これは成功イメージを脳に植え付ける効果は間違い無くあるので、是非このようなタイミングを活用して、願望実現に向けて加速させてください。ヘビ皮でなくとも構いません。(笑)

起業・開店など

金運、そして商売繁盛のご利益に乗じて起業や開業の日としてもいい日。
運氣が高いところで事業継続することになるので、超オススメの日。
また、ビジネスや家計に関わる銀行口座を開設するのにも、とてもいい日ですよ。

学問・芸術

サラスヴァティ川を神格化して生まれた弁財天は、川のせせらぎ音にちなんで音楽の神とされています。
また、流れる水のように冗舌であることから弁才(巧みに話す能力)や、学力・記憶力の向上、芸能、芸術にもご利益があるとされています。

美人祈願

弁財天は、美人の神様としても知られています。
女性が多く参拝するのも頷けますね。

(私にとっては子供の頃に見た西遊記(TV番組)の影響で研ナオコのイメージですが…w)

因みに、栃木県にある明石弁天厳島神社では、美人弁天という愛称で呼ばれているだけあり「美人証明」というお守りあります。
美人証明お守りは、外側から見たときの美しさではなく心の優しさを守るものとして授与されますので、是非足を運び入手してみてください。

銭洗い

巳の日は弁財天と関わりの深い日であることは記したとおり。
弁財天への願い事や弁財天を祀る神社に参拝し、その際は金運を招くとされる「銭洗い」をすることをオススメします。
お札、小銭のみならず、通帳、印鑑、キャッシュカード、クレジットカードなどに銭洗い場の水を軽く掛けて、場のエネルギーをそれらに与えてみてください。


市杵島姫神

宗像三女神のひとりで純日本の神様。
市杵島姫神と弁財天はまったく別の神様である訳ですが、混同されている方も実に多いところ。

そもそも市杵島姫神は日本生まれの神様、
弁財天はインド生まれの神様なのです。

奈良時代頃から日本固有の神様と仏教の信仰とが融合した”神仏習合”が広まり、神前でお経を唱えたり、神宮寺というお寺が神社の境内に建てられたりするようになります。

そして平安時代には、神は仏が権(かり)に形を変えてこの世に現れたと考える“本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想が登場します。

簡単に言えば、天照大神=大日如来の化身ですね。


瀬織津姫

市杵島姫命は、瀬織津姫という神道の祝詞の中で最も重要視される大祓詞に出てくる神様と同一視されてもいます。

これは、瀬織津姫が弁財天と同一視されるようになり、元々瀬織津姫が祀られていた神社に弁財天が祀られるようになっていることからも伺えます。

そして瀬織津姫が大祓詞(おおはらえことば)で、

  高山の末。        たかやまのすえ。
  低山の末より。      ひきやまのすえより。
  佐久那太理に落ち多岐つ。 さくなだりにおちたきつ。
  早川の瀬に坐す。     はやかわのせにます。
  瀬織津比売と伝ふ神。   せおりつひめといふかみ。
  大海原に持出でなむ。   おおうなばらにもちいでなむ。

…と、川に居られることから水を司る神様と言う性格も市杵島姫命と同一視される事にも。

また瀬織津姫が多くの人を魅了し、多くの伝説を持つのは、伊勢神宮の内宮の別宮に瀬織津姫がアマテラスオオミカミの荒神として祀られること。神道の大祓詞の中に出てくるのに神話には一切出てこないこと。瀬織津姫が祀られていた由緒正しい神社のご祭神がアマテラスオオミカミに変わったこと。

などから、時の権力にその存在をかき消された、封印された神様とも言われていますが、持統天皇が、瀬織津姫を祀っている神社に対して祭神を変えるよう勅令を下したとの記録があります。

そして、それ以降の時代に祭神にしていた神社もありましたが、明治になると再び祭神を変えるようにとのお達しが出という記録も。

ます。では、いったいどうしてこのようなことが起きたのでしょうか。

大和王権において、アイヌルーツの可能性がある瀬織津姫は「よそ者」と位置付けられていたことも推測されます。

大和王権の有力者や権力者などが神話の登場人物になったと言われていますが、そもそも日本の神話は事実として起きた様々な民族の征伐と言った話を神様を主役にして、大和朝廷が正当化されるように作られた物語。

王権に対して反旗を翻したり、敵対する位置にいる者、そもそもよそ者は記録に残されなかった可能性があると考えるのが自然ではないかと。

歴史は勝者の記録でもあるしね…という見方をすると、そんな捉え方も成り立つのかと思うのです。


弁財天=市杵島姫神=瀬織津姫

大陸から伝わったものが、日本で神仏習合だったりで捉え方が時代と共に変化していったという流れに加え、
弁財天、市杵島姫神、瀬織津姫ともに美しい女神であること、水を司る神であること、芸能・学問などのご利益など共通項があることからも同一視されるようになったようです。

弁財天=瀬織津姫、そして弁財天=市杵島姫神と繋がることから、弁財天=市杵島姫神=瀬織津姫と捉えてもいいのかと考えます。

明治に入り神仏分離令が出され神仏習合の時代は終わりますが、現在でも市杵島姫神や瀬織津姫をお祀りしている神社は弁天様として親しまれ、定着しています。

弁財天、市杵島姫神、瀬織津姫を祀る社寺

琵琶湖に浮かぶ竹生島の竹生島神社(ちくぶしまじんじゃ)の本殿は、豊臣秀吉が伏見桃山城の建造物を寄贈したもの。
彦根・長浜・今津いずれかの港から船でアクセスします。
竹生島の宝厳寺本堂にあるご本尊「大弁才天」が三大弁財天。

日本全国に約1,000社存在する厳島神社の総本山。
1400年以上の歴史があり、世界遺産に登録されています。
海中に建つ大鳥居は、干潮時に歩いて行けます。

厳島神社に隣接する大願寺の本尊が日本三大弁財天。
明治時代の神仏分離令により厳島神社の本殿から移されました。
秘仏であるため、6月17日の大祭のみ御開帳されます。

観光名所の江の島にある神社。
日本三大弁財天の1つ「妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)」があり、お堂には八臂弁財天と2体安置されています。
江戸時代からの江島弁財天信仰で、常に多くの参拝客で賑わっています。

日本橋のビルの谷間に佇む小さな神社ですが、多くの人で賑わっています。
500年以上続くこの神社は、社殿を含む建物全部が東京大空襲の戦災を免れたり、第二次世界大戦の際、この神社の御守を受けた兵士全員が無事帰還したことなどから、強運厄除の神様として崇められるようになりました。
その境内にある「銭洗いの井」には舟に乗った弁天様の像が配置され、その井戸で清めたお金をお財布に入れておくと財運を授かると言われています。

源頼朝が民衆の安寧と幕府の安泰を祈願していたところ、霊夢の導きで宇賀福神社を拝し、願いが叶ったという逸話が残る神社。
境内にある岩の洞穴に湧き出る霊水でお金を洗うと、開運のご利益を得られるとされ、連日多くの参拝客で賑わいますが、特に巳の日、己巳の日はています。
霊水は鎌倉五名水の1つに数えられ、連日多くの人が訪れる鎌倉屈指のパワースポットとしても有名。水の神である御神体は、頭が人間、体は蛇で形作られています。

金華山にある黄金山神社は、3年連続で参拝すれば生涯を通してお金に困ることはないと言われている場所。
弁財天に仕える巳に関連した暦ごとに盛大なお祭りを行っていて、12年に1度、巳年に開催される頂上大海祇神社例祭では、古来の方式に則って本殿が御開帳され、大護摩祈祷を申し込んだ人は内玉垣で参拝ができますよ。

聖地として名高い吉野と高野山、熊野の中央部分にあり、関西屈指のパワースポットとして人気です。芸能の神様として能に関連した資料がたくさん保管されており、能楽史の重要な資料として重宝されています。

宗像三女神を祀る神社の総本社。
「田心姫神(たごりひめのかみ)」を祀る沖ノ島の「沖津宮」、「湍津姫神(たぎつひめのかみ)」を祀る筑前大島の「中津宮」、「市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」を祀る宗像市田島の「辺津宮」の三社の総称でもあります。

あらゆる”道”の最高神を指す、「貴(むち)」の尊称を伊勢神宮、出雲大社と並び持っており、航海や交通の安全を祈願する神様として篤い崇敬を集めています。

2017年には「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群としてユネスコの世界遺産に登録されました。

巳の日にやってはいけないこと

巳の日にお金を貸すなどの運氣を下げる行動は避けた方がいいでしょうね。
やってはいけないことは、せいぜいそれくらい。

女神である弁財天が嫉妬深いため、結婚式や入籍には不向きと言う方も根強くいらっしゃいますが、完全なる迷信。
全く氣にしないようにしてくださいね。

そもそも神様って、そんな了見が狭い存在でないことくらい分かると思います。。。

おまけ

「金運を上げたい人へのアンケート」によると、氣にする吉日は以下のとおりだそう…。
 1位  一粒万倍日
 2位  天赦日
 3位  寅の日
 4位  巳の日
 5位  大安

占導師的には、寅の日と巳の日(己巳の日も含む)以外は、暦注下段といい、時の権力者が庶民の娯楽として普及させたもの。
今でいうところの、TV番組の「今日の占いカウントダウン」的なものに相当。
前向きに捉え、その一日を過ごすという面では効果あると思います。。。

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