バック・トゥ・ザ・フューチャー 感想メモ(ネタバレ)

※再掲載

ところどころ笑えるところや、伏線の細かさなどがあり、面白く最後まで飽きずに楽しめた。

一番印象に残ったのは、未来へと帰ってきた後。マーティが朝起きてみると、家族の人生がガラリと変わってしまっているシーン。
兄は働くためのスーツを着ているし、母親は痩せてきれいになり、マーティと彼女の交際に肯定的(改変前は、積極的な女性に否定的な態度をとる)。父もまた性格が明るくなり、30年前にひそかに抱いていたSF作家の夢を叶えている。家族の存在の消滅は防げたが、過去へのタイムトラベルで、現在は確実に変わってしまった。マーティ自身は別の現在から第二の現実へ帰還したことになる。今回は全て良い結果になったからよいものの、そんなことが現実に起こったとき、果たしてそれを受け入れられるのだろうか。
自分が知っている未来から、極端に変化してしまうことに対する恐怖が先行してしまった。

しかしその一方、過去の世界では、そこで生きている過去の人間(=現在軸の人間)が、最後には自分自身で未来を選択しているということも強く印象に残った。
特にジョージ、そしてドク。ロレインが1985年では厳しい母親を演じていたのに過去では今時というか、ジェニファー(マーティの彼女)のように?(でいいのか?)積極的な女性だったのには驚いた。年をとって落ち着いたということなのだろうか。
ジョージは最初は臆病な人間で、何をやってもだめだというネガティブな性格だったが、自分をいじめていたビフをやっつけ、そしてロレインとのダンスを邪魔されるのを自ら阻止するなど、一週間で急成長した。これらのこと、また、30年後に夢だったSF作家になったことは、彼自身が自らを変えて未来を選択したことの表れなのだろう。……しかし、もしマーティンが過去へ来なかったら、二人はどうやって結婚していたのか、全く予想がつかない。

ドクはあれほど未来を変えてはいけない、自分に未来を教えるな、と言っていたのに、最終的には自分自身の死を回避していた。だが、防弾チョッキを着て死んだ振りをし、極力未来を変えないように努力しているのが彼らしいとも言える。
家に沢山の時計を飾り、タイムマシンを作り(それも30年間もかけて!)、また未来のビデオを熱心に回すドクは、本心では未来を知りたくてたまらないはずなのだ。ドクは時間、そして未来に執着している。ある意味、あの手紙を見たのは、怖いもの見たさというのもあったろう。そして最後には、30年後の未来を見に行くために旅立つ。

エンディング。
マーティとドクのストーリーの主導の逆転が何か面白い。映画の大筋の目的はマーティが自分の元いた世界(1955から見た未来)に帰ること。そのためにドクを物語に巻き込む(+ドクを助ける)。エンディングでは新たな問題の提起。ドクがマーティの子供たちの未来を救うために、マーティを物語に巻き込む(+マーティを助ける?)。
燃料の進化。
序盤のデロリアンではプルトニウムが燃料。しかしエンディングではバナナの皮。燃料の進化がエコ。科学技術の進化ってすごい。
ドクの最後の台詞がかっこいい。「これから行くところに道は必要ない」それを画的に表すのが車が宙に浮きこちらに迫ってくるシーン。車が迫ってくる=道が見えない(または、無い)=未来という図式。そして、次はどんな世界が待っているのだろうという、未知なる未来へのワクワク感が楽しい。
バック・トゥ・ザ・フューチャー……未来へ戻るというタイトル自体がそもそも面白いと思う。未来というのはいつも先にあるはずなのに、何故戻るのか。考えたらキリがないが。車がUターンするのも印象的だ。

未来から過去、過去から未来への伏線の多さ、それを発見できるのが、まるで答えあわせをしているようで楽しい。まだあまり事件が起こっていない前半でさえ退屈しない。
主人公のファッションが過去の人々に救命胴衣とあちこちで言われているのが、言われてみれば確かにそうにも見えるなと思えて笑ってしまった。

未来というのは無限の可能性を秘めていて、それを変え選択していくのは、現在の自分自身しかいないのだと感じる。そしてその選択がある一点では些細な出来事だとしても、それを重ねていけば、大きく未来を変えていく一因になりうるということなのだろう。

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