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アーキシンクメソッド学びの日々

こんにちは。
本日も訪問くださり、ありがとうございます。

先週末、アーキシンクメソッドを学びに再び東京へ。
前回アーキシングメソッドの概論を学んだ。

概論と今回の本格的な講座開始の前に音叉について学ぶ
クラスもあり、覚えること盛りだくさん。
講座以外にもオンラインでプラクティショナーとしての在り方や
古今東西の智慧を学ぶ講義がある。
講座がないときはひたすらアーカイブで講座内容復習したり、
自分の身体で人体実験したり、ゴール設定をちまちまやったり。
あっ、こうやって学んだことなどを記事にしてみたり。
超スローペースだけど、色々やってる私。。。
書き出すことでやっぱり築くこと多いですね。
けっこう必死やな、私。でも、全然苦じゃない。
それどころか、静かに静かにいつもワクワクしている。
めちゃくちゃ心の奥底で楽しんでいる。
表には出てないかもだけど。。。(なんか複雑やね)
なんかね、心の奥底というか、ちょっと描くの恥ずかしいけど、
魂的なものがとても喜んでいるのがわかる。
やりたくて、やりたくて仕方ないの、私。
「やりたくて、やりたくて仕方ないの」というのも、
声にすると棒読みな感覚。
(声のテンションを伝えにくいのだけれど、
騒がしい声ではないという感じ?)
理由?わかんない。というのが正直なところ。
なんていうのだろうか、理由って後付けでしかないのかもしれない。
そんなことを思った。
そして、本当に喜びってこんなに奥底で感じるものなんだということを、
凄く実感している。充足感をもたらしてくれるもの。
と同時に痛みももたらしてくれる。

ほんの少し前まで、私は色々痛いことが沢山あった。
そして、その痛みに対処しなきゃとかなり焦っていた。
対処してその痛みを乗り越えることが良い事だと思っていた。
今でも全くそれが無くなったわけではない。
痛みは痛みとしてそこにまだあったりする。
そして、その痛みは時に私に恥ずかしさや惨めさをもたらす。

だけれど、アーキシングメソッドを学び始めて、触れる情報など
色んなものが確実に変化しているのか、その痛みを対処することを
あきらめた。痛みに私を受け渡す。
何度もこれまでアラートとして私を引き付けていた痛みの声に耳を
傾けてみる。
何かやってやろうということを一旦脇において。
もちろん、エゴが暴走してしまうことも往々にしてある。
あっても、また痛みに私を受け渡す。その繰り返し。
すると、痛みの奥に本当は私が望む世界があるのかもとそんなことを
感じる。
痛みは、もちろん嫌だ。だって、いろんな感情を刺激するし。
見たくないものを見せられるから。
でも、痛みが本当のというか、本来の私が望む世界を作るための
ひとつの材料だとしたら?それって素敵なことやね。とも思う。
(こう思えないこともあるけどね)
なかなかやるやん。痛み君。しっかり仕事してね。とも思うwww
(ほんと?)

なんでかな、なんだろう。こういう風に考えるの。
アーキシンクメソッドって、大袈裟かもだけど「生命(魂)」を扱う
とても美しいメソッドだからかもしれないな。
そして、師匠であるCREDOさんはじめ共に学ぶ仲間にも
恵まれているからかもしれない。
これは何よりも代え難い。講義を受ける度に、仲間とのやり取りを
する度に、なんて幸福なんだろうと感じる。
心より感謝いたします。

おしまい。

イギリスから遠路はるばる届いた神の音叉❤
練習あるのみやね。




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