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12軒目:つ串亭

昔から数多くの居酒屋やバーが軒を連ねる下北沢。しかしここ数年のコロナ禍で閉店の憂き目を迎えている。友人や知人と飲もうと久しぶりにお店を訪れ、「あれ?いつの間にか閉まっている……」と愕然とした経験を持つ人も少なくないはずだ。

そうした状況下にありながら、来年(2023年)開店50周年を迎える老舗の居酒屋が〈つ串亭〉。南口商店街の坂を下った所の三差路を左に曲がると「創業 昭和48年」と描かれた看板が目に入り、店舗の入れ替わりが激しい界隈で存在感を示している。店を切り盛りするのは主人の木村敏さん、その息子である修さん、亮さんの親子3人である。

中央・店主の木村敏さん、左・y長男の木村修さん、右・次男の木村亮さん

28歳で脱サラ、”食”を生業に未来を切り開こうと決意。


敏さんは現在79歳、いまなお定期的に早朝の豊洲市場に足を運び、付き合いの深い仲卸店から店名物の天然生本マグロを直接仕入れている。

「僕は中学校を卒業した後、家の事情で夜学に通いながら働き始めたんです。それから光学機器のメーカーに入社して、営業職でコツコツやってきたんだけど、当時の企業ってのは今以上に年功序列の世界だから、なかなか給料が上がらないわけ。

20代後半になり、結婚して子供を授かったときに、ここから先は人に使われるのではなく、自分で未来を切り開こうと決めました。人間にとって何よりも大事なのは〝食〟。よし、これで行こうと。28歳でサラリーマンを辞め、知り合いがいる居酒屋で2年間修行した後に30歳で前身の〈水車〉というお店を代沢に開いたんです」

それぞれの役割をキビキビとこなす仕込み時間。老舗酒場の居心地の良さはこうして作られる。


場所は今のお店がある場所よりも下北沢駅から離れていて、茶沢通りを三軒茶屋の方に下ったあたり。現在の〈バーミヤン〉の真正面にあったという。

「それまで下北沢と深い縁はなかったんだけど、会社員の頃から池尻の都営住宅に住んでいて、この界隈はそう遠くありませんでした。物件を探しているうちに、いいタイミングで代沢に居抜きの店舗物件が見つかったんです。

代沢あたりは今でこそ人通りが多いけど、開店した頃は本当に静かでね。あの頃はみんな革靴を履いていたから、夜になると通りがかる人の靴底の音がコツ、コツ、コツと全部聴こえるほど(笑)。それぐらいシーンとしていたんですよ。

でも近所の皆さんには開店当初からすごく良くしてもらった。関口宏さんやそのお父さんの俳優・佐野周二さん、江波杏子さん、先頃亡くなった島田陽子さんなども通ってくれましたね」

地面に根を張り、お客さんに尽くす、つ串亭の誕生。


やがて屋号を〈つ串亭〉に改名する。

「つくしは根っこがとても長いんです。地上に出ている部分は小さくても、地面にしっかり根を張って、どんな逆風にも倒れない店にしたいというのがひとつ。あとは〝お客さんに尽くす〟というニュアンスもあるし、ウチの売りは焼き鳥だから真ん中に〝串〟を入れて〈つ串亭〉。いい名前じゃないかってね」

当時の木村さんは、文字通り死にものぐるいで働いた。

「会社を辞めたからにはとにかく日銭を稼がないといけない。2年間の修業時代は月に400時間近く働いていましたから、それを思えば何でもできますよ。

朝は近くの会社向けに弁当を何十食も作って配達に行き、昼間はランチ営業。それから夜の仕込み。とにかくお客さんに喜んでもらうことを一番に考えてましたね。

夜の営業が終わったら雀荘に顔を出して麻雀。でもそれは遊びじゃなくて、一緒に卓を囲むことでご近所さんとの顔つなぎが目的でした。終わるともう朝だから、駅前のマクドナルドでフィレオフィッシュを食べる。そんな日々をずっと送っていたんです」

いくら厳しい修行をしたからって、開いた店が繁盛するわけじゃない。しかし木村さんには「下北沢に根を張って何としてでも店を続ける」という不退転の覚悟があった。それを愚直に貫き通した49年間だったという。

「下北沢は昔から若い人向けの店が多いし、再開発で駅を中心に新しいお店が次々にできているけど、一方で近所の人が普段使いする商店や寿司屋、定食屋なんかは年々消えて行って、そういう店が作られることはないわけ。言い方は悪いけど、最近この辺りにオープンするお店って、他の街にもあるようなものがほとんどじゃないですか。その時その時で流行り物を扱う店が入れ替わっているだけじゃ、ちょっと面白味がないよね。

喫茶店の〈カフェ・トロワ・シャンブル〉さんとか、やっぱりあそこで長年続いている空気感があって、あの暗がりでひとりコーヒーを味わうのが楽しみで皆さん通うわけじゃない? 信念を持ってお店をやるってそういうことだと思うんですよ。

いくら人気の街だからって、ただ出店するだけじゃ駄目なんだよね。その場所でしっかりお客さんの心を掴んで、次に〝また行こうかな〟と思える店作りをしないと。それはタピオカ屋でも古着屋でも、アジア料理屋でも同じだと思いますよ」

時代が変わっても、世代ごとに常連が生まれる店。

そうした街にあって、〈つ串亭〉が醸し出す空気は唯一無二と言える。ゆったり座れるカウンター席。奥には掘りごたつ付きの座敷があって、店内は隅々まで掃除が行き届いている。老若男女問わず落ち着いて食事が楽しめる雰囲気は、街の喧噪の中でひときわ貴重なもの。料理はお刺身も、焼き鳥も、一品料理も奇をてらわずにまっとうなものを出す。だから時代が変わっても、世代ごとに常連客が多く生まれる。

名物のやきとりセット780円。右からレバー、ひな、つくね、うずら、ねぎま。

「開店当時の常連さんはもう亡くなった方も多いんだけど、今はその息子さんや娘さん、さらには孫の世代が来てくれる。それは本当にありがたいことだよね。また、息子2人の繋がりで通ってくれる方も増えているから、そうやって店もお客さんも次の代、次の代へと続いていけばいいと思っています。

でも、僕自身はまだまだ元気だし、老け込みたくないからまだまだお店には出ますよ。元々暴飲暴食はしないし、最近はできるだけ身体にいい食材を摂るようにして、プールやウォーキングで鍛えています。

僕、昔から電車に乗っても座らないんですよ。最近は疲れているとさすがに座ろうかな、と思うこともあるし、たまに席を譲ってくれる人がいるんだけど、そこは気を引き締めて〝ありがとう、もう降りますから結構です〟と丁重にお断りする。そうやって一生鍛錬しないとね(笑)」

木村敏さんという、つくしの根っこのような大きな存在と、それを支える焼き場担当の修さん、板場担当の亮さん。下北沢屈指の老舗居酒屋は、どんなに街が変わろうとも、いつもそこにあり続けるはずだ。

木村敏さん
●きむら・さとし 光学機器メーカーの営業マンとして働いた後に28歳で料理の道へ。焼き鳥店で2年間修行し、1973年に前身となる居酒屋を代沢に開店。1983年、現在の場所に〈つ串亭〉を開店。

【つ串亭】
東京都世田谷区北沢2-1-9 1階
TEL 03-3412-0082
営業時間:16:00〜23:00 (L.O.22:00)
定休日:月曜

写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/木村俊介(散歩社)


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