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第2回:ロシア革命と民族自決と平和の構築

【第一次世界大戦の勃発から第二次世界大戦開始(1914年~1939年)】 
 第2回:ロシア革命と民族自決と平和の構築
第2回【問い】
1.テーマ:ロシア革命・ソビエト政権と世界への影響
 第一次世界大戦中のロシア革命は世界にどのような影響をあたえたか?
2.シベリア干渉戦争と東アジア
 日本をはじめ東アジア諸国はロシア革命にどのように受け止め、対処したか?
3.ウイルソンとレーニンの平和・民族自決の構想
 第一次世界大戦終結に向けた講和提案は世界にどのような影響をあたえたか?第2回【問題提起】
1.第一次世界大戦中のロシア革命は世界にどのような影響をあたえたのか?
第1次世界大戦に参戦したロシアでは、対ドイツ戦で連戦連敗して、食糧・燃料が不足し、物価が高騰した。国際婦人デーに参加した女子労働者の「パンよこせ」デモを契機に、ゼネストが首都ペトログラードの全市に広がった。
民衆は「戦争反対」「専制政府打倒」を叫び、軍隊もこれに呼応して、ペトログラードの労働者と兵士はソヴィエトを結成した。ゼネストは全国に波及し、皇帝ニコライ2世が退位した。
当初、戦争を継続しようとする臨時政権が成立したが、各地に結成された労働者・農民のソヴィエトと鋭く対立し、ロシアは二重権力状態となった。
臨時政権への不満を背景として、ボリシェヴィキ派は臨時政府による新聞発行禁止を契機に蜂起した。赤衛軍はペトログラードの冬宮襲撃を敢行し、無血の内に臨時政府を倒した(10月革命)。
レーニンらのボリシェヴィキ派政権は、「無賠償・無併合・民族自決」を呼びかける「平和に関する布告」、資本家と地主に搾取される労働者・貧農の権利擁護、8時間労働制と国際労働機関(ILO)の設置、女性の参政権及び母親の親権の保障、人間たるのに値する生活権の保障、自由権とその手段に関する保障などを公布した。
これらの権利は現代に引き継がれながらも、なお現在も問われる基本的人権であり、世界に計り知れない影響を与えるものとなった。          
                                     2.日本をはじめ東アジア諸国はロシア革命をどのように受け止め、対処したのか?
10月革命で臨時政府を倒したソヴィエト政権は、英仏が中東で結んだ秘密協定を暴露し、また、戦争の即時停戦を呼びかけた。英仏は東部戦線(対ドイツ)への影響を回避するため、シベリアの東西からソヴィエトに対する干渉戦争を開始した。
チェコ兵捕虜の救出を口実とする米国の共同出兵の呼びかけを受け、日本では陸軍の単独出兵論と米国との共同出兵論が対立した。しかし、日本は大陸政策を実行する好機として、欧米の出兵要請に対し目的、兵力、出兵範囲に制約されないとの解釈のもと、シベリア派兵を決定した。
陸軍はシベリア東部の占拠を想定し、北満州への出兵を強行した。日本のシベリア出兵は、派兵の大義がなく、ゲリラ戦での敗北も伏せられたまま、5年以上にわたって続いた。
ロシア革命による民族自決の呼びかけは、列強による植民地支配を受けていた東アジアで、朝鮮の三・一独立運動、中国の五・四運動などに影響を与え、その後の民族自決運動の進展に多大な影響を及ぼした。また、ロシア革命は東アジアにおいて、社会主義運動の再燃と共産党の結成を促した。                                            
3.第一次大戦終結に向けた講和提案は世界にどのような影響をあたえたか?
10月革命政権は、戦争継続宣言に反対する「全世界の諸国民へ」を基礎にして公布した「平和に関する布告は、全ての交戦国民族と政府に対して公正で民主的な講和を呼びかけたものであり、弱小民族が自由意志に依らない併合と略奪から自決すべきことを求め、欧州はもとより、世界の全ての植民地諸国で実現することを宣言するものであった。
これに対して米国大統領ウィルソンは「14か条の平和原理」を発表し、秘密外交の禁止、軍備縮小、諸国家間連合の樹立の一般原則の他に、東欧の民族自決、領土問題の解決、ロシア革命への対応などを呼びかけた。
しかし、米国の提案は、その適用範囲をドイツ、オーストリア・ハンガリー、トルコなど敗戦国側に限定したものであり、戦勝国である連合国(ドイツと単独講和したロシアを除く)側の従属下にあるインド・フィリピン・インドシナ・朝鮮等は対象とされなかった。
また、旧トルコ領(メソポタミヤ・パレスチナ・シリア)、旧ドイツ領(中部アフリカ・太平洋南洋諸島など)は、国際連盟が割譲し、自決権を認めず、受任国(戦勝国)に「信任統治」するというかたちで、事実上の「植民地」支配が継続した。
 


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