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また会ったとき恥ずかしいからね             葬送のフリーレン

2023年9月から2024年3月まで2クールに渡って放映された
アニメーション「葬送のフリーレン」の最終回のタイトル。

「葬送のフリーレン」は魔王を倒した勇者一行の後日譚を描くファンタジー

「冒険は終わろうと、道は続いて行く」
魔王を倒した勇者ヒンメルのパーティーのメンバーであった
魔法使いエルフのフリーレンが
勇者ヒンメルの亡きあと、
「人の心を知る」ために、
僧侶ハイターが育てた魔法使いフェルンと
戦士アイゼンの弟子の戦士シュタルクと
かつて魔王を倒しに行った旅路を
「死者の魂と対話できる場所」
を目指して共に歩む物語。

千年を越えて生きるエルフ
であるフリーレンは
「すぐに死んじゃう人間の記憶」を
未来に連れていってくれる存在であり
「通り過ぎていく物理現象」
としての「時間」
ではなく
「積み重なっていく記憶」
としての「時間」
のように描かれている。
この「時間」に対する概念は、
四季の移ろいが明確に見られる
日本人に特有の概念であり
日本人の美意識
につながるものだ。

勇者ヒンメルの死
から始まるこの物語では
ヒンメルの言葉
が、繰り返される。
「魔王を倒したからって終わりじゃない。
 これからの人生のほうが長い」
「像を作る一番の理由は、フリーレン、
 君が未来でひとりぼっちにならないよう
 にするためさ。
 お伽噺じゃない。僕たちは確かに実在した」
「今さら?それがどうした。
 僕は今の話をしている」
「手をとれ、フリーレン。
 君が旅立つきっかけは、僕だ」
「生きるということは、
 誰かに知ってもらって
 憶えていてもらうことだ。
 ほんの少しでいい。
 誰かの人生を変えてあげればいい。
 きっとそれだけで十分だよ」


そして、誰かの行動の理由に
「勇者ヒンメルならば、きっとそうしたから」
と語られる。

「ずいぶん、あっさりと(人と)別れますね」
という問いに対するフリーレンの答えが
「涙の別れは僕たちに似合わない。
 だって、また会った時恥ずかしいからね」

というものだ。
それは、
かつて勇者ヒンメルがそうしたから。

「異世界ファンタジー」である葬送のフリーレンに
この言葉にも、ぼくが考える
日本人の「さようならの理」が表れている。

ちなみに、
冒険者パーティーの
勇者・戦士・僧侶・魔法使い
戦士は戦闘力
僧侶は治癒力(癒しの魔法)
魔法使いはもちろん、魔法(攻撃魔法)
というスキルを持つが
勇者が持つのは勇気だけ。

がんと生きて9年。
今も「痛みの緩和ケア」のために通院している
国立がん研究センター中央病院では、
毛髪のみまらず、身体のさまざまば部位が
欠損している患者たちと出会う。
がん患者は老若男女。普通の人。
それでも、がんを生きる勇者だ。

冒険に踏み出す勇気こそが
生きるうえで最も大切なもの
であることも
「葬送のフリーレン」
は教えてくれる。

勇者ヒンメルならそうした

さようならの理









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