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[安い、旨い、はやい 餃子の王将]王将フードサービスの歴史

 今回は、餃子の王将店舗の経営で有名な、王将フードサービスの歴史を解説します。
 1967年12月、創業者 加藤朝雄(かとう あさお)さんが、京都四条大宮に王将1号店を出店し以降、京都市内を中心に店舗展開しました。
王将とは元々加藤さんが、戦後 朝鮮戦争に出兵したアメリカ軍への物資支援による神武景気や、急速な技術革新・設備投資の活発化などによる景気拡大で日本経済が急速に経済成長する中、貧富の差が大きくなることにより増加した低所得者向けに、餃子を中心とした中華料理を安く提供する、屋台の店でした。今回から加藤さんは、店舗を持ってそちらで営業する事になるので、以前とは異なり家賃の支払いや、地元住民との信頼関係構築をしなくてはいけません。展開する内 1970年、店の近所から集めたコック達が、給料が少ないとストライキを起こし、会社をたたむことを考えるほどの経営危機が起きるという事件が起きました。加藤朝雄(かとう あさお)社長は、1970年1月より月の売上げが増えたら、増えた分は従業員の物にしてよい というルールを作った事により、コック達の働く意欲を上げ 売上げを2倍3倍にし、こちらを解決しました。

 1974年7月、加藤社長は京都市東山区に資本金500万円をもって株式会社王将チェーンを設立しました。貧しい人にお腹いっぱい食べてもらいたいと、「早く、おいしく、安く」を営業方針に掲げました。
1973年に石油産出国 シリアやエジプトがイスラエルを攻めるため、石油がイスラエルの手に入らないようにしようと、シリア・エジプトが他のアラブの石油産出国メンバーと結託して、石油輸出量を極端に減らしたため、原油価格が4倍に跳ね上がるというオイル=ショックが起きました。
こちらにより、製鉄所や自動車の生産工場などの、エネルギー多消費型の重化学工業は安く物を作れなくなり、物価が上がり 人々の生活は苦しくなりました。
その中、美味しい中華料理を安く売る王将店舗は繁盛し、その様子を見ていた王将の創業者 朝雄さんの親戚がマネをして、中華料理「大阪王将」の店舗を展開するほど、王将ブランドは大人気となりました。利益を伸ばした加藤社長は、ついに1974年7月、株式会社を作ることが出来ました。
また社長は、8月には思い切って県外進出を行い、1970年 国鉄が草津・京都間を4本の線路でつないだことにより、草津・京都間の移動がしやすくなり、人口が増えすぎた京都から移住する人が増え 人口が急激に増えていた、滋賀県草津市に店舗を作ることにより、利益を伸ばし会社にお金を貯め、店舗数を増やしたり、また やり方次第では大もうけできるが、立地を決めるのが難しく 失敗したら大損をする道路沿いの店の建設に、挑戦することもできるようになりました。

 1977年9月、加藤社長は、京都市山科区に本店を移転しました。
王将チェーンは本社がなかったため、本店で各店舗に指令を出していました。インターネットがまだ普及していない時代、本店からの指令を人が動いて伝えるために、本店の場所を交通の便の良い場所に移す必要が出てきました。山科区は、1967年に国道一号線や、宇治(京都府の南東部)や長岡京(京都府の南西部)と山科とをつなぐ外環状線が開通し、交通の便が良くなった所として有名です。王将チェーンはこちらに本店を移したことにより、指令をスムーズに伝えることが出来るようになったため、次年の5月から直営店35店舗、FC店15店舗の合計50店舗のチェーン店を経営する事ができました。

 餃子の王将は関西・九州・関東など、日本全国に店舗を出し 1981年5月には合計204店舗のチェーン店となりましたが、無計画に店舗を増やすのではなく、不採算の店舗は容赦なく閉鎖していったので、会社に着実にお金が貯まり、1985年12月に食品製造会社を買収できるほどお金持ち企業となりました。仕入先である食品製造会社を買収することにより、餃子の王将はさらに安く食材を仕入れられるようになり、提供する料理の値段を下げ さらに客数を増やすことも出来ました。

 1987年1月、餃子の王将チェーンは大阪府豊中市に、すし店を出店し、和食部門に進出しました。
なぜ中華料理屋の運営会社 餃子の王将チェーンがすし店を開くことになったのかというと、経営陣がこの頃流行していた回転寿司のブームに乗って儲けようと考えたからです。回転寿司の回るベルトコンベアは1958年、大阪の立ち食い寿司店経営者 白石さんにより考案され話題になり、その後 白石さんは自社の店舗で「回転寿司の回るベルトコンベア」の使用を独占していましたが、1978年に独占する権利が切れ、くら寿司やアトムなど有名寿司チェーンがこぞってコンベアを利用するようになりました。そして、1980年代は回転寿司のブームが起きていたので、餃子の王将チェーンもこちらの波に乗ろうとしたわけです。話題となり収益を上げ、和食部門は儲かると考えた経営陣は、1987年寿司だけでなく鍋物や御膳料理も提供する店舗『いけすの王将』を出店しましたが、ブームは一時的な物でさすがに和食専門店には勝てず、収益が落ち2011年に閉店しました。

 
 1993年 証券業協会に登録され、1995年 大阪証券取引所・京都証券取引所に上場を果たした王将フードサービスでしたが、1990年代後半になると、安売りの外食チェーンが林立し、2002年度には470億円の負債を抱えるほど売上げが減り、倒産の危機にさらされてしまいました。

 2004年4月から、王将フードサービスは、月替り全店フェアを開始しました。
王将フードサービスは2004年4月、日経新聞や朝日新聞などの主要新聞に、4月限定メニューを出しますというニュースを掲載しました。こちらのニュース記事を見て、人々は来月はなんだろう と、楽しみにするようになりました。そのため、王将フードサービス経営陣は毎月 限定メニューを出す事に決めました。こちらを始めたことにより、4代目社長 大東隆行(おおひがし たかゆき)さんは、利益を伸ばし 社員の教育費にお金をかけ、倒産しかけの王将フードサービス社を復活させることが出来ました。

 中国に子会社を作ったり高速道路サービスエリアに店をつくったり挑戦し、また2012年 中華料理レストランチェーン初のスマートフォン用無料アプリをリリースし、近くの店舗まで行く道順やクーポンの情報などを伝えることにより、王将フードサービスは客数・利益を伸ばしました。そして、ついに2013年7月、王将フードサービスは東証第一部に上場しました。

 2014年10月から餃子の王将は、一部の調味料を除いたすべての食材を国産化しました。
何故国産化したかというと、2008年に発覚した中国製ギョーザ中毒事件を引き起こしたとされる犯人の判決が2014年に言い渡され、そちらがニュースとなり日本中に「中国製の食品は信用できない」という意識が広がり、安い中華料理屋 餃子の王将は大丈夫か? と疑いの目が向けられるようになったからです。食材の国産化を進める上で、国産小麦粉は外国産の小麦粉よりも吸水が良くないので、小麦粉に混ぜる水分の量を少なくしないとべちゃべちゃになる など、国産食品の扱いの難しさが生じましたが、王将の全従業員が外部講師の指導で国産食品の扱い方を学ぶことにより、解決することが出来ました。またこちらにより、餃子の王将のラーメンは「表面はしっとりつるつる、外国産小麦を使っていたときより香ばしい風味が強くなった」という評価を得ました。

 王将フードサービスは 利益が順調に出るようになり、会社のお金(現金同等物残高)が2015年度の決算では100億円を超えるようになりました。企業体力の付いた王将フードサービスは、2017年9月から株主優待の食事券の額を2倍に増やしたり、2019年10月から全直営店で電子マネー決済が使えるように読み取り機器を配備したり、環境保護が叫ばれてきたのに伴いレジ袋をバイオマス素材に変えたが レジ袋無料を継続するという、大胆な改革を進めました。

 2021年6月、王将フードサービスはテイクアウト・デリバリー専門店「ジョイ・ナーホ」を東京都世田谷区にオープンしました。
元々、王将フードサービス社は通常の「餃子の王将」店舗を運営していたのですが、2021年、コロナ禍の影響か持ち帰りと宅配の売上げが2019年の約2.4倍に増えました。
こちらを見た 王将フードサービス社は、「店内に飲食スペースを設けない 持ち帰り・宅配の専門店を作ると、店舗面積を小さく・従業員の仕事量を少なく出来るから、運営費が安くなるし、持ち帰り・宅配の売上げが増えているから儲かるんじゃないか」と考えたため、テイクアウト・デリバリー専門店を作ることにしました。こちらの店は、ニュースやYouTubeで「時代に合わせる企業努力が素晴らしい」と話題になりました。その後、吉野家やはま寿司など大手外食チェーンが、王将のマネをしてテイクアウト・デリバリー専門店を全国に建て始めました。このようにしてテイクアウト・デリバリー専門店を建てるのがブームになり、会社にお金が無く新たに店舗を増やせない中小の飲食企業でも、こちらの様式の店を建てられるように、公共の機関が2022年6月頃から、そちらの資金を援助する、テイクアウト専門店出店支援を始めるようになりました。

餃子の王将が、今後どのように世の中を変えていくのか、注目ですね★

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お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。
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あなたはアマゾン派?楽天派?
<なとり チータラ>


次回は、回転寿司チェーン店を全国展開している、あきんどスシローの歴史について解説します。



サムネイル内で使った画像の引用元:
https://www.ohsho.co.jp/shop/

https://biz-journal.jp/2020/03/post_143840.html

https://ir.ohsho.co.jp/company/history/


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