【卍】戦国時代の"忍びの者"と呼ばれる実態【忍者】

自分は新旧問わず歴史関係の本は年間に300冊ほど読む戦国好きな愛読家だが、先ごろ平山優氏が「戦国の忍び」を角川新書からだされたものを興味深く読んでみた。

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現代に知られる忍者とは戦国時代の
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枠組みの中でどのような役割をして
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活動した者であったのか伝承や伝説
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また逸話を通して実証したものである
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我々が、イメージする"忍"というのは
日中は伊賀、甲賀の山中に潜伏しつつ
夜間に敵の城内に忍び込み特定の人物を
暗殺するようなイメージが定着している

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本書はまずこの忍者と忍びの者とを区別する説明からはいってゆくが、忍者は手裏剣や忍術など扱う架空の人物だと例えばわかりやすいだろう。では戦国期の忍とはどのような人物であったのか?散見された史料の事例を通して、実在する忍びの者の素性を明らかにしようと内容は興味深いです。

だが著者のその見解は

◯◯◯(XX等)の出自=忍びの者たちへの変化であるという。


※これから読む方々もいるのでこの箇所は伏せる。


この見解については、史料類の事例を見ても著者の先入観による、こじつけ感が強い気がしてならない。三章である草、野伏と呼ばれる人たち(草の中や物陰に隠れて待ち構える者たち)に至っては、武装したものなので忍びの者とはまったく別者(物)ではあるが、"潜伏して活動"すること自体は同類にはいる。この戦国時代にみえる忍びの者?たちが、組織や集団を形成して活動していたこと自体が疑わしいとは思うが、

忍びの者の活動範囲だけは一定しており

民衆を装い諜報活動するスパイ、

また隠密に敵地に潜入、潜伏る

"妖しい者"敵側から見れば"怪しい者"

たちを指していたのは確かである。


本書は創作された物語を含めた数多くの
エピソードから見た忍び者と思われる?
活動事跡を綴っているが、これらを忍び
の者と断定するには、まだ根拠が乏しい。


ここからは独自に史料を精査した上での

持論であるが、

戦国期に登場した"鉄砲伝来"と戦国時代に活動が見える"忍びの者"と呼ばれるものは、相互関係があるものだと思っている。

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手っ取り早く述べると、信長公記の有名な逸話で、千草峠で信長が狙撃されるのは存知の通りであるが、六角氏に雇われたあの
『杉谷善住坊』のような『名人、名手』と呼ばれる者たちこそ、忍びの者と言われる正体なのである。(名人だと言われていた達人が狙撃を二発外したのは、間抜けではあるが、20メートル程の距離があった)

犯人を特定できたのも杉谷の名が通っていたからであり、この記事の次項で信長の怒りを買って"伊賀、甲賀の曲者、地侍"が数多討ち取られた"、記事もみえるので地元の主であるのは違いないと思われる。忍びは特定の組織、集団を指すものではなく、『鉄砲"名人"や弓"名手"』など、その地で名が通った辣腕な人物が、雇われて隠密に『潜入、潜伏』する者たちが、忍びの者と呼ばる人たちの実態あったのであろう。

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