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【いい店の人と考える、これから先のいい店って? vol.2】 鈴木一史さん(インテリアデザイナー)

時代の波とコロナ禍による大きな転換期を迎えている今、お店というもののあり方も大きく変わりつつある。

お店というのは、住まう人や訪れる人と地域を結びつける、街にとっての窓みたいなものなのではないか。そう考えたとき、これから先の街を、社会を、そして住まう人を元気にしていくような「いい店」とは一体どういうものなのだろう。

お店を始めたい人も、既にやっている人も、いい店が好きな人も、みんなが知りたいこれから先の「いい店」のことを、実際に「いい店」をやっている方や、手掛けた経験を持つ人に聞いてみたい。第二回目に登場するのは、かつて東京・世田谷の松陰神社通り商店街のカフェ《STUDY》を立ち上げたインテリアデザイナーの鈴木一史さんである。

鈴木さんは当時、《STUDY》の経営に加えて同じ松陰神社通り商店街の《nostos books》や《MERCI BAKE》の内装にも携わり、それらの店の存在がきっかけとなって同商店街は一躍人気スポットとして注目を浴びるようになった。その後も代官山にカフェ《Bird》(現在店舗営業は終了)をオープンするなど、街の中に新しい風を吹き込む「いい店」を数多く作ってきた鈴木さん。現在松陰神社前から移転し、同じ世田谷の砧に店舗を構える《nostos books》でお話を伺った。

空き店舗だらけの街を変えた、《STUDY》のはじまり

「最初に断っておくと、僕は“いい店”を作ろうとした訳ではないんです。僕のような個人のインテリアデザイナーに舞い込んでくる依頼は、同じように個人経営のお店からのものが多くて、そうした人たちと一緒に、どういう形のお店を作っていくか、膝を付き合わせて考えてきたにすぎないんですね。

どんなに格好いいデザインのお店を作っても、店主がその後どう営むか、どんな志を持っているかでお店はどうにでも変わっていく。

ぶっちゃけて言えば、僕はデザインの力をそこまで信じてないんです。個人経営店ならその人の身の丈に合った、割と“普通の”お店をデザインしようといつも考えているんですよ。

《STUDY》に関しては、独立してフリーになった時に、ただ店舗をデザインするだけではなく、その後の運営も含めてやってみたいという気持ちを持っていたんです。まったくの未経験でしたがカフェができる物件を探しているうちに、たまたま松陰神社通り商店街に空き物件を見つけたのが最初の出会い。当時あの商店街は、世田谷線の松陰神社前駅のそばという立地でありながら空きテナントが多く、賃料も安かった。それで資金を集めてカフェをオープンすることができました」

渋谷や中目黒といったエリアは難しくても、都心で働く若い人が住み、かつ面白い人たちが多そうな世田谷エリアで良さそうな場所はないか?と考えていた鈴木さん。街の雰囲気的にも松陰神社前はしっくりきたという。

「僕は湘南出身で、江ノ電が走る風景に慣れ親しんでいるのですが、それと2両でゆっくり走る世田谷線は似ていると思うんですよ。沿線の感じもどことなく重なって見えるし、松陰神社前には僕の考える“いい街”の条件が揃っていたんです。まっすぐ伸びる神社の参道があって気の流れがいいこと、大きな道路が街を貫いていないこと、あとは少しだけアクセスが良くないこと……。大きな道路があるとそこで街が分断されてしまいますし、三軒茶屋あたりだと都心からも直結していますが、そこから世田谷線に乗り換えるワンクッションが入るだけで他所の影響を受けにくくなり、街に愛着が湧きやすくなる。こういう場所で飲食店をやりたいと思いました」

鈴木さんは《STUDY》をどんな店にしようと考えたのか。

「ひと言で言えば老若男女どんな人でも気軽に入れる、まったくこだわりのない店です。僕はデザイナーとして依頼主のこだわりを形にしてきた分、僕自身が店をやるならそこは一切排除して、とにかく没個性なお店にしようと思っていました。こっちのテーブルでは近所のおばちゃんがお喋りして、こっちでは学生さんが勉強して……、っていう。個性がないほど誰でも入りやすくなるだろうと。だから名物メニュー的なものもあえて作りませんでした」

今の松陰神社からは想像しがたいが、当時は商店街の半分近くが空き店舗。そんな街にできた真新しいカフェ。古くから住む近所の人たちは鈴木さんに「こんな所でお店やって大丈夫?」としばしば問いかけたという。

《STUDY》のため、街の魅力を広める中で起きた変化

オープン以来、鈴木さんはお店の売り上げを上げるためにまずは松陰神社前という、あまり知られていないけれど魅力的な街を事あるごとにアピールした。その甲斐あって、同世代でお店をやりたいと考えている人が一人、また一人と鈴木さんに出店の相談を持ちかけるようになっていく。

商店会の会員でもある鈴木さんは空き店舗のオーナーを紹介し、そうして新しいお店が少しずつ増えていった。広く名を轟かせることになる《nostos books》もその一つである。

「僕自身が、そうやって人を人に紹介するのを楽しんでいる部分があるんです。《nostos books》、《MERCI BAKE》、あとは僕の友人のコロッケ屋さん。それらが1年おきにオープンした時期があって、そのあたりでいろんな人が“松陰神社前っておもしろそうじゃない?”という目で見てくれるようになった。飲食店はもちろんですが、《nostos books》のようなカルチャー系のお店がひとつできると街が一気に豊かになるんです。わざわざ松陰神社前に来てくれるお客さんも増えてきました」

そうして2010年代に巻き起こった「松陰神社前ブーム」。しかし、やがて商店街には二十、三十もの出店希望者が空きを待つ状況となり、一大ブランド化。必然的に賃料は上がり、「お金はないけど面白いことをしたい」人がお店を始めるような余地はなくなっていく。

「《nostos books》が入居していた元青果店のテナントも、昨年大家さんが代替わりするにあたり、古い建物を建て直すということで退去することになったんです。それに際しては多くの方が“いい雰囲気だったのにもったいない”と惜しんでくれましたが、大家さんの立場にしてみれば、古くなってメンテナンスが必要なテナントをそのまま次の世代に渡すよりも、なるべくきれいにして、より良い条件でテナント経営できる形で渡したいと思うのは当然の心情じゃないですか。

そうなると個人経営の小さなお店が出店したり、継続的に営むことは現実的ではなくなっていく。下北沢でも似たようなケースは多々あると思いますけど、東京で個人がお店をやるうえで一番大変なのはそういう部分。他の都市にも増してスクラップ&ビルドのサイクルが早いですから」



現在も《STUDY》は営業中だが、鈴木さん自身は経営から離れ、インテリアデザイン業に専念している。今後再び松陰神社前のような店づくり、街づくりに関わることはあるのだろうか。

「現時点では考えていませんし、今の東京では現実的に難しいと考えています。2010年頃は偶然の出会いとタイミングが重なってカフェを作り、そこからのつながりで街づくり的なことにも関わるようになりましたが、さっき話したような事情で《nostos books》も松陰神社前から移転したし、ここ数年でいろんなフェーズが変わった気がしているんです。そういう意味では今は本業に集中したい思いが強いですね。

《STUDY》にいた頃から、そうした街づくりのセミナー的なことも頼まれたりしているのですが、一切やるつもりはないんです。僕らの経験を人に話したところでそれが他のお店や街で通用するとは思えないし、当時は現実的にお店にお客さんに来てほしくて松陰神社前をアピールしていただけ。街おこしをしたつもりはまったくありませんから(笑)」

新しい物事も、”いい店”も、人の持つ強さから生まれる

鈴木さんが今重視しているのは、個々の繋がりだという。

「僕の中でも最近“ローカルの再定義”が起こっているんです。今までだとローカルって街やお店単位で捉えられていて、お店きっかけでその街に興味を持ったり、訪れたりする動機になったりしましたけど、今は“あの街にああいう面白い人がいるから話を聞いてみよう”と、動機が人になってきているんですよ。そうした同じマインドを持つ人同士で繋がることが新しいローカルなんじゃないかなって。コロナ禍もそれに拍車をかけている気がしますね。

僕の周りでお店をやっている人は、コロナでも売上げを伸ばしたり、コロナで世の中の動きが停滞したからこそ新しい取り組みを始めている人が多いんです。結局どんな状況だろうと、その人の持つ強さみたいなものが新しい物事を生み出すんじゃないでしょうか。

これからの“いい店”も、そんな中から自然に出てくるんじゃないかと思いますよ」

鈴木一史さん

●すずき・かずふみ|1979年生まれ。インテリアデザイナー。デザイン事務所、施工会社勤務を経て2010年に独立し、東京・世田谷の松陰神社通り商店街にカフェ STUDY をオープン。同商店街が注目を浴びるきっかけとなった。その他、数々の内装デザインを手がけている。


写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/木村俊介(散歩社)


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