見出し画像

「好きな人が女じゃなかった」の二つの意味

「好きな人が女じゃなかった」という文には、二通りの解釈がある。第一に、話している人に特定の好きな女の子ーー仮にあやさんとしようーーがいたが、実はその人は女ではなかったという解釈。あやさんは、女のような見た目、話し方、生活をしているが、実は男だったのである!あやさんのことを女だと思って恋をしていたこの人は、戸惑いながら「好きな人が女じゃなかった」と友達に相談し出した…

第二に、自分の性的指向が女性ではなかったと気づいた際の解釈。ここでは、あやさんのような特定の女性は登場しない。そうではなく、自分が好きな人の性別って、これまでの考えに反して、女じゃなかったんだ、ということである。自分の性的指向が何かわからなくなって悩んでいた友人が遂に納得し、「好きな人が女じゃなかった」と気づくのである。

第一の読みでは、特定の女、あやさんが登場し、その人が女ではなかった、ということが言われている。このような読みのことを言語学や言語哲学では、デレ(De re)読みという。対して、特定の個人が登場せず一般的な女について語っている読みのことを、デディクト(De dicto)読みという。どちらもラテン語由来である。

ラテン語で、Deは「〜について」という意味であり、Reは「もの」という意味である。したがってデレ De reとは、「ものについて」ということを意味する。文のデレ読みとは、ある特定の個人ないし個物が存在し、それについて然々である、という意味を持つということである。このケースでは、特定の個人、あやさんがおり、その人が「女じゃなかった」ということである。

それに対してdictoは、ラテン語で「言われたこと」という意味である。したがってデディクト de dictoとは、「言われたことについて」という意味である。こちらは幾分か分かりづらいが、特定の個人やものではなく、より一般的な対象について語っていると捉えれば良い。このケースでは、特定の個人ではなく、話者の性的指向の対象という一般的なレベルにおいて、「女じゃなかった」のである。

さて、この文はデレとデディクトの二つの意味を持っているが、初めてこの文を見たときにどちらの意味が頭に思い浮かんだだろうか。僕が見たのはよく似た異なる文だったのだが、まずはデレ読みが頭に浮かび、その後デディクト読みもあるな、と気づいた。僕のように、あやさんのような特定の個人がいてその人が女ではなかったと発覚した、という解釈を先にした人は、どれくらいいるだろうか。

しかしこれはなぜだろうか。なぜ僕はまず、話者ではなくその人が好きな特定の個人の性別が予想に反して女じゃなかった、という解釈を先に思い浮かべたのだろうか。なぜ、自身の性的指向がこれまで考えていたのとは違った、という解釈が真っ先に思い浮かばなかったのだろうか。

もちろん、たまたまそうだった、ということは大いにあり得る。しかしこう問いかけることもできよう。

今後同じような文に出会った時、デディクト読みではなくデレ読みが先に頭に浮かぶのではないか?もしそれが偶然ではなかったとしたら、それは何故だろうか?あるいは、もし僕も含めた多くの人がデレ読みを先に想定していたら、それはなぜだろうか?

ここで問題となっているのは、デレ読みとデディクト読みの優先度合いに影響を与えるのは何か?ということである。大きく二つの要因が絡んでいると考えている。

第一に、「好きな人が女じゃなかった」という文を話している、あるいは書いている人についての知識。例えば、この人がよく行くCDショップの定員さんのことを気に入っており、またその人のことを女性だと思っており、そのことをあなたが友人として以前から聞いていたとする。そんな中、この人がSNSである日「好きな人が女じゃなかった」と投稿しているのを見たら、え、あの定員さん女じゃなかったの、と受け取るだろう。

他方で、あなたは自身の性的指向についてまだわかっていない、あるいは以前と変化してきているんじゃないかと考えている人と、友達である場合を考えよう。あなたは親身に相談に乗っている。そしてある日、友人からメッセージで「好きな人が女じゃなかった」と送られてきたとする。この際あなたは、この文を間違いなくデディクト解釈するだろう。

以上のことから、この文のデレ読みとデディクト読みのどちらを優先的に取るかは、発話者がどんな人かの知識に強く関連していると思われる。

第二に、性に関して持っている一般的な知識や偏見。例えば、性的指向は生涯を通じて一定である、と思い込んでいる人がいるとする。実際には、女性を好きだった人が男性を好きになることがあるし、その反対もあるし、ヘテロセクシャルからホモセクシャルになることもある。変化の例をあげればキリがないが、とにかく性的指向は実際に変化しうる。これを知らない人は、「好きな人が女じゃなかった」にはデディクト読みがあるよ、と言われるまでその解釈に気づかないかもしれない。もっと極端な人は、この文にデディクト読みなんてない、とまで言ってしまうかもしれない。

他方で、性的指向が変化することを知っている人や、特に最近そのことを知って記憶に新しい人なんかは、デディクト読みを優先させる可能性が高いだろう。

このように、発話者についての知識と、性に関する一般的な知識との両方が、デレ読みとデディクト読みのどちらを優先させるかに関わっていると思われる。

二つの読みのうちどちらが優先的に取られるかは、アンケート調査とかをしてみないとわからない。しかし、仮に不自然なほどにデレ読みが優勢であり(9対1とか)、さらにその要因が性についての偏見に基づいているのだとしたら、それは改善しないといけないだろう。アンケート調査をして結果をまとめるような余裕はないので、雑談の時に「好きな人が女じゃなかった」という文を相手に見せて、その解釈を話題にしてみるくらいでも、結構いいんじゃないかなとも思っている。今度やってみる。

ちなみに「好きな人が女じゃなかった」は、新井すみこさんによる『気になってる人が男じゃなかった』から着想を得ました。このタイトルも、デレ・ディクトどちらの読みも可能です。

よろしければぜひ